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2008年1月の20件の記事

2008年1月31日 (木)

チャリティドリームマッチ 茨城GGVSサムライ

もう2週間近く前の話になりますが、
先々週の土曜日に横浜スタジアムで行われた
「チャリティドリームマッチ
欽ちゃん・松坂大輔のドンとやるの!
茨城ゴールデンゴールズVSサムライ」

を観戦してきました。

茨城GGの試合観戦は、2006年11月(於つくば市)に
友人N氏と行って以来2度目でした。
このチャリティドリームマッチは今年で2回目。
昨年はスポーツニュースでこの対決を知りましたが、
今年はスタジアムまで実際に行ってしまいました。
横浜スタジアムは、中学生の時に友達に誘われて、
初めてプロ野球(広島-横浜)の観戦に行った球場で、
入ったのはこちらも2回目でした。

今回は内野席のみの開放でしたが、
かなりの観客でスタンドが埋め尽くされていました。
私は無論、一塁側の茨城GG側に座りました。
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試合前のシートノックの時から、
進行役の方と萩本さんの掛け合いが面白かったです。

最初に、萩本、松坂両監督がマウンドで挨拶を交わし、
昨年ワールドシリーズを制した
ボストン・レッドソックスの松坂投手は、
観客に拍手喝采で迎えられました。
優勝の大きな原動力となった岡島投手の方が、
昨年末からのテレビ出演などの露出は
圧倒的に多かったイメージがありますが、
やはり松坂選手の人気も根強いことを再確認しました。

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選手宣誓を片岡安祐美選手が務めた後、
始球式は柳葉敏郎さんが務めました。
野球経験がないという柳葉さんのボールは、
キャッチャーのかなり手前でバウンドしてしまい、
打者の松坂大輔選手が完全に見送りました。
「………今のはなかったことに!」
ということで始球式のやり直しが行われ、
気を取り直して2球目で無事決まりました。

スタンドには関根勤さんや見栄晴さんが来ており、
また東貴博さんがサムライ側のベンチリポーターを
務めるなど豪華な役者揃いという感じでした。
サムライは1番センターで松坂選手が入り、
2番に古木克明選手(オリックス)を起用し、
また、途中から小池正晃選手(横浜;先のリストには
「政晃」となっていた)が起用されるなど、
オフシーズンにも拘わらずプロ選手も活躍していました。

試合は2回を終えて3-1で
先攻のサムライがリードしていました。
そして3回の裏に、サムライはキャッチャーを
松坂選手の横浜高の先輩であり、
かつてバッテリーも組んでいた
上地選手に交代してきました。
今や「クイズ!ヘキサゴンⅡ」(フジ)で
すっかり有名になった上地雄輔さんでした
(入場の際に配られた選手リストには、
「祐介」となっていたが、変換ミスなのか、
敢えて登録名として字を変えたのかは分からない)。
クイズ番組でのキャラクターとは裏腹に、
プレーには切れがあり、巧かったので、
見直したというか、流石だなぁと感心しました。
後ろの客は「タレントにしとくの勿体ないよなぁ」
と呟いていました。

スタジアムDJや萩本さんのやりとりのせいもあってか、
回がなかなか進みませんでしたが、
掛け合いが面白いので楽しんでいました。

萩本さんが「ここで追い付くよ」と言って
始まった4回裏に本当に2ランが出て、
3-3の振り出しに戻りました。
しかし、続く5回表に飛び出したのが、
上地選手の勝ち越し2ランでした。
すぐさま5-3と突き放しました。

5回裏にサムライはピッチャーを
日テレアナウンサーの上重聡投手に交代し、
松坂選手がセンターからファーストへ
ポジションを変えました。
(観客は皆松坂選手が投げる所を観たがっていたので、
「段々マウンドに近付いてきた」と喜んでいました)。
ところが茨城GGがタイムリー2本で、
またもや5-5の同点に追い付くしぶとさを見せました。
GGの得点シーンの名物でもある、
フラガールたちもこの寒さの中、
華麗なフラダンスを披露してくれていました。
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更に強力な助っ人の荒木雅博選手(中日)が
代打で起用され、きっちりヒットで出塁すると、
観客の期待に応えて盗塁も成功させました。
一気に逆転のムードが漂っていた2死満塁の場面で、
萩本監督(欽督)は思い切った賭けに出ました。
「代打・鹿取義隆。」…思い切りすぎです。

以前GGでヘッドコーチを務めていましたが、
この起用は本人も周りも全くの想定外だったようで、
電光掲示板の選手名の所に
「編集中」と表示される羽目に。
でも何だかんだ言いながら打席に立つ所は流石です。
そして、3者残塁に終わりました。


7回表に入ってまたもや上地選手が勝ち越しとなる
タイムリーを放つなどしてこの回2点を加え、
7-5と三度(みたび)勝ち越しに成功しました。
その裏、サムライがピッチャーを松坂恭平投手
(松坂選手の弟)に替えました。
やはり球の切れが違うなぁと感じました。
松坂選手もファーストからセカンドへ移りました。

