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2007年2月の16件の記事

2007年2月28日 (水)

寝だめクタビーレ

最近、どうも調子が芳しくありません。
ここ数ヶ月、再び感覚がずれてしまいまして、
真夜中の0時が遅い時間だという認識が、
あまりないんですよね。
0時を回ったら、寝る準備に向けて
徐々に気持ちを切り替え始めるという程度で、
実際に「寝なくちゃ」という気持ちになるのが
1時を回ってからで、けれども、
「2時くらいまでに寝れば許容範囲」
というくらいの感覚になっています。

更には、「3時までなら次の日何とか無理を通せる」
というようなリミットを設けるようになってしまい、
就寝が2時を過ぎてしまうことも少なくありません。
普通の人とは2~3時間くらい、
意識や感覚がずれてしまっています。

最初は何とかそのずれをカバーしていた肉体も、
流石にこうも不規則な生活が規則的に続くと、
堪えきれなくなってきてしまったようで、
明らかにSOSを発信するようになりました。

22時を過ぎてくると、吐き気を催してくるのです。
実際に吐くことはないのですが、
何とも言えない気持ちの悪い状態になり、
特に0時を過ぎてくると顕著になってきて、
2時を過ぎてくると、いよいよおかしくなってきます。
前はちょっと気持ち悪くなる程度だったので、
あえて寝る前にちょっとばかり読書をしたりして、
更に寝るのを遅らせても何とかなっていたのですが、
ここ1、2週間は本当に気持ち悪くなるので、
流石の私も危機感を感じて、
そうなってきたら速やかに寝るようにはしています。

しかも、ここ1、2週間はそれだけに留まらず、
3時間くらいしか寝ないような日や、
ちょっと疲れを感じてきたりすると、
日中だろうが午前中だろうが、夜でなくても
吐き気に襲われるようになってきました。
だんだん気持ち悪くなり始めの時間が
早くなっています。

原因が寝不足であることは明白で、
規則正しい生活に戻せば、
ある程度治ると思うのですが、
一度ずれた感覚を戻すのは容易ではありません。

そこで、休みの日などは目覚まし時計をかけず、
寝たくなくなるまで思う存分寝ることにして、
少しでも寝不足状態を解消するようにしていますが、
その日は肩の凝りが和らいだりして、
気持ちがすっきりしていても、
その晩に夜更かししていると、
また同じように吐き気がしてきます。

ちょっと前までの私なら、寝溜めしたり、
一回くらい0時頃に寝さえすれば、
それなりに回復してくれたのですが、
だんだん無理が利かなくなってきたようです。

寝不足の分に関しては、確かに疲れは取れるので、
ある程度効果があると言えますが、
次の夜更かしに備えて、という面に関しては、
寝溜めした効果はほとんどないと言えます。

また、却って寝溜めし過ぎてしまうと、
その日一日倦怠感に襲われがちですし、
妙に草臥(くたび)れ易くなっていたりします。
寝過ぎは体に良くないと聞きますが、
人間の体は寝溜めして楽になるような、
単純な構造ではないですからね。
まとめて賄おうとするのではなく、
毎日規則正しく睡眠時間を確保しなければ。

この吐き気を感じる度に、
「早く規則正しい生活を心掛けるようにしなければ」
と思いながら過ごしている今日この頃です。

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2007年2月25日 (日)

「プレシーズンマッチ2007」観戦記

2002FIFAワールドカップ開催記念事業の、
「いばらきサッカーフェスティバル」の一環として、
2005年から行われているプレシーズンマッチ、
「水戸ホーリーホック vs 鹿島アントラーズ」も
今年で3回目の開催となりました。

県内のJリーグチーム同士として、
初めて対決した2005年(2月20日)は、
プレシーズンマッチとは言え、
念願だった「茨城ダービーマッチ」が早くも実現し、
凄くドキドキしながら家族で観に行きました。
S_010





なかなかJ1チームと対決する機会もなかったので、
どんな結果になるのか想像も付かなかったのですが、
完全に胸を借りるつもりで挑んだ水戸は、
圧倒的に押されながらも、結果は0-1でした。

カシマサッカースタジアムに行っただけでドキドキし、
あの鹿島の選手のプレーを生で観られたことに、
物凄く興奮を覚えたものでした。
と同時に、両チームの応援スタイルにも、
かなりの差を覚え、鹿島側に圧倒されたものでした。
しかも、鹿島の選手ばかり知っていたので、
鹿島側に親近感を覚えてしまったものでした。


翌年も開催されることになったプレシーズンマッチは、
2006年2月26日に同じくカシマで行われました。
当時、一人でカシマまで運転して行く自信がなく、
父を誘って観に行きました。
(しかもこの当時はまだ観戦仲間が居なかった)。
この時も、前年が5試合の観戦に留まった上、
選手が半数入れ替わったこともあり、
相変わらず名前や顔の分かる選手は
ほとんど居ませんでした。

シーズン中にウィンドブレーカーなどが配られたり、
球団がレプリカユニホームなどのグッズ製作に
本格的に乗り出した効果などもあって、
前年に比べると青い出で立ちの客も増えましたが、
相変わらず応援では圧倒されました。
S2006_005





生憎の雨に見舞われたせいで
コンディションが悪かったのですが、
2回目の対戦ということで、
水戸も臆することなく鹿島を攻め立てました。
何度も先制の機会を作りましたが、
攻めきれないでいるうちに先制を許すも、
後半に一時は同点に追い付きました。
最終的にはゴール正面のFKを一度は奇跡的に
弾いたものの押し込まれ、1-2で敗れました。
もう少し完成度が高ければ、
勝てるチャンスのある試合でした。


そんな流れを受けての今年のプレシーズンマッチは、
今日、初めて笠松運動公園陸上競技場で開催され、
3度目の対戦ですっかりお馴染みのカードとなりました。
開幕前の仕上がり具合をチェックする上で、
両者とも最終確認などを行える重要な試合です。
S20070005





勿論、まだまだ鹿島の足元にも及びませんが、
それでも、「今年辺りはやってくれるのではないか」
という期待を抱かずには居られませんでした。
昨年のホーム戦をほとんど観に行った甲斐あって、
今回は水戸を見る目が過去2回とは違っていました。
また、新加入の選手も意外に覚えられており、
対戦相手が鹿島ということ以外は、
レギュラーシーズンと変わらない気持ちで、
観戦に臨むことが出来ました。

ここ数ヶ月、試合観戦から離れていましたが、
この日を楽しみにしていただけあって、
やはりこの笠松のベンチに座ると、
自分の居場所に戻ったような安堵感がありました。
また、オフに制作していた、
チーム「ごじゃ&いが」特製応援フラッグが、
この試合を以て正式にお披露目となりました。


序盤から押され気味の水戸は、
何か今一つ攻めも守りもぎこちなさがあり、
クリアしているとは言え、一気に攻め込まれてしまう
危なっかしさをちょくちょく露呈していました。
特に先制点を与えた直後辺りから、
ゴール前のFW1人か2人に
簡単にボールを持たしてしまう場面が多く、
慌てて後ろから守備につきながら、
何とか凌いでいるような印象が強くなりました。

