いつものように寝不足の朝を迎えた芋次郎は、
この日もあまり気分が優れませんでしたが、
仕事に間に合わなくなるので急いで自動車に乗り込みました。
エンジンを掛け、CDをセットし、サイドブレーキを外したその時、
助手席側のフロントガラスの外側に
イナゴがへばり付いているのが目に入りました。
芋次郎は一瞬「お!」と思い、少しだけ楽しくなりました。
「君も我が輩の職場まで行きたいのかい?
降りるなら今のうちだぜ。さぁどうする?出発するよ?」
しかしイナゴは動き出す自動車に少し動揺したものの、
芋次郎との同行を辞退する気配はありませんでした。
こうして芋次郎とイナゴの愉快な旅が始まりました。
ところが出発してまもなく、
すっかりいつも通りの行動パターンを踏襲しただけの通勤に
芋次郎はすぐに飽きが来てしまい、
イナゴのことなどすっかり忘れてしまっていました。
15km近く走ったところで、
信号待ちの時に再びイナゴが目に留まり、
イナゴとドライブをしていたことを思い出しました。
「よくここまで振り落とされずに乗って来られたな。
君は本当の“イナゴライダー”かい?
(ここが国道175号だったら尚良かったね)。」
イナゴのことを思い出した芋次郎はすっかり愉快になって、
信号待ちのついでに思わず記念写真を撮ってあげました。
「どうだ。時速65kmは今まで経験したことのない速さだろ。
触角が風でなびいてるぜ。ちょっと刺激が強すぎるだろ?
しっかり掴まってないと振り落とされるぜ。」
そう心の中で語り掛けたりしては、
いつものような一人ではない通勤に心躍る芋次郎でしたが、
一つだけ不安がありました。
「途中で飛び降りてしまうかもしれない。
ちゃんと最後まで乗っていてくれるのだろうか。」
数ヶ月前に、やはり雨蛙が運転席側のフロントガラスで
同じく通勤同伴を試みていたことがありましたが、
途中で車道に飛び降りていってしまった経験があり、
それの二の舞にならないか心配だったのです。
そんな心配を感じながらも、
「そろそろそうやって踏ん張ってるのも疲れてきたろう。
50kmの旅だからまだまだ先は長いぜ。頑張って踏ん張れよ。」
などと、イナゴとの旅を楽しんでおりました。
「ちょっと異国の地まで連れていくことになるけど、
帰りも乗ってたらまた水戸まで連れ返してあげるからね。」
そうして、まもなく20km通過地点に差し掛かろうという時でした。
何と突然イナゴが芋次郎との旅に終止符を自ら打ったのです。
歩道側に飛び降りたこと以外はあの時の雨蛙と同じでした。
イナゴが居なくなってしまった
助手席のフロントガラスを見詰めながら、
芋次郎は寂しそうに職場へ向かいました。
見た目はいつもと変わらないフロントガラスでしたが、
今日は楽しい思い出の跡が残されていました。
また誰か、職場に同行する友が見付かるまで、
芋次郎は明日からまた一人で走ることでしょう。
(おしまい)
最近のコメント