そして、GGの方も秘密兵器をここで出してきました。
「代打・大魔神」。
ご本人が相当打ちたがっていたらしいのですが、
現役時代、DH制のないセ・リーグとは言え
ほとんどストッパーとしての登板だったので、
バッターボックスに立っている姿をあまり見たことがなく、
ヘルメットを被ってバットを構えている佐々木選手は
何か変な感じでした。
しかし、きっちりと2塁打を放っていました。
そして、あっさり自分から(?)代走を要求…。
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この後、代打で片岡選手も起用されました。
普段なかなか打席に立てない分、
観ている側としても彼女の起用は嬉しいですね。
結果は残念ながらゴロに倒れ、
この回は結局無得点に終わりましたが、
続く8回表には、引き続き守備に就き、
荒木選手と共に夢の二遊間を組むことになりました。

更に、何故か代走を送られた筈の佐々木選手が、
今度は本職のピッチャーとしてマウンドへ。
現役を引退して尚、130km以上の切れのある速球や
フォークボールは観客を十分に唸らせるものでした。
そしてきちんと0点に抑えました。

その裏、観客が今か今かと待っていたその瞬間が
遂に訪れました。
松坂選手がとうとうマウンドへ立ったのです。
大リーガーの投球を一目見ようと、
スタンドの観客の注目が一点に集まっていました。
「流石に切れがある」「速い」というような
溜め息があちこちから漏れていました。
オフシーズンで、軽めに投げてこの球筋。
GGはこの回も0点に抑えられてしまいました。


この日は天気が良く直射日光が強かったので、
一塁側はむしろ暑いくらいでしたが、
この頃になると、日が傾き始め、
肌寒くなってきていました。

9回表1死で、松坂選手に打順が回ってきました。
欽督はここで、一度降板させた筈の佐々木投手を
再びマウンドへ送り出してお膳立てし、
スタジアムの興奮は最高潮に達しました。
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結果、松坂選手が2塁打を放ちました。
そして欽督は何事もなかったかのようにピッチャーを
元に戻して佐々木投手はここでお役ご免となりましたが、
本当に見応えのある勝負でした。

そして9回裏、2点を追うGGは
1死から代打で起用された柳葉さんが出塁して、
1死1,2塁と辛うじて逆転に望みを繋ぎました。
「一打同点、一発が出れば逆転サヨナラ」
という願ってもないチャンスに欽督が動きました。
「じゃぁ、代打・オレ。」
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こけました。
金色に輝く特注ヘルメットを被ってバッターボックスへ。
これに応えるべく、松坂選手も再びマウンドへ。
1球目大きく空振り。
そして2球目…、球威に押された(ただの打ち損じ?)
ボールが力なくボテボテと転がり、
ゲッツーでゲームセット。
こけました。

ある意味劇的な幕切れで、
サムライが茨城GGを7-5で下しました。
MVPには本塁打と勝ち越し打を放った
上地選手が選ばれました。
萩本さんのマイクパフォーマンスといい、
絶妙な返しをするスタジアムDJといい、
そして試合を盛り上げた友情出演の関係者といい、
真剣勝負の中にギャグと見所が混じった試合で、
本当に味のある面白い対決でした。
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2008年1月30日 (水)

第56回勝田全国マラソン

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3日前の話になりますが、
第56回勝田全国マラソンに出場しました。
しかし、コンディションは過去最悪と言っても
過言ではありませんでした。

というのも、昨年11月下旬に行われたつくばマラソン
において右膝の内側を痛めたのですが、
一度は治ったと思っていたのですが完治しておらず、
軽いジョギングや長時間の歩行をするだけでも
痛みが再発してしまうということが分かり、
癖になったり後遺症が残るとまずいので、
一度医者に診て貰おうと思った程でした。

ところが、なかなか平日は仕事で行くことが出来ず、
後回しにしているうちに大会の日になってしまいました。
この間ずっと安静にしていたので、
痛みは治まっていましたが、
練習で走れば、恐らくまた痛み出すだろうと思い、
全く走る練習をしませんでした。
敢えてぶっつけ本番という方法を選択したのです。

また、今月半ば頃から軽い頭痛に襲われていたのですが、
ほとんど問題ないながらも少し痛みが残っていました。
更には、不規則な生活が祟り、
前夜はとうとう一睡も出来ずに当日を迎えてしまいました。

これらの不安要素を抱えていたので、
流石に走らない方が良いかなと思いました。
無理をして走って、大会関係者に迷惑を掛ける
ようなことにでもなったら申し訳ないので、
辞退すべきか走るべきか悩みましたが、
「もしちょっとでも不調を感じたらすぐに棄権する」
ということにして走ることにしたのでした。
最初から「完走しない」ことを目標にして
走ったことは恐らく初めてだろうと思います。

好天に恵まれたのは良かったのですが、
この時期はどうしても空気が冷たいですし、
最近特に寒い日が続いていたので、
上は長袖を着ることで寒さ対策が出来ましたが、
肝心の膝が寒さに曝されてしまうので、
痛みが出易い条件で厄介だと思いました。