攻撃の方も、まだうまく嵌まっていないのか、
パス回しやパスを受けた後にボールを奪われてしまい、
なかなかパスやドリブルなどで
前線にボールを運ぶことが出来ず、
チャンスらしいチャンスはあまりありませんでした。
守備中心でワンチャンスからカウンターを狙う、
という以前のスタイルを改め、
積極的に攻撃を仕掛けていって崩す、
という新しい意識の浸透は見られたものの、
理想に描いたような動きをさせて貰えぬまま
終わってしまったように見受けられました。
0-4(前半0-2)の完敗で対戦成績は3敗となり、
課題ばかりが浮き彫りの試合となりました。

あと1週間後の開幕へ向けて、
ちょっと心配な状態ではありましたが、
これからまた長いシーズンが始まるので、
応援側としても気合いを入れていきたいです。

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2007年2月24日 (土)

柴又散策

昨夜27時(夜中の3時)過ぎに、諸事情により、
今日急遽、金町(葛飾区)に行くことになり、
3時間ちょいの睡眠しか取れず、寝不足でしたが、
何とか予定通り電車に乗り込めました。

夕方頃に用が済んだのですが、
折角ここまで来たのに手ぶらで帰るのも勿体ないので、
「葛飾と言えば柴又?」などと思い、
途中の駅だったこともあり寄っていくことにしました。

まぁ反射的に「寅さん」が出てきた訳ですよ。
亀有に行って「両さん」に会っても良かったのですが、
どうも最近出張中で見当たらないらしいので…。

―とかいう冗談はさておき、
最近のチャレンジ精神旺盛な私は、
この機会にと、柴又散策を敢行してしまったのでした。
柴又観光敢行してしまったのでした。
(シャレを言う為に言い直さなくて良いよ)。

……。
………。

柴又駅の改札を出て、
早速真っ正面に見付けました、「寅さん像」。
夕日が沈み始めてはいましたが、
何とか写真を撮って参りました。
S0011_1





時間もなかったので、
柴又帝釈天(たいしゃくてん)へ急いで行きました。
途中の界隈(帝釈天参道)の提灯がまた、
良い味を出していました。

S0024





お参りをした帰り道、
寅さんの初期作品の撮影に使われたというお店で
草だんごを買って食べました。
おいしかったです。

散策と言ってもこれだけのことだったのですが、
短時間ながら十分雰囲気を堪能して来られました。

あと、近くに国道6号が通っているので、
通称の「水戸街道」という案内標識を見掛け、
ちょっと嬉しくなりました。
それと、確か金町駅だったと思うのですが、
駅近くの自販機でマックスコーヒーが売っているのを見て、
ちょっとだけ嬉しくなりました。

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2007年2月22日 (木)

“ほぼ”50,000km走行突破

うーん、微妙…。

いやね、今日書く題材が逃げてっちゃったんですよ。

実は、私の愛車の乗り始めからの総走行距離が、
今日で50,000kmに達する筈だったんです…。
ところが、家に着いた瞬間ふとメーターを見ると、
何と、僅か1km届かなかったことに気付いたのです。
ゴルフで例えるなら、
バーディーパットが僅かにカップに嫌われ、
後は目を瞑っても沈められるような
パーパットを軽く押し込むだけという、
悔しさと切なさだけが残ったような状況でした。

途中でメーターを見ていたら、
あるいは距離を稼ぐために、
少し回り道をしていたかもしれませんが、
一度家に着いてしまったのに、
わざわざそのためにまた少しばかり走るのも、
周りから見たらちょっとバカらしいかと思い、
ややしっくりしないながらも車を降りました。

ということで、正確にはまだぎりぎりで未達成ですが、
もう次乗った瞬間に達成するようなものなので、
少し悩みましたが、予定通り記事にすることにしました。

運転歴1年11ヶ月弱での50,000km到達により、
1年で25,000km以上乗っている計算になります。
来年度からはこのペースが
ガクンと落ち込むことがほぼ確定的なので、
こういうハイペースな記録も今回が最後となるでしょう。
その理由は一部の人には既にお伝えしましたが、
いずれこのブログでも発表したいと思います。

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2007年2月19日 (月)

「東京マラソン2007」?

な~んか1ヶ月程前から、
特に「どこで」という訳でもなく、
何となく「東京マラソン2007」という文字を
目にすることが多いような気はしていました。

まぁでも、今のところ、私は、
県内の大会を中心に参加していこうという程度なので、
あまりこの大会について調べようとも思わず、
それに「今年はちょっとアピールに
力を入れているのかな?」とか、
「今まではあんまり興味なかったから
気付かなかっただけで、
毎年宣伝はしてたのかな」と思った程度で、
「確かこれって毎年開催されているんだよなぁ」
というくらいに思っていました。

親友のブロ雅氏の結婚式の翌日であるということと、
有森裕子選手が現役ラストランに決めている
大会だということを1週間ほど前に知り、
ちょっと興味を持った程度でした。
むしろ、結婚式の翌日に帰宅の予定だったので、
都内の交通規制に引っ掛かり、
帰れなくなるのではないかという方が心配でした。

結局、混雑時の時間をずらすために、
初めてIKEA港北店に立ち寄ったりしたためか、
大した渋滞等にも巻き込まれずに
無事帰って来られたのですが、
今日になって新聞を見てみて、私は衝撃を受けました。

東京国際マラソンなどに代わる大会として、
今年初めて開催されたと言うではありませんか。
道理でアピールしまくっていた訳ですよ。
「いつかはフルマラソンに出たい」
とか言っている割には、
世間の話題に全く無頓着だったことがバレバレです。
何より、第1回大会という記念すべき大会に
出そびれてしまったことが悔やまれます。
もしそうだと分かっていれば、
もしかしたら申し込んでいたかもしれません。

とは言え、まだまだ私のランナー人生は始まったばかり。
全国の大会を把握する程の視野の広さは
まだ持ち合わせてはいません。
青梅マラソンなどはそのうち出たいなと思っていますが、
まだ県外に目を向ける余裕などありません。

それに、この東京マラソンは、
いろいろ参加資格なども設定されているので、
一度もマラソンを走ったことのない一般市民としては、
自己ベストを知ることの方が先決のようです。
まして、応募人数が定員を3倍も上回ったとかで、
抽選で参加者を決めたという話ですから、
絶対に出られるという保証がある訳でもないですし。
今回は、多分練習不足だったと思いますし、
結婚式とも重なっていましたし、
天候も雨でコンディションも悪い大会でしたし、
挑戦するには時期尚早だったと思いますし、
どのみち、条件としてはかなり厳しかったと思います。
まぁまずは焦らず、じっくり力を付けたいと思います。

大会運営などに関しても、
まだ改善点などはあるようですので、
全てを含めた上で、
来年度以降の出場を検討してみたいと思います。

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2007年2月18日 (日)

言葉にできない

言葉に出来ない―。

無理に何か言葉を選んだところで、
あの時の気持ちを正確に表せるものではない。


昨日、親友のブロ雅氏の結婚式に参列させて頂いた。
新郎新婦を祝っているというよりは、
自分も一緒に同じ空気に溶け込んでいる
というような感覚で、
まるで自分のことのように緊張したりして、
意識全体からして何だか夢の中にいるような
不思議な感覚の靄(もや)に包まれていた。
客観的に二人を見守っている感じは全くなかった。

例えるなら、本を読みながら感情移入して、
自分までその世界に入り込んで、
あたかも目の前でその世界が広がっているような
錯覚に陥る感覚と似ている。

そんな今の気持ちや感じたことを、
現実の言葉で表現しようとしても、
近い言葉は見付かったとしても、
あくまで近付けただけに過ぎない気がするし、
うまくまとめられる自信もない。
それだけ感慨深く特別な一時(ひととき)だった。

本当に自分事のように嬉しい出来事だった。
今思い出してみても興奮冷めやらず、
夢の中から抜け出していない自分が居る。
そんなぽわ~んとした状態なので、
なかなか寝付けない気もするが、
この2日間は確かに現実の出来事だったと信じて、
今夜は眠りに就こうと思う。

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2007年2月16日 (金)

10,000アクセス到達

そろそろ近付いているというのは気付いていましたが、
お陰様で本日を以て無事5桁の大台に乗りました。
10,000アクセスありがとうございます。
(記念すべき10,000アクセス目は
笑さんだったようです、ありがとうございます)。

まだ始めてから1年3ヶ月弱ですが、
こんなに早く到達するとは思いませんでした。
これも偏(ひとえ)に、
拙(つたない)いブログを贔屓して下さる、
読者の皆様の支えのお陰です。
そのことを忘れずにこれからも続けていく所存です。
今後ともご愛読宜しくお願い致します。

。。。。。。。。。。

今日は、勝田マラソン以来、
初めて軽めにジョギングをしました。
本当は大会の次の日にでも
早速開始しようと思ったのですが、
何だかんだやっているうちに、
延び延びになっていました。

勝田マラソンへ向けての当初の目標は、
10kmを1時間以内で走る
(自己ベストは1時間2分34秒)というものでしたが、
結局これを達成出来ていないのですが、
次回へ向けての目標は思い切って55分を目指します。
(ブログで予め宣言してしまうのは初めてですが、
公言することで自分を奮起したい狙いがあります)。
もう50日程度しかないので、
今からどこまで鍛えられるか分かりませんが、
少し目標を高く設定してみることにしました。

また、「なるべく早い段階で、フルマラソンにも
挑戦出来たら良いな」と考えています。
容易なことではないと思いますが、
フルマラソンを完走出来たら気持ち良いと思うので、
運動神経があまり良いとは言えない
ど素人ではありますが、挑戦してみたいと思います。

それと、毎度孤独のランナーなので、
何かネットなどで他のランナーと記録を競ったり、
励まし合うサイトなどを利用したり、
練習量を記録し、それに応じた商品が貰えるなどの、
何かのキャンペーンなどを目標に、
自分を鼓舞するという方法も考えたのですが、
やはり孤独のランナーらしく、
あまり変なプレッシャーもなく記録を綴っていけるもの、
と考えた時に、やはりブログという手段が浮かびました。
ということで、新たにブログを立ち上げようかと
考えながら今日はジョギングしていたのですが、
複数のブログを管理する自信がないので、
もうちょっと検討してみることにします。

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2007年2月15日 (木)

旅行直前のハプニング

◆今月8日頃からアクセス障害等が起きた影響で、
丁度その日ブログを書き終えてアップしようとして、
更新ボタンを押した後にエラーが発生し、
アップ直前に全部消えるという悲劇が起きました。
下書き保存か、全文をコピーしておけば、
何とか修復も可能だったのでしょうが、
この時は「一発更新」しようとしたのが裏目に出て、
最早一文字たりとも復活させることは出来ませんでした。
ということで、あれから1週間が過ぎた所で、
再度書き直すことにします―


今から丁度2週間前の2/1(木)のことになりますが、
その日は青森旅行へ出発する日で、
仕事からの帰り道、順調に家路を走っていました。
夜のうちに出発することを決めていたので、
極力早く帰宅したい気持ちはありましたが、
ここで焦ってトラブルにでも巻き込まれれば、
元も子もないので、逸(はや)る気持ちを抑え、
安全運転に努めていました。

とは言っても、何を持って行くかとか、
これからどういう段取りで行動するかなど、
頭の中であれこれシミュレーションしていたので、
若干考え事をしながらの運転になっていました。

職場を出てからしばらくは、
前に車が居ない状態が続いていたのですが、
15分程走っていると、信号待ちの時に、
前の集団に追い付きました。
私は、最大積載量19.5tの
ロングトラックの後ろに着いたのですが、
少し考え事をしていたせいで、
普通の車と同じような感覚で、
車間距離を取っていることに気付きました。
そのトラックからは、荷台から出てしまうくらいの、
長いH形鋼が確か3本載せられていて、
法律に則って赤札が結わえてありましたが、
ちょっと近付き過ぎるとフロントガラスに
接触してしまいそうな出張り具合でした。

夜間で周りが暗い上に
このH形鋼が水平に載せられていて
丁度突き出ている位置が目線の高さだったので、
距離感が掴み辛く、見辛く感じました。
「迂闊に近付いて接触でもしたら危ないな」
と思ったのと、何となくですが、嫌な予感もしたので、
少し車間距離を置くことにしました。

国道とは言え、街灯も少なくあまり明るくない道なので、
はっきりとは見えなかったのですが、
他にもH型鋼が2,30本載せてあるのが見えました。
“あおり”と呼ばれる、トラックの荷台の周囲を囲む部分
の高さを超えない程度に積まれてはいたものの、
ロープ等で積み荷が縛ってあるかどうかはよく見えず、
確認は出来ませんでした。
しかし、無造作に積まれていて、少なくとも、
しっかり縛ってあるようには見えませんでした。

「多分積み荷が落ちることのないように
積んでいるんだろうから、
心配することじゃないんだろうけど、
ちょっと不安だなぁ。」と思いました。
昨今、高速道路での積み荷落下事故で、
フロントガラスを突き破って運転席に突き刺さったとか、
車が押し潰されて玉突き事故に繋がった
などという事件を見聞きすることが時々あるので、
ちょっと怖いなと思いました。

また、この数日前に上司が、
「ちょっと(車で1分くらいの距離の移動)だから、
梯子を縛らないでトラックに載せたら、
着く直前の所で曲がった時に落っことした」
と話していたのをちらっと思い出し、
「その時は周りに誰も居なかったから事なきを得たけど、
もし通行人や何かに当たったりでもしてたら
ちょっと問題になってたよなぁ」
などと思い、今の現状と照らし合わせていました。

まずは、この突き出たH形鋼に突っ込まないことと、
念のため、万一の積み荷落下も想定して
運転することにしました。

それから15分くらいこのトラックの後ろを、
車2台分くらい空けて走っていたのですが、
ちょっとボーッとした隙に、アクセルが緩んだのか、
車3台分くらいの車間距離に開きました。
その時トラックは丁度街灯が全くない
暗がりの部分を走っていたのですが、
突然目の前から「ガララ~ン」という音がしました。
暗がりでその一瞬は見えなかったものの、
すぐに荷台から長さ3mくらいのH形鋼が
落ちてくるのが見えました。

落下する軌道がスローモーションで見え、
それを目で追っているというような、
不思議な時間の感覚に一瞬襲われました。
しかし、すぐに現実に意識が戻り、
慌てて軌道を見極めて、これを回避しました。
幸い、落ち方が行儀良く、
道路の左端に縦向きに転がったので、
後続の車も難なく避けられたとは思いますが、
運転手は気付いたのか気付かなかったのか、
速度を落とすこともなく
そのまま走り去ってしまいました。