いつもは何もしないのですが、
「今回は何か少しでも対策出来れば」と思い、
ファイテン社が無料で行ってくれていたテーピングを、
私も施して貰うことにしました。
行列が物凄く長かった上に一人一人時間が掛かるので、
何と1時間以上も並ぶ羽目になってしまい、
隣の広場で行われていた開会式が
終わってしまった程でしたが、それでも気長に待ち続け、
ようやくスタート15分前くらいに番が回ってきました。

そんな訳で、もう準備体操する時間もほとんど取れず、
取り敢えず一通りやるのが精一杯で、
軽くジョギングする時間も取れませんでした。
完全なるぶっつけ本番となってしまったのです。
ということで、ほとんど最後部の方にスタンバイしました。
号砲から1分以上、一歩もその場から動けませんでした。

頑張る気持ちを捨てて競争意識を持たないようにし、
無理のない程度に走ることを心掛け、
久し振りに走る感覚を思い出すようにして走りました。
最初から周りに全く流されることなく
マイペースだったので走り易かったです。

沿道の観客のプレッシャーが掛からないように、
なるべく真ん中の方を走りました。
あとは、フォームだけは崩れないよう心掛けていました。
正しいフォームを維持するのは
段々疲れてくると辛くなってきますが、
フォームが崩れると変に足に負担が掛かってしまうので、
常に意識するように気を付けていました。

2kmくらいまではそれ程問題なく走れましたが、
徐々に左脚の大腿四頭筋に違和感を覚え始めました。
「右膝が痛んでいるということは、
原因は反対の左脚にある場合が多い」と
テーピングして貰っている時に助言されましたが、
寝不足のせいなのか潜在的な問題があったのか、
左脚の太ももに違和感が出てきました。
右膝が真っ先に痛み出すと思っていたのに意外でした。

去年同じコースを走っているので、
メインコースの昭和通りは直線で
先が見えている割には距離があり、
しかもアップダウンがあるので、
先が見えているが故に余計にきついというのが
分かっていた分、気持ちは楽でした。
それにあまり気張らずに楽なペースで走っていたので、
タイムを意識していない分、
体への負担は少なくて済んでいました。
いずれにしても、一度走っているという経験が
もたらす効果は本当に大きいなと実感しました。

しかし、気持ち的なゆとりとは裏腹に、
左脚の大腿四頭筋を中心に、
左脚にばかり違和感が集中していたので、
あまり酷いようなら棄権するつもりでしたが、
一応走れそうだったのでそのまま走り続けました。
3kmくらい走った所でちょっと体が楽になり
(ランナーズ・ハイにしては早い気もするが)、
折り返し点まで行った時には、
出来ればゴールまで目指したいなと
やはり意欲が沸いてきました。

走っていれば少なからず欲や闘争心が出てしまうので、
目標人物を見付けたりして、
無理しない程度に走りました。
直射日光が当たる所では暑く、
逆に建物などで日陰になっている所は寒い
という具合に気温差が極端で、
調整が難しかったですが、長袖で正解でした。

残り2kmや1kmを切ってからは長く感じられましたですが、
ここまで来たらゴールすることしか考えていませんでした。
1kmを切ってからラストスパートも
無理のない程度に軽く掛けました。
フォームを最後まで意識しゴールへ飛び込みました。
結果は1時間6分台(参考記録=実測タイム)
と全く振るいませんでしたが、
思っていた程悪くはありませんでした。
取り敢えず、無事に完走できて何よりでした。
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恐らく、痛めた右膝は副靱帯とか
そういった類だと思います。
つくばマラソンの時もコンディションは悪かったので、
きっと膝周りが筋力不足だったのに
ちょっと無理して走って痛めたのかもしれません。
若しくは、正しいフォームを意識しすぎて、
その完成度が低かったために、
却って無理な負担を掛けてしまったのかもしれません。
原因は定かではありませんが、
このまま走り続けて万一スポーツ障害等に
なったら大変なので、そのうち診て貰おうと思います。
一応数日経った今の状態としては、
筋肉痛が酷いだけで右膝はほとんど問題ありませんが。


話は変わりますが、
この日愛車のオドメーターが80,000kmを突破しました。
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2008年1月29日 (火)

ロンドン旅情記・8

▼ロンドン出国~帰国:12月31日(月)

ロビーで待っている間、喉の渇きを覚えていたのですが、
機内に水分を持ち込めないので、
下手に買ってしまうと飲み切るのが大変なので、
我慢していました。
そうこうしているうちに、
いよいよ搭乗開始時刻になりました。
ここに来てはもう名残を惜しむことも出来ないので、
構わず乗り込みました。

搭乗券を読み取り機に通した時もそうでしたが、
ちょっとぼうっとしていたので、
思わず「ファーストクラス・ビジネスクラス」側という
案内矢印が出ている方へ行きそうになりました。
「どうも体が勝手にリッチな方へ行きたがってるらしいな」
とジョーク混じりに自分を窘(たしな)めました。
所詮、庶民の私には縁のない所だというのに全く…。

航空券を確認すると、座席番号が結構若かったので、
どちらかというと前の方なんだろうなと思いました。
この番号自体にはそれ程違和感は
覚えなかったのですが、
その後、席を見付けて座ろうとした時、
「何か変だ」と思いました。