まさか本当に落ちてくるとは思いませんでした。
きっと段差か何かでトラックが
上下に弾んだ弾みで落ちたのだと思いますが、
あの時感じた嫌な胸騒ぎが的中しました。
逸る気持ちを抑えて車間距離を保ったことで、
命拾いしました。
もしあの時普通の車間距離だったら、
旅行に行くどころか違う世界に逝く所でした。
運が良くても車が凹んだとか何とかで、
事故処理などの手間が掛かっていて、
旅行どころの話ではなかったに違いありません。

今思えば、あの時の上司の何気ない会話ですら、
私に注意を促そうとする
神懸かり的な忠告だったのかもしれないと思えます。
前に神社で買った交通安全のお守りは、
これまで何度私の命を救ってくれたか分かりません。
本当に感謝の言葉が尽きません。
生きてて良かった~。

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2007年2月14日 (水)

服を畳む感覚

笑う門には福来たる、笑う為には服畳む。

ということで、今日は久し振りに自分で服を畳みました。

何かおかしな一文ですよね。
でも実際のところ、
大学を卒業して実家に戻ってからの2年間は、
ほとんど自分で服を畳みませんでした。
洗濯もほとんど自分でやっていませんが、
母が洗濯して干してくれた服を、
下手するとハンガーから直接、
乾いた物から順に着ていくという有様で、
若しくは母が畳んでくれるのを待つくらいで、
自分では全然畳むことをしませんでした。

学生時代(特に大学3年くらいまで)は
几帳面に自分で洗濯とか料理とか片付けなどを
やっていたものですが、
忙しくなってからは家事に時間を掛けるのを嫌い、
「畳まなくてもどうせまた着るんだから」という発想で、
洗濯物を畳むという工程を怠るようになっていました。

別に散らかそうという意識はないですし、
逆に、散らかしたくないとも思っているのですが、
気が付くと脱ぎ散らした服がそこらじゅうにあって、
自分のだらしなさを余計に痛感していました。
家事出来るだけ手を付けないよう意識していたばかりか、
自分のことすらほとんどやらなくなっていたので、
ここ数年はそんな自分の理想と懸け離れていく
自分のだらしない生活態度に
よくよく嫌気が差した生活を送っていました。

部屋が汚いことも凄く気にしていて、
ブログでも時々そのことに触れていましたが、
どこから手を付けて良いかということを考えた時、
まずは服を整理整頓することが肝心だと、
途中から気付くようになりました。

冬場なのに夏服が思い切りのさばっている反面、
冬服が衣装ケースの奥の方に押し込められたままで、
一部の服だけで毎回遣り繰りしているような、
そんな使い勝手の悪さも、
どこかすっきりしない原因の一つでした。
「片付けたいならまずは服から」
というのが急務で、至上命令でした。

そして、今日ようやく実行に移すことが出来ました。
自分で服を畳み始めてみると、
昔の習慣を体が覚えていたのか、
次から次へと畳みたい衝動に駆られ、
無事夏服と冬服の入れ替えも完了しました。
(そうこうしているうちに、
また夏服が必要な季節になりそうな気もしますが)。
やっぱり自分で畳めば愛着も出ますし、
五感も刺激されて良いもんですね。

パッと見た感じではどこが綺麗になったかは
まだあまり分からないのですが、
自分の中ではだいぶ進歩した一日となりました。

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2007年2月13日 (火)

「つくばナンバー」交付開始

「水戸」と「土浦」しかなかった県内の自動車ナンバーに
今日から「つくば」が加わりました。
「ご当地ナンバー」として
最初に導入が決まった18地域のうち、
17地域に関しては昨年10月10日に導入され、
県税システムの更新時期に合わせた「つくば」だけが
唯一導入時期を遅らせていました。

これで18地域全てのご当地ナンバーが出揃い、
今後も引き続き、新たな地域での導入が
検討されるのかはこれからだと思いますが、
一部では静岡と山梨に跨(またが)って
「富士山ナンバー」が実現されるかどうかも、
かなり話題となっているようで
興味深いところではあります。
ただ、ナンバーの名称は本来、
「自動車検査登録事務所の所在地」を示すものであり、
「ご当地ナンバー」はその本質からは大きく逸脱しており、
観光地などで全国的な知名度の高さがあるからと言って、
簡単にナンバーに冠されて良いものなのか、
何の疑問も抱かずに居る訳ではありません。

濫用が良くないのは勿論ですが、
全国へアピールしたい地域はごまんとある訳で、
今回選考から漏れた地域への不公平さや不満は、
そういった地域が一番感じていると思います。
(勿論、現在申請を検討している地域も、
将来的に採用されなければ同様に思うでしょう)。
ナンバープレートのような
硬派であるべきものではなくて、
もっと別な方法を考えても良かったのではないかな、
と疑問を投げ掛けたい気持ちもあります。

そんな手放しに喜んでばかりもいない
保守的な性格の強い私ですが、
あまり堅苦しいことを熱弁して
世の中の流れに抵抗していないで、
ここは素直に受け入れることにしましょう。
少なくとも、「つくばナンバー」導入には、
対象地域住民の8割以上が賛成だったという話ですし、
部外者の私がどうこう口出し出来る問題ではないので。

そのうち、県内の至る所で見掛けるようになるであろう、
「つくばナンバー」の実物は如何なるものか、
一刻も早く拝見したいものです。

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2007年2月11日 (日)

かしてつとグリーン車初乗車

昨日は、茨城王のオフ会で、
鹿島鉄道(石岡~鉾田)(通称:かしてつ)
に乗ってきました。
存続問題で揺れていた鹿島鉄道は、
私にとってはあまり馴染みのなかった電車とは言え、
県内から鉄道が消えることは他人事ではなく、
存続して欲しいと願い、動向に注目していましたが、
結局二転三転の後、
今年の3月末を以て廃線となることが
正式に決定してしまいました。
県内では日立電鉄(2005年3月末廃線)以来です。

廃線問題が騒がれるようになってから乗りに行くのでは、
単なる野次馬根性と揶揄されるかもしれませんが、
何の力にもなれなかったせめてもの償いと、
記憶に焼き付けておきたいという惜別の思いから、
廃線の前に乗っておきたいと思っていました。
S0050_1





廃線になってから脚光を浴びるとは皮肉なもので、
普段からの利用客にとっては、
物珍しさで訪れ、騒ぐ客たちのことを、
迷惑な目で見ているのかもしれません。
似付かわしくない程に満員の乗客を乗せ、
線路脇でカメラを構える愛好家の横を走る様を、
鹿島鉄道自身はどう思っているのでしょうか。
ひっそりと廃線を迎えた日立電鉄とは
対照的なくらい賑わっていただけに、
余計に皮肉な光景や鉄道の無念さを感じました。

しかしながら、ローカル線らしい情緒豊かな
沿線風景を堪能させて貰いました。
変に洗練されておらず、
昔ながらの面影が随所で見られたりして、
味わい深い鉄道だなと思いました。
時代の流れとは言え、
後世へ残せないのは残念でなりません。
S0122 





何でもハイテク化され、
整然と洗練されていくのも大事ですが、
歪(いびつ)で不揃いで、ちょっと古臭いのも、
それはそれで古き良き時代の産物であり、
「何でもかんでも淘汰すれば良い
というものでもないな」と思いました。
もうまもなく現役でなくなると思うと寂しいです。
S0055





そんな鹿島鉄道とはガラッと変わりますが、
3月のダイヤ改正に於いて、
常磐線では普通列車が全て新型車両に置き換えられ、
グリーン車(4,5号車に連結)が導入されます。
その本格導入を控え、現在プロモーションとして、
無料でグリーン車を体験出来るのですが、
ただでさえ電車に乗る機会が少ない上、
水戸駅を発着している電車となると、
グリーン車を連結している本数が限られてくるため、
なかなか試乗できずに居ました。
しかも、日によって連結している電車が違うので、
完全に狙って乗らないと乗れない状況でした。

一度は体験しておきたいと思ったのですが、
このままずるずるとダイヤ改正を迎え、
無料試乗期間は終わってしまうのかという
不安さえ過(よぎ)り始めていましたが、
今回のオフ会で石岡に行くのに乗れたばかりか、
帰りまで乗れてしまうというおまけ付きで、
1回で2度も優雅な気分を味わえました。
揺れが少なく、しかも2階部分で快適でした。
普通列車に乗っていることを
忘れそうになるくらいの乗り心地でした。
休日ということもあり、親子連れも多く見られましたが、
一番はしゃいでいたのは親たちでした。
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2007年2月 7日 (水)

青森旅情記・4

▼2月3日(土)~4日(日)『第2日~帰宅』

最終日の朝を迎えました。
急いで身支度を調えて、
コテージを後にし、朝食を摂りました。
天気はそれ程良くありませんでしたが、
パノラマが広がる海が綺麗でした。
本当はもっとじっくり眺めたかったのですが、
電車の時間が迫っていたので、
泣く泣くウェスパ椿山を後にしました。

五能線の旅も秋田に入り、
写真をセーブしながらもやはり撮りたくなりました。
しかし、途中から海岸沿いの旅に別れが訪れ、
徐々に内陸部へと進んでいきました。
雪化粧の田園の中を突っ切るように進んでいきました。

東能代で奥羽本線の特急を待っていると、
目の前に来たのは何と寝台特急。
時刻表をよく見ていなかったので気付きませんでしたが、
よく見ると「日本海3号」という寝台特急だったのです。
見たことはありましたが、乗ったことはなく、
こんな形で乗れるとは幸運でした。
本当ならだいぶ前から予約しないと
乗れないでしょうからね。
大阪発の寝台特急に夜が明けてから
東能代で乗り込むという変則的パターンでした。
寝台は使えませんでしたが、
雰囲気は十分に楽しめました。
S0511_1





もう日本海の景色を見ることは出来ませんでしたが、
内陸部の方が降雪量が多かったのか、
雪ですっぽり覆われた景色は素敵でした。
また、山や木々も雪化粧が綺麗で、
それはそれで絶景でした。
ちょっと眠たかったのですが、
今しか見られない景色だと思って、
極力目に焼き付けようと、ずっと起きていました。
写真もやはり撮りまくってしまいました。
S0506





昨日に続き、再び弘前駅に降り立ちました。
そこから弘前市内循環100円バス
(土手町=どてまち=循環バス)に乗って、
弘前市役所前で降りました。
旧弘前市立図書館という奇抜な建物を見た後、
青森銀行記念館に行きました。
その後、追手門から弘前公園へ入りました。
上っ面だけとは言え、公園の外周を囲むお堀の水が
凍っていたのには驚きました。
S0539





今回の旅全体について言えるのは、
わざわざ冬の時期に寒い地方に来ておきながら、
スキーをするでもなく、雪まつりを見るでもないという、
時期的にも方向性的にも中途半端さがありました。
だからこそ、観光客でごった返すこともなく、
事がスムーズに進んだとも言えます。

兎に角、この弘前公園でも、来週9日から始まる
「弘前城雪灯籠まつり」の準備が進められていました。
1週間ずれていれば祭を見られたのですが、
まぁそう3連休は貰えるものじゃないですからね。
(世間的にはむしろ9日からが3連休ですが)。
ショベルで雪を掻き集めた跡がありましたが、
ちょっと雪が足りないようでした。

公園内は人が歩いた所以外は雪が深く、
至る所に桜が植えられていましたが、
時々溶けた雪が枝から落ちてきて、
頭上を注意しながら歩かなければなりませんでした。
雪の被った弘前城を見られると期待していたのですが、
既にお昼を回っていたこともあり、
ちょっと被っている程度でしたが、綺麗でした。
公園内にある橋は赤く塗られていましたが、
雪の白さとのコントラストで赤色が引き立ち、
綺麗に映えていました。
S0572





北門から一旦園外へ出て、
また桜並木ロードを通って戻ってきました。
きっと春先は綺麗な桜並木なのだと思います。
S0575





その後循環バスで駅に戻り、
特急つがる24号で青森へ行きました。
見た目はフレッシュひたちの兄弟のようで、
車内放送もほとんど同じパターンでした。
車内案内も日本語版が男性の声で、
続いて女性の声で英語版が流れました。
ただ、多目的室というのが設けられているらしいのと、
フレッシュひたちやスーパーひたちのように、
電光掲示板でニュースを流していない所が異なりました。

途中で進行方向が変わるとか何とか言っていたので、
その影響なのかもしれませんが、
いきなり座席が後ろ向きのまま発車したので
かなりびっくりしました。
ひたち号なら上野で座席の向きを変えてくれるのですが。
乗り慣れている人にとっては違和感ないようでした。

青森駅に着き、最後の目的地である、
三内丸山遺跡行きの市営バスを待つ間、
空き時間が数十分あったので、
コンビニに入ると「丸かぶり寿司」が売っていました。
よく考えてみるとこの日は節分でした。
恵方を向きながら丸かぶりすると
縁起が良いとか何とかというのを
以前テレビで見たのを思い出し、
昼食をまだ食べていなかったこともあり、
「丁度良いな」と思って、買って食べました。
おいしかったのですが、かなり食べ応えがあり、
思っていた以上にお腹が膨れました。
今年は良いことがあるようにと思って買ったのですが、
願い事をしながら食べないといけなかったようで…。

すると、必死で丸かぶりしている視界の先で、
駅のホームに停まっている電車が目に留まりました。
「お、おまいは…水郡線じゃないか…!」
そう言えば、ちょっと前に為五郎さんがコメントで、
「旧車輌は盛岡に行くことになった」と
書き込んでくれていたようなことを思い出しました。
もしこの場に鉄道に詳しい方が居たら、
きっと適切な説明をして頂けたと思うのですが、
私はあまり詳しくないので、「きっと水郡線だろう」
という勝手な前提で写真を撮っておきました。
もし違ったとしても、JR小海線と同様、
車輌が同じであることに違いはないので、
またしても青森で見付けてしまった意外な繋がりに、
三度(みたび)心が躍ってしまったのでした。

さて、ようやく来た市営バスに乗ること30分。
三内丸山遺跡に着きました。
新聞やニュースに出ていたのを見たことはあっても、
まさか自分がここに来るとは思ってもみませんでした。
閉館まで時間がそれ程残されていなかったので、
急ぎ足で館内を回ったのですが、
遺跡に入ってすぐに気付きました。
「これじゃ雪が積もってて遺跡が見えないじょ…」。
復元された竪穴式住居などは分かるものの、
地面は基本的に雪に埋もれていて、
何が何だかさっぱり分かりませんでした。
その上、順路も人が通っていない所は雪で埋もれ、
雪も結構深く積もっていたので、
敢えて突撃する勇気もありませんでした。
ここに来られたことには満足したのですが、
出来れば雪のない時の方が良いかもしれません。
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青森に戻ってきて、夕飯に煮込みうどんを食べました。
結局青森らしい食事はあまり出来ませんでしたが、
今度来た時は計画的に食べようと思います。
帰りのバスの出発時刻まで2時間くらいあり、
どこにも行けず待つには少し長いという、
中途半端な空き時間が出来てしまいました。