座席の前後の間隔が異様に広いことに気付きました。
しかもよく見ると、座席の造りなどもちょっと豪華で、
何だか見慣れない感じがしました。
しかし、後から乗客がどんどん乗り込んでくることもあり、
一連の動作の流れの中で、
取り敢えず座ろうかと思ったのですが、
その時、頭の中で情報が素早く整理され、
「ランク的にどうもおかしい」とピンと来ました。

予期せぬ出来事に、軽く頭が混乱し始めていました。
「もしかして、クラス毎に番号が振られていて、
ここはエコノミークラスではなくもっと上のクラスで、
番号は同じだけれどもっと私たちの席は
後ろの方なのか?」と思いました。
そう考えてみれば、エコノミークラスにしては
ちょっと豪華すぎるので、
クラスが違うと考えた方が納得がいきました。
それに気付かずに他人の席に座っては恥ずかしいので、
まずフライトアテンダントに確認することにしました。

「ここじゃない」と言われるのかと思っていたら、
「はい、ここで合っています。こちらのお座席は、
クラスを上げる措置を採らせて頂いております」
という返事だったので、
「そうだよなぁ、飛行機は確か全部通し番号だもんなぁ。
やっぱりここで良いんだなぁ。でも本当に良いのかなぁ。
『ここ、私たちの席です』なんて言う人が
現れたりしないかなぁ、大丈夫かなぁ。」
とまだ半信半疑でした。
でも、合っていると言うのですから、
間違いはないのでしょう。
どこか腑に落ちないような気持ちで着席しました。

ふと窓の外を見遣ると主翼が見えました。
それを見てようやく「ははぁ、なるほど」と思いました。
先程のフライトアテンダントの妙な発言の
意味していることが何なのか理解しました。
つまり、ここは翼の付け根の丁度真横に当たる場所で、
ほとんど外が見えないというハンディがあるために、
その代わりにお詫びの意味もあって、
エコノミークラスと同じ金額で、
ビジネスクラスと同等の待遇を提供する
ということなんだろうと理解しました。

航空券を発券した時から、何となく分かったような
分からないような感じでもやもやしていたのですが、
この時、やっと全てのパーツが繋がりました。
そうと知って、逆に畏れ多い気持ちになりました。
そりゃ確かにここじゃ外は見えないですが、
どのみち真ん中の座席でしたし、
飛行中はほとんど夜で外は真っ暗ですし、
下界が見えるのも離着陸時くらいのものなので、
見えても見えなくてもあまり関係ありませんでした。
それにも拘わらずこの厚遇ですから、
逆に申し訳ないような気持ちになりました。

庶民が急に金持ちになると、
身分に頭がついて行かなくなって、
人間的に壊れるということがよく分かりました。
急に脳が興奮状態になり、
今まで知る由もなかったリッチな世界に
はしゃいでしまっていました。
エコノミークラスに乗れなくなるんじゃないか
というくらい贅沢な気持ちに浸っていました。


飛行機はロンドンを30日の19時過ぎに出発しました。
窓の外の景色は全然見えませんでしたが、
離陸し始めた時、いよいよ本当にこれで
ロンドンともお別れだと思いました。
そして、そっと心の中でロンドンに
お礼と別れを告げました。


さて、シートベルトの着用サインが消えてから、
自由に身動きが取れるようになったので、
早速どんな仕組みになっているのか調べました。
リクライニングは可動部位が多いので、
自分の好みにあった変形が可能で、
ベッドのようにほぼ水平にまで動かすことも出来ました。
スリッパ付きで作りも結構しっかりしていましたし、
テーブルも肘掛けの下に収納されていて、
前の座席に取り付けられているタイプではないので、
バタンと倒して前の方に迷惑を掛けてしまうことがなく、
また、リクライニングは座席から独立していて、
リクライニングを変形しても座席は固定されたままなので、
後ろの方に遠慮することなく、思い切って動かせました。

そして、何と言っても前後左右がゆったりしているので、
真ん中の人でもトイレなどに立ち易いというように、
快適な空の旅が保障されていました。
特急列車より遙かに窮屈なエコノミークラスしか
乗ったことのなかった私には何もかも別世界でした。
旅行中は数々の幸運に恵まれていましたが、
最後の最後までラッキーなことが起こりました。
まさに「残り物には福がある」でした。

しかし、所詮はエコノミークラス料金です。
座席環境はビジネスクラスに格上げしてくれても、
他はエコノミークラスと同等なのだろうと思っていました。
ところが、それだけではなかったのです。
サービスまでビジネスクラスと同じでした。
エコノミークラスだった行きの時の機内食は、
コンビニ弁当のようにレンジで温めるだけで
食べられるような物で(メニューはもっと豪華ですが)、
容器等も基本的に使い捨て出来るような
プラスティック製や紙製の物でした。

けれども、ビジネスクラスに限りなく近かった帰りは、
ナイフやフォークなど凶器になり得る物以外の食器は、
グラスや皿、器などは全てレストランと変わりなく、
メニューも、行きは簡単な内容が書かれたカードから
二者択一で選ぶというものでしたが、
帰りはしっかりとしたメニュー表が配られ、
洋食か和食を二者択一で選ぶのは同じですが、
その細かいメニューの一覧表が記載されており、
軽食やスナックメニュー、到着前の食事のメニューなど、
きちんと事細かに確認出来るようになっていました。
因みに、私は和食は日本に着いてからの
楽しみにするため、敢えて洋食を選びました。

高級レストランさながらの豪華な食事を前に、
あまり酒を飲まない私も、
思わずシャンパンを頼まずには居られませんでした。
あまりに幸せすぎて胸が一杯になり、
死んでしまいそうでした。
急に庶民がリッチな生活を味わってしまったせいで、
感情のコントロールがおかしくなったのかもしれません。
「おれぁ幸せだ~」と何度口走っていたか知れません。
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窓側から2席、真ん中が3席で、反対の窓側が3席、
それが3列あるということで、
ビジネスクラスとエコノミークラスに挟まれた、
この9組だけが変則的特別待遇だったようです。
たったこれだけの客しか居ない限られた範囲を、
飛行中はほぼ同じフライトアテンダントお二方が
両通路を頻繁に行き来していたので、
サービスが密に行き届くので、
尚更贅沢な気持ちになりました。

こんな優雅な時間を11時間半も過ごせるとは、
本当に有り難いと思いました。
後は如何にこの時間を有意義に過ごすかでしたが、
考えてみると、この日は2時間しか寝ていなかったので、
折角ベッドにもなるリクライニングなので、
心ゆくまで寝てしまいたい気持ちもありました。
その一方で、「折角こんな贅沢をさせて貰っているのに、
寝て過ごしてしまったら勿体なくないか?」
という自問自答もありました。

それと搭乗前までは、「シャンハイ」(ゲーム)の
リベンジを果たすつもりだったのですが、
いくら機内でしか出来なそうとは言っても、
これだけの環境に居てゲームばかりしているのは
ちょっと勿体ないかなと思って、
これも過ごし方としては如何なものかなと思いました。

結局は、ロンドン最終日のことを中心に、
色々思ったことを忘れないうちに書き残しておこうと、
手記にまとめているうちに8時間も費やしてしまい、
周りは眠りに就いているというのに、
自分だけ寝ずに書き続けていました。
頭が興奮覚め遣らぬ状態だったので、
やっと書き終えて眠ろうとしても全然眠れず、
ベッドも微妙に水平でないので、
寝ているうちに足に血が溜まってきて痺れ、
それでも何とか2時間くらいはうとうとしたのですが、
そのうち室内灯が点いて、
食事の時間になってしまいました。


もう眠れないことを悟った私は開き直って、
残りの2時間くらいは最後まで「シャンハイ」を
しながら過ごすことにしました。
ほとんど寝ていないために頭が全く働かず、
結果は惨憺たるものでした。
リベンジするどころか悉く返り討ちに遭いました。
寝なすぎて体が変になっていたので、
食欲もあまりなくなっていました。
でも最後まで美味しい機内食でした。
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やがて、遂にこの「俄か成金生活」にも
終わりの時が刻々と近付いてきました。
飛行機が着陸態勢に入ったのです。
この時ばかりは「もうちょっと飛んでいても良いよ」
と思ったくらいでしたが、
それは兎も角、無事に着陸出来るよう祈っていました。

成田に着陸したのは31日15時半前でした。
時差9時間のせいで、実質飛行時間11時間半と合わせ、
ロンドンを発ってから20時間半が経過していました。
やはり日本もロンドン程ではないですが寒かったです。
動く歩道で思わず右側に立ってしまい、
関東ルールが一瞬分からなくなりました。
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携帯電話を久し振りに使いました。
インターネットからもすっかり離れていたので、
日本のニュースは機内で読んだこの日の
新聞からの情報しか分かりませんでした。
でも、こういう機会は大事だなぁと思いました。

入国審査や手荷物検査を受ける時、
相手も日本語で話し掛けてくるので、
一言二言、余計なことも付け加えたり出来ましたが、
こういう他愛もないことが言えるコミュニケーションが
取れるって素晴らしいことだなぁとしみじみ思いました。
今度はいつ外国に行く機会が出来るか分かりませんが、
その時にはある程度の英会話が出来るように
なって居たいなぁと思いました。


6GB分も持って行ったカメラのメモリーカードは、
残り25枚しか撮れないくらい撮ってきてしまいました。
もし、成田空港でゆっくりする時間があれば、
全部撮り切っていた勢いでした。
最もロンドンより1時間は日が長いとは言え、
結構夕方になってきていましたし、
睡眠不足から来る眠気が凄まじかったですが。

街の景色は、信号機もコンビニも看板も車も、
当たり前ですが、もう日本の景色でした。
けれども、私の脳裏には確かに、
ロンドンで過ごした1週間の光景が
焼き付いていたのでした。
ホッとした気持ちよりも、
虚無感の方が大きかったです。
それだけ楽しい思い出を作れたのだと思います。
本当に貴重な経験を沢山させて貰いました。
全てのことに対して感謝の気持ちで一杯でした。


こうして、大晦日まで活動的に過ごした2007年が
終わったのでした。

【完】

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2008年1月26日 (土)