かと言って、折角青森まで来たのに、
何もせずじっとしているのは勿体ないので、
少しでも歩いておこうと思って、
駅の側にある青函連絡船慰霊の碑を見てきました。
あと、「メモリアルシップ八甲田丸」も見てきました。
(時間的に中には入れなかった)。
「津軽海峡・冬景色 歌謡碑」も見てきました。

疲れて眠りそうになりながらも最後まで満喫し、
21:50発の後発の「ラ・フォーレ号」に乗り込み、
2日に渡る青森西部旅行に別れを告げました。
もっと時間があれば、十和田湖の方や、
下北半島、津軽海峡や八戸方面、
温泉巡りなどもしたかったのですが、
なかなか全部を回るのは厳しかったですね。
わざわざ往復を夜行バスにせず、
2泊して3日目の昼過ぎに新幹線などで
帰ってくればもっと長く居られたかな、
などと途中で気付いたのですが、
もう往復でバスの切符を買ってしまったので、
「次の日に疲れを残さないで済む」
ということで発想を切り替えました。
帰りのバスでは、周りを気にせずそれなりに眠れました。

という訳で、翌朝7時に東京駅に戻ってきました。
まるで何事もなかったかのように、
雪の欠片も見当たりませんでした。
その後、高速バスで水戸まで帰ってきました。
見慣れた日曜朝の街並みに、安堵感はありましたが、
どこもかしこも雪景色だった前日が、
早くも懐かしく恋しくなっていたのも事実でした。

この経験を糧にまた行きたいと思います。


-完-

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2007年2月 6日 (火)

青森旅情記・3

▼2月2日(金)『第1日』

夜行バスの旅は疲れましたが、
早朝から有効に青森を満喫出来るので、
疲れも吹っ飛びました。
早速、駅前の観光案内所に飛び込みました。
これから急いで2日間の予定を
組まなければなりませんでした。

すると、そこに置かれている資料で気になる物が!
「サーベイ青森」(昭文社)。
これは「サーベイ茨城」の姉妹品ではござらぬか。
急に嬉しくなる私。
(後でよく見てみた所、「サーベイ茨城」の表紙の裏に、
「サーベイ青森」がシリーズの先駆けだと記されており、
更にネットで他のシリーズが出ていないか調べた所、
現在、「兵庫」と「愛知」版も刊行されたそうです)。
いずれにしても、意外な繋がりに興奮しました。

10時過ぎにようやく旅の計画が決まりました。
本当は「リゾートしらかみ」号という観光列車に乗って
五能線の旅を楽しみたかったのですが、
ダイヤの都合でどうしても断念せざるを得ませんでした。

当初は青森市内での宿泊を予定していたのですが、
最大のネックである五能線の本数の少なさにより、
乗り継ぎの自由があまり利かないこともあり、
「ウェスパ椿山」という所で温泉に入って宿泊し、
2日目は五能線で残りの東能代まで南下し、
そこから奥羽本線で内陸部を北上し、
弘前などに寄って観光するというプランに変更しました。

奥羽本線でひとまず弘前まで行きましたが、
水郡線のようにドアの開閉が押しボタン式でした。
免疫が出来ていたので驚きはしませんでしたが。
そして弘前で昼食に津軽そばを食べました。
ところで気になったのが、
青森や弘前の街中で見掛けた
ダイドードリンコの自動販売機でした。
「よぐ来たねし」という方言と共に、
「この自販機は津軽弁でご案内します」
と書かれたステッカーが貼ってありました。
なかなかユーモアがあって良いアイディアですね。
S0017





さて、いよいよ五能線の旅が始まりました。
初めは雪化粧の風景が広がっていましたが、
初めて日本海が見えた時には、
その素晴らしさにまた興奮してしまいました。
あまり日本海とは縁がないもので。
冬の荒れる日本海の姿は絵になっており、
日本の古き良き姿という感じがしました。
日本画などにありそうな情景でした。
S0166




S0378





自然が見せてくれるその美しさに、
思わずシャッターを押しまくっていました。
絵になる情景がずっと続くので、撮り続けた結果、
まだあと1日残っているというのに、
撮影可能枚数が残り30枚くらいになってしまいました。
途中から少しセーブしたのですが、
それでも思わず写真に収めたい風景は
次から次へと広がっていました。
S0384





それと、湘南が鳶ならば、この辺はまさに鴎ですね。
♪「カモメ、カモメ、カモメ~」
と『おさかな天国』のノリで心の中で口遊(ずさ)み、
「カモメが飛んだ~」「かもめ~の水平さん」
などとも頭の中で歌っていました。
もう兎に角、カモメ天国でした。
S0382





その後この電車の終着の深浦駅で降りました。
そこから数駅先のウェスパ椿山駅までタクシーなどで
移動するという手筈だったのですが、
これから行こうと思っていた「不老ふ死温泉」の
無料送迎車が駅に来ていて、
本当は別の予約客のために来ていたのですが、
文字通りちゃっかり便乗させて貰い、助かりました。
S0345





この日ずっと降ったり止んだりしていた雪の影響で、
露天風呂には入れませんでしたが、
2日近く風呂に入れていなかったのでさっぱりしました。
ここの温泉は赤っぽい色をしていて、
鉄棒を握りしめていた手の臭いを嗅ぐような臭いで、
多分酸化鉄が含まれていたのではないかと思います。
あと、塩分も含まれているらしく、しょっぱかったです。

温泉に浸かりに来ていた地元のお客さんに、
どうやってウェスパ椿山に行くのか尋ねたところ、
「若い人ならこっからすぐだから歩いて行ける」
と言われ、信じて歩いていったのですが、
2.5kmも先で、すっかり湯冷めしてしまいました。
海の側だったこともあり、湯冷めを通り越して、
むしろ凍死するんじゃないかと思いました。
ただ、日程上、「ブナ原生林のトレッキング」を
予定に組み込むことは出来なかったのですが、
この道程で雪ののし掛かった樹林の側を歩いていたので、
“なんちゃってトレッキング”の気分は味わえました。
何とか辿り着いた時には日が暮れてしまいました。
後で思ったのですが、フロントに電話して、
普通に車で迎えに来て貰えば良かったなと思いました。

辺りはすっかり暗かったので、
ライトアップされた施設しか見えませんでしたが、
確かに洋風でオシャレな感じはしました。
フロントで受付を済ませている時、
そこに貼ってあるポスターに、
「日立」の「ハチロク」がどうのこうのと書かれており、
「ああそう言えば、こっちの方に移されたんだよなぁ」
などと思い出し、また意外な繋がりを見付け、
サーベイ青森に続き、ちょっと感動していました。

すっかり冷え切った体を温泉で温めました。
またしょっぱい温泉でした。
夕飯に「チャンチャン焼き」というのを食べました。
味噌だれが染みた鮭がおいしかったです。

コテージでテレビを観ていたら天気予報をやっていて、
「さんぱちかみきた」という表現が気になりました。
茨城で言う「鹿行」地域みたいなものなのでしょうが、
自然に連発していました。
多分「三八上北」(三沢、八戸、上北地域の略?)
という意味なのだと解釈しておきました。
あと、「FLET'S光」のNTT東日本秋田支店の、
方言を交えた戦隊物風CMが笑えました。

結構綺麗な施設で、
昼間だったら絶景を拝めたようでした。
本当ならもっとゆっくりしていたかったのですが、
翌朝は8:04発の電車だったので、
朝食すらゆっくり摂れない状況でした。
ようやく在り付いた布団に潜り込むと、
朝まで完全に熟睡していました。

―ということで、残すはあと1日。続きは4章で!