ロンドン旅情記・7

▼第7日(帰国便搭乗まで):12月30日(日)曇

ロンドン最後の夜となった前夜、
私は布団に潜り込んでから、
色んな事を思い返していました。
楽しみと不安が入り交じった出国前の日々を経て、
本当にロンドンに来てしまった最初の日のこと、
右も左も分からず、けれども見る景色が
どこもかしこも全て素敵で感動していた前半のこと、
要領が分かってきて、ロンドンに慣れてきて、
それなりに生活を楽しめてきた後半のこと、
セーフティボックスを借りたり、
レストランで注文する際に英会話に苦労したことなど、
ここでの長くも短かった日々の経験が
あれこれ思い出されました。

特に大変だったのは英会話でした。
その中で感じたのは、言いたいことを伝えるためには、
正しい英文を綺麗な発音で話すことよりも、
相手に伝わったかどうかの結果が大事で、
極端に言えば、単語の羅列であっても、
会話として通じれば十分だと言うことでした。
しかし、それは最低限のレベルの話でした。

何とか簡単な英単語(それも一言、二言だけ)を駆使して
話が通じるには通じていたのですが、
ちょっと相手に何か予測していなかったことを聞かれたり、
細かい説明などを受けたりした時に、
断片的に単語が聞き取れるくらいで、
一瞬はほとんど言っている意味が分からなかったり、
意味が分かって何か返事したくても
すぐに言葉が浮かばず言いたいことが言えなかったり、
レストラン等で何か突っ込んだ質問をしたくても、
余計なことが言えなかったりして、
つくづく自分の英会話力のなさを痛感しました。

また、相手との話を盛り上げたくても、
簡単なジョークや余計なことの一つも言えなくて、
最低限のことしか話せなかったので、
全然弾ませられなくて歯痒さも感じました。
咄嗟の一言が出ず、文章に出来る訳もなかったので、
普段使いませんし、話す機会がないせいで、
どんどん忘れていっているんだなぁと感じました。

私が主に使っていた英単語はせいぜい、
“Yes.”“OK.”“Sorry.”“○○, please.”“3 (adults).”
“Thank you (very much).”“Hello.”
くらいのもので本当にこれくらいしか喋っていません。
これだけで本当に95%以上占めていました。
人の会話を聞いて覚えて最後の頃に話したのが、
“Yes, please.”くらいのものでした。
『男はつらいよ』シリーズ(松竹)か何かで
「英語が喋れる」と自慢していながら、
“Yes”と“No”と“OK”しか話していないという、
笑い話があった気がしますが、
そのことを思い出し、人のことを笑えないと思いました。

最終日はセーフティボックスを空にしたり、
チェックアウトの手続きをしたり、
クロークにスーツケースを預かっていて貰ったり、
タクシーで空港に向かうことなどを考えると、
英語が話せないのは胃が痛い思いでした。
けれども、泣いても笑ってももうしばらくは来られない
(次来られるかどうかすら分からない)と思うと、
最後までこの旅行を楽しまないといけないと思いました。

最後までお粗末な会話で通すのは何だか空しいですし、
お世話になったホテルのフロントの方に
きちんとお礼もしたかったですし、
ここはビシッとした英会話をしようと思いました。
市販のトラベル英会話などの例文などを参考にしても、
どうせ慣れない言い回しを覚えきれず、
何を言っているのか分からなくなるだけだろうと思い、
英文が合っている、合っていないは気にせずに、
自分の考えた文章で話す方が間違いないと思いました。
そこで、どう話すか自分なりにあれこれ考えていました。

ようやく話す文章が決まって、何度も練習した後、
今度こそ寝ようと思ったのですが、
頭が冴えて眠れなくなってしまいました。
ロンドンに居られる時間が残り少ないので、
寝てしまうのは勿体ないという気持ちもありました。
そして、そうこうしているうちに、
「明日はあそこへ行ってお土産を買い足そう」とか、
「やっぱりコースはあっちを先にしてからの方が、
効率が良いかなぁ」などという考えが浮かんできて、
益々眠れなくなってきました。

「そうだ、最後にハイデッカー(2階建てバス)にも
乗っておきたいなぁ。でも、バスに乗るって不安だなぁ。」
などという考えも浮かんできたので、
乗る時のシミュレーションなどをイメージトレーニング
しているうちにすっかり夜が更けてしまいました。

ようやく寝付いたのが2時近くになってしまい、
緊張していたせいであまり熟睡出来なかった上に
4時過ぎには目が覚めてしまい、
睡眠時間僅か2時間程度という極度の寝不足の中、
最終日の朝を迎えました。
当然、外はまだ真夜中のような暗さでした。

6時過ぎにレストランに行ったのですが、
早すぎるためかほとんど客は居ませんでした。
6日間ほぼ同じメニューで食べ飽きていた
いつもの朝食バイキングを食べるのも、
これが最後なんだなぁとしみじみ感じました。
でも、寝不足のせいで気分は悪かったですが。

朝食の後、セーフティボックスの中身を取り出しました。
何度も練習した肝心の英会話は、
途中まで言ったところでど忘れしてしまいましたが、
何とか通じたようで良かったです。
というか、相手も今日で私たちがチェックアウトなので、
返却するというのは最初から理解していたみたいですが。

部屋に一旦戻って荷造りを済ませました。
瓶やマグカップなどの割れ物があったので、
手荷物として機内に持ち込むか、
スーツケースに入れてしまうかで迷いましたが、
この日の計画としては、
スーツケースをホテルのクロークに預けて観光し、
一旦ホテルに戻ってそのまま空港へ向かうというもので、
スーツケースを開ける機会はもうないということで、
手荷物として機内に持ち込むのなら、
この日観光している間もずっと手荷物として
持っていなければならないことを意味していたので、
悩んだ末に出来るだけスーツケースに
入れてしまうことにしました。

また、出国の際の総重量は13kgでしたが、
土産などで荷物がかなり増え、
特に瓶などが結構重かったので、
ちょっと制限重量の20kgぎりぎりになる
可能性もあって神経を使いましたが、
「増えた分は大体7kg分くらいのような気がするから、
これくらいは詰めてもとんとんくらいの重さで、
多分何とかクリア出来るだろう」という、
感覚的な計算を信じて詰めました。


スーツケースの中身を最終確認して閉め、
1週間宿泊した部屋も忘れ物がないかよく確認し、
最後のチップを置いて部屋を後にしました。
そしてフロントへ行きました。
イギリスでは、1階をGround Floorと言い、
2階から1階、2階…と数えていくという文化の違いにも、
もう違和感はすっかりなくなっていました。

チェックアウトをした後、
クロークにスーツケースを預かって貰いましたが、
その際も前夜に考えた会話文を使いました。
またもや後半部分をど忘れしましたが、
大体言えたので良しとします。
でも、その後ポーターとの会話がうまく出来なかったので、
やっぱり力不足でした。
とは言え、自分の中では山場を乗り切れたので、
ようやくホッとすることが出来ました。


何とか7時半前にホテルを出られました。
夜なのかと勘違いする程まだまだ暗かったですし、
相変わらず寒かったです。
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この日まず向かったのは、
ビートルズの事実上最後に録音されたアルバム
『アビイ・ロード』のジャケットに使われたという、
世界一有名なAbbey Rd.の横断歩道に行きました。
それ程ビートルズに詳しくなかったので、
全然そんなことは知らなかったのですが、
偶々旅行中にガイドブックを見ていた時にこれを知り、
「折角ロンドンまで来たからには見ておかないと」
と思い、急遽予定に組み込んだのでした。

最寄りのSt. John's Wood駅に8時頃着きましたが、
うっすら明るくなってきた程度でまだ暗かったので、
「まだちょっと撮影するには暗いかな」と思いましたが、
取り敢えずその横断歩道へ向かいました。

既に家族連れの日本人観光客が数人居ました。
結構交通量の多い通りだそうで、
なかなか撮影するのも大変だという話でしたが、
早朝だったこともあってそれ程ではありませんでした。
この日は曇りだったこともあって、
本来ならもっと明るくなっていても良さそうなものでしたが、
駅から歩いているうちに夜が明けてきたので、
早速同じポーズで撮ってみました。

すぐ側に彼らが多くの曲をレコーディングしたという、
アビー・ロード・スタジオもありました。
スタジオの白い外壁にはファンによるものと思われる、
メッセージというのか落書きというのか分かりませんが、
びっしりと何やら書き込まれていました。
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次に、リージェンツ・パークRegent's Parkへ行きました。
Abbey Rd.から歩いて行ける距離だったので、
まだ人気(ひとけ)の少ない日曜の朝の街並みを見ながら
徒歩で移動し、9時過ぎには着きました。

兎に角面積が広大な公園で、
ロンドンの公園にはお決まりとも言うべきリスも
ちゃんと見掛けました。
隅から隅まで散策してしまうとかなり時間が掛かるので、
この公園の見所の多い南半分を中心に回りました。
園内は他のロンドン市内の公園と同様、
基本的に「野原」の方がイメージとして近いような、
自然がそのまま残されているような所が
多かったのですが、
ローズ・ガーデンRose Gardenなどは
芝や区画なども手入れされていました。
時期が良ければ様々なバラが楽しめたようです。
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本当はこの後、歩いて行ける距離にあって、
26日に一度行っていたシャーロック・ホームズ博物館に
再度寄るつもりだったのですが、
開館時刻の11時までまだ1時間近くあったので、
うっすら肌寒い公園でじっとそれを待っているのも
何かなと思って、どうしようか悩んだ末に、
その次に行く予定だったテート・ブリテンTate Britainなら
もう開館しているということで、
移動のタイムロスを考えても、
少しでも先に動いておいた方が
時間を有効に使えるという計算だったので、
そちらに先に行くことにしました。


テート・ブリテンはテムズ河沿いに立っていて、
イギリス美術の一大コレクションを有する美術館で、
やはり私のレベルでは「ほぅほぅ…」と頷くばかりで、
なかなか難しい世界が広がっていました。
が、ここの最大の呼び物である、
ターナーという画家の作品コレクションは、
見ていて「凄いなぁ」と思いました。
時代によって色遣いやタッチが変わっていながら、
絵画技術は相当レベルの高いものでした。
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さて、建物の外観の写真などを撮っている最中、
偶然テムズ河の方を見ていた時に、
不思議な光景を目にしました。
浜辺を下りてきた変な形をした乗り物が、
そのままテムズ河へと入っていってしまい、
そのまま河を遊覧しているではありませんか。
そう、実はこれ、水陸両用車だったのです。