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2007年2月 5日 (月)

青森旅情記・2

▼2月1日(木)~2日(金)『いざ青森』


さて、無事計画通り水戸駅に着いた私たちは、
フレッシュひたちに乗って上野へ向かいました。
その車中で、計画の詳細についてなどの意見交換や、
変更案の提起などを行いました。
ただ、いずれにしてもまずは青森行きの
夜行バスのチケットが取れないことには、
それ以上話を進めることは出来ませんでした。
加えて、前日に多少はネットを使って、
観光に役立ちそうな情報を集めようとはしたものの、
何しろ旅行の準備すら出来なかったくらいなので、
詳しい情報を得るには至らず、
行った先の観光案内所や観光パンフレット、
書店での情報誌などを当てにするしかなく、
情報が乏しいこの時点では、
計画の膨らまし様がありませんでした。

ところで、出発前、夜行バスに空席があるのを、
ネットで確認だけしてはおいたものの、
東京に行くまでに売り切れてしまわないとも限らず、
どういう訳かみどりの窓口で扱っていなかったことで、
少し焦りがありました。
まだ木曜であり、特に繁忙期でもないということで、
多分満席にはならないだろうと予測はしていましたが、
如何せん利用したことがないので、
読みが当たるか外れるかも分かりませんでした。

そういった先行き不透明な状況下にあって、
幸いなことに着実に計画通り事が進みました。
東京駅に着いた私たちは八重洲南口へ行き、
JR高速バスチケット売り場へ買いに行くと、
まだ完売していなかったので、
無事往復分を手に入れることが出来、
一番心配していた、まず青森へ行くための手段が、
これで確保出来ました。
これによって、青森旅行が実現することになりました。

発車時刻は先発の21:50発(青森7:00着)でも
間に合いましたが、敢えてゆとりを持たせるため、
後発の22:50発(同8:00)にしました。
かくして計画通り「ラ・フォーレ号」に乗り込み、
冷え込みの厳しかった夜の東京を発ちました。
座席は横3列で通路が2本という、
夜行バスならではの奇妙な配列でした。


私は枕が変わると寝付き自体は悪くなりますが、
基本的に布団で寝る分にはある程度眠れます。
しかし、夜行バスのように布団でない上に、
背中を伸ばせないような場合だと、
ちゃんと眠れた試しはほとんどありません。
よって、今回も眠れなそうだなという予測は
安易に付いたのですが、
寝不足続きで疲れていたこともあって、
「もしかしたら今回は眠れるかもしれない」
と密かに期待していました。

…が、やっぱり駄目でした。
頭上の荷物棚でバスが揺れる度に、
ステンレス製のフライパンか鍋が当たるような音がして、
気になってしまったのです。
そのうち尻が痛くなってきて、
太腿にも圧を分散するようにリクライニングシートを
起こしたり倒したり、膝下用シートの角度を調節したり、
座る位置を深くしたり浅くして眠ろうとしては、
やはり眠れずにシートのフィット感が気になり、
またちょこちょこ角度を調節しては
尻の痛みを如何に分散するかばかりが気になり、
一向に眠れる状況は訪れませんでした。

それでも気付くと2時間くらいは、
浅い眠りながら何とか寝ていたようでした。
けれど、夜中の3時に目が覚めると、
エコノミー症候群対策で
こまめに飲んでいた緑茶の影響か、
ちょっとトイレに行きたくなっていたので行くと、
その後は一睡も出来ずに朝になりました。
夜中になってみんないびきを掻き始めたので、
尚更気になって眠れなくなってしまったのです。
人のいびきを聞くと眠れなくなってしまう質なのです。
特に、2つくらい前に座っていたおじさんのは兎角、
「五月の蠅」と書いて五月蠅(うるさ)過ぎました。
よく小さい子が真似する豚の鳴き声のような
いびきの掻き方で、気になり出したが最後でした。

窓側に座っていたせいで、明け方になると、
外気で窓が相当冷やされているのか、
カーテンと窓の間は相当冷たい空気が充満していました。
冷気のほとんどはカーテンで遮られているものの、
カーテンの下から少しずつ漏れ出していて、
窓寄りだった右半身は冷え始めていました。

一向に眠れないのでカーテンの隙間をちらっと見遣ると、
高速道路に雪が積もっているのが見えました。
まだ初雪を見ていなかったので興奮しました。
ほとんどの人はいびきを掻きながら、
芸術的なくらい器用な格好で寝入っていましたが、
私はこっそりと一足早く雪の景色を楽しんでいました。

少しずつ近付く青森のことを思い浮かべていると、
「雪国」「津軽」「日本海」という
キーワードが浮かびました。
その瞬間思いました、「…演歌っぽい」。

♪「八重洲発の夜行バス降りたときから~…」

S0321





当初は、「1日目はレンタカーか何かで散策して」
という計画だったのですが、
雪が降りしきる光景を見て、
即「レンタカーはやめよう。公共機関にしよう」
とあっさり諦めました。
運転出来ないこともないでしょうが、
雪道は気が抜けないですし、
知らない土地で運転するのも気を遣いますからね。

雪の影響で到着予定時刻より30分程遅れていたので、
金曜の朝8時過ぎの青森の街並みは、
普通の通勤・通学風景でした。
5cmくらいだと思いますが雪が降り積もっていて、
関東だったら一大ニュースになっていそうなものですが、
青森では大したことではないのでしょう、
特に交通機関が麻痺しているでもなく、
普通の速度で車が大通りを往来していました。
むしろまだ少ない方なのでしょうね。

そして、とうとう青森の地に降り立つ瞬間が訪れました。
いや~もう感動しました。
生まれて初めてこの地を踏みました。
思い立つ日が吉日、本当に来てしまったのです。
雪が舞う青森駅前で一人感慨に耽っていました。
S0006





―いよいよ青森に着きました。この続きは3~4章で!

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2007年2月 4日 (日)

青森旅情記・1

突然の青森への旅立ちから只今戻って参りました。
撮った写真は518枚に及び、
512MBのメモリーカードでは全然足りませんでした。
写真の枚数からも分かるように、
恐らく1つの記事にまとめようとすると、
物凄く長くなってしまうと思います。
また、まず「何故青森へ旅立ったか」
という点が気になるかと思いますので、
それらを踏まえた上で、
『1章~出発までの経緯~』と
『2章~いざ青森~』、
『3章~第1日~』
『4章~第2日から帰宅~』
の4章に分けて書こうと思います。


▼1月29日(月)~2月1日(木)『出発までの経緯』

抑(そもそも)、2日(金)~4日(日)までの3日間
(最終的には5日(月)までの4日間になった)
が連休になるということが決まったのが、
先月の29日(月)のことでした。
代休の予定が急遽翌日にスライドしたためでした。
たまにしか3連休を取れない私としては、
「これは何か思い切った使い方をしないと、
折角の3連休が勿体ない!」と真っ先に思いました。

そこですぐに遠出(旅行)しようと思いました。
2連休止まりではあまり遠くへは行けませんが、
3連休となればまさか距離も延ばせます。
近場は無理すればいつでも行けるので、
普段なかなか行けない所へ行きたいと思いました。

そこまで考えて、友達に予定を聞きました。
一人旅も気楽で良いのでしょうが、
やはり複数の方がいろいろ見聞きしたものを
共有出来て楽しいだろうと思うのです。
「明日、休みを取れるか確認してみるよ」
という返事ではありましたが、
休みが取れたらどこに行くか話をしました。
「仕事が終わった後、夜(1日・木曜)のうちに
出発出来るようだったら出発しよう」
ということだけは決めたものの
良いアイディアが浮かばず、
その日は「また明日考えよう」という話になりました。


「休みが取れそうだ」という返事を貰ったのが
30日(火)のことで、その晩は、
「寒い時期だから、暖かさを求めて南の方へ行くか、
敢(あ)えてこういう季節に北へ行ってみようか」
などと話し合いました。
29日の時点では、ドライブ旅行を描いていましたが、
ドライブだと小回りが利く分、
疲れが溜まったり残ったりして、
精神的にも肉体的にも辛いということと、
どうしてもフェリーなどを使わない限り
移動距離が限られてくるのが難点でした。
南へ行けるとすればせいぜい静岡辺りが
限界かと思われました。

逆に北へ行くなら、雪が降っていると仮定すれば、
運転するのはリスクを伴う心配があったことと、
最悪の場合、宿が取れず車で野宿になった時、
この季節では寒すぎて耐えられない恐れがあったのと、
東北地方は1県当たりの面積が大変広いため、
距離的なことを考え、帰りのことも考えると、
やはり南東北が限界かなと思われました。

ところで、私がまだ電車や車で通過したことすらない
(飛行機で上空を通過したというのは除く)県は、
全国でも10県あるかないかで、
大部分の地域には行ったことはあるのですが、
北は青森・岩手、南は佐賀や大分などで、
四国地方も行ったことはありませんが、
兎に角そういった地域にも
必ず足を運びたいと常日頃思っています。

そこで、ドライブの最遠出記録を作るか、
公共機関を利用して出来るだけ遠くへ行き、
まだ行ったことのない地域へ旅行に行くか、
という大まかな目的の選択肢までは立てたのですが、
この日は仕事で帰宅が遅くなったこともあり、
あまり細かいことを考える気力が起きませんでした。
結局また結論は翌日に持ち越しとなりました。


31日(水)も疲れていて、
本当はすぐにでも寝たかったのですが、
早ければ翌晩には出発するという計画だったので、
起きているだけでも精一杯だったとは言え、
流石に「続きはまた明日考えよう」という訳には
いきませんでした。

改めて日本地図を広げて
どこへ行きたいか検討しました。
「出来れば青森か岩手辺りに行きたいな」
という風に気持ちが固まりつつあったので、
その辺を中心に調べてみると、
「JR五能線」という電車が取り上げられていました。
あまり私は鉄道について詳しくないのですが、
日本海側の波打ち際を走る電車で、
その絶景が素晴らしく、ファンの間では、
一度乗ってみたい電車として有名らしかったので、
「是非その電車に乗って絶景を見たい」と思いました。

三陸鉄道ともちょっと迷ったのですが、
太平洋側でしか生活したことのない私にとって、
日本海を臨む景色というのは大変魅力的で、
しかも青森という本州最北端の県は、
行ってみたいがなかなか行けずにいた
大変興味深い所でもあったので、
もう私の中では「青森に行って五能線に乗る」
という構図がほとんど出来上がっていました。

更に高速バスを調べてみたところ、
最近になって、東京から一日2便、
夜行バスが運行を開始したことが判明し、
しかも片道1万円、往復1万7千円という
新幹線や飛行機では考えられない割安料金を見て、
夜行バスを使う以外の方法が完全に
選択肢から消え去っていました。
出発時刻には急げば何とか間に合いそうでした。

こうして、夜行バスを往復で利用し、
五能線の旅をメインに、
レンタカーなどを借りて青森市を中心に観光する、
ということでようやく夜中の2時過ぎに
大まかな旅行の概要を決めることが出来ました。
ただ、ネットなどではバスの席予約が出来ず、
しかも、バスの出発時刻に間に合うかどうかも、
うまく計画通りに事が進まなければ、
どうなるか分からない状況だったので、
かなりあやふやな計画性ではありました。

青森に行けるかどうかもまだはっきりしないのですから、
宿もまだ決められないばかりか、
どの都市に宿泊するかさえ決められませんでした。
ただ、すぐに携帯電話から申し込めるよう、
会員登録は夜の内にやっておきました。
そのせいで、また寝るのが3時を過ぎました。
翌晩出掛けるからには、前日はぐっすり寝て、
少しでも旅行へ向けて体調を整えたいところでしたが、
連夜の夜更かし続きで体の疲労は溜まる一方でした。


そうして、いよいよ不安と楽しみが入り交じった
出発日当日(2/1(木))の夜を迎えたのでした。
前日のうちに旅行の準備をする時間がなかったので、
仕事から帰ったらなるべく時間のロスを減らして、
電車や夜行バスに乗り遅れたりすることのないよう、
仕事の休憩中などに持ち物リストなどを作り、
帰宅後はそれに従って直ぐさま準備しました。
まさに時間との勝負でした。
いつもは時間ぎりぎりに行動しがちですが、
今回ばかりは万一のことなども考え、
時間にゆとりを持って計画を立てていました。

そんな中、ブログを書く時間も
少しは確保出来そうだったのですが、
時間に余裕を持って駅に着いておきたかったので、
何とかあれだけを書いて駅へと向かったのでした。


―以上が出発までの経緯(いきさつ)です。
この時点では、まだどうなるか先が読めませんでした。

でも完全な行き当たりばったりとは若干違うのです。
何となく大雑把な計画だけは立てているのです。
ただ、それがあまりに直前すぎるために、
予約が取れなかったり、
状況に左右されがちだったりで、
しっかり計画を立てられないということも言えます。

確かに、予めきちっと計画を立てられないので、
無駄なくおいしい所採り出来るように企画された
旅行会社のプランには勝てません。
本当は旅行会社の作成した旅行コースに
参加出来れば一番だと思います。
ちゃんとガイドさんや添乗員さんが解説もしてくれますし、
有名所もきちんと巡ってくれます。
時間の使い方にも無駄がありません。

しかし、私の今の現状では、
こうやって直前に貰った休みを、
如何に有効に使えるかと考えるしかない訳で、
だからと言って、日程的に厳しいから行かない、
というのではどこにも行けません。
あえて、そこで無理矢理敢行してしまう所が、
昨年から活動的になってしまった私の、
大きく意識が変わったところかもしれません。
だから、今回も「絶対青森に行く」と
強い意欲を持って臨みました。

ということで、この後どうなるのでしょうか。
続きは2章~4章で!

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2007年2月 1日 (木)

【業務連絡】旅に出ます。

今日はいろいろ書くことがあったので、
本当はゆっくり書きたかったのですが、
実は今から、青森に行ってくる予定です
チケットが取れるかどうかはこれからなので、
かなり先行き不透明な旅ではあるのですが。
ですので、最初から電車に乗り遅れたらまずいので、
もう精神的にも時間的にも余裕がありませぬ。

とりあえず、数日更新が空く可能性もありますので、
その時は宜しくお願いします。

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