呆気に取られてそれを目で追っていると、
もう一台が同じように浜辺に下りてきて
同じように河の中へと進んでいき、
先に遊覧していた方は浜辺へ向けて進路を変え、
そのまま浜辺に上がってしまいました。
こういう乗り物が存在するとは知りませんでした。
偶然こんな貴重な光景が見られてラッキーでした。

実はこの乗り物はロンドンに来た初日に、
ホテルへ送迎して貰っている時に、
街中で偶然目にしていました。
随分変わった形の乗り物だなぁと思っていたのですが、
まさかこれが水陸両用車だったとは驚きです。
モーターボートに車が付いたような、
妙に変な形だったのも納得がいきました。
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この後、地下鉄Victoria Lineなどを使って、
シャーロック・ホームズ博物館のある
Baker St.へ再び戻りました。
テート・ブリテンに来た時もそうだったのですが、
乗り換えの主要駅の一つであるVictoria駅だけ停車せず、
代替バスを運行していました。
駅などに告知ポスターが貼ってあったので、
前以て計画されていたようですが、
結局理由はよく分かりませんでした。
私たちにとっては通過駅に過ぎなかったので
どのみち問題はなかったですが。
ドアは閉じたままで降りられなかったものの、
ちゃんと駅で一旦停車したり、
出発する時間などは通常運転と変わらないようでした。
ホームが真っ暗だったのでそれだけは変な感じでしたが。
因みに他の乗り入れ路線は運行していたようです。

昼食は博物館近くのカフェで摂りました。
「これがロンドンでの最後の食事になるだろう」
と思いました。
ちゃんと経験したことを生かし、
注文は「少なめかな」と思うくらいで留めておきました。
案の定、想像していた以上にボリュームがあって、
丁度良い量でした。


その後、シャーロック・ホームズ博物館に再度行き、
土産などを買い足しました。
時間があれば、この後にもう少し回りたい所でしたが、
無理すれば回れないこともなさそうでしたが、
あまり時間がぎりぎりになってしまうと、
飛行機に乗るのに慌ててしまうことになりかねないので、
時間に余裕を持って行動するために、
このままホテルに戻ることにしました。

ここで、これまで通り地下鉄で帰るという手もありましたが、
密かに「ハイデッカーに乗りたい」とも思っていました。
ロンドンに来て最初の数日は、
店に入るのも同じですが、外国人ばかりが居る
閉所へ飛び込むことになるタクシーやバスには、
怖くてとても乗れそうもないと思っていましたが、
「折角ロンドンまで来ていながら、
この名物バスに一回も乗らなかったとなれば、
もし『記念に一回くらい乗っておけば良かった』
という気持ちになった時後悔するだろう」と思って、
徐々に「乗ってみようかな」という風に、
気持ちが変化してきたのです。

私は密かにホテル近くのバス停を通るバスの
系統番号を覚えたり、
バスの乗り方やバス停での客の様子などを、
時々眺めたりしていました。
そして、ガイドブックもしっかり読み込んで、
「地下鉄一日乗車券があれば、同じゾーンの中なら、
共通乗車券としてそのまま乗れる」ということを
何度も確認したので、
「機会があれば乗ってみたい」と思うようになりました。
とは言え、まだ少し恐怖心があったので、
とうとう乗らないまま最終日になってしまったのでした。

しかし、この日は朝から気合いが違いました。
何しろ寝る前から「明日は絶対乗ってやる」という
意気込みで何度も細かい情報を最終確認したり、
シミュレーションしたりしていたのです。
それに、ゾーン内であれば乗り降り自由なので、
仮に間違って乗ってしまっても、
若(も)しくは目的地と違う系統のバスに乗っても、
すぐに適当な所で降りてしまえば良いだけの話なので、
「あまり肩肘張らずに、もっと気軽な気持ちで考えて、
記念にちょっとだけでも乗れれば良いんじゃないか」
と思うようになっていました。

ということで、博物館の近くにバス停があったので、
念のためどんな系統のバスが走っているのか
確認するだけしてみることにしました。
(本当は、バスの路線図を手に入れられれば、
もっと安心して乗れたのですが、
手に入らなかったので、ホテル前を通るバスの
系統番号だけが頼りでした)。
すると、ラッキーなことに、
何と、まさにそのホテル前を通るバスの
系統番号が載っているではありませんか。
路線図を全く知らなかったのに、奇跡が起こりました。

これはもう乗らない訳にはいきませんでした。
どこで降りて何に乗り換えるかなどという
余計なことを考えずにこれ一本で帰れるのです。
更にラッキーなことにここが始発駅だったらしいのです。
つまり、お客さんが乗っていない状態で乗れるので、
右も左も分からない初心者の私にとっては、
途中から乗り込むのと違って、
余計な緊張感を味わわずに乗れるということでした。

勿論、折角なので2階席に座りました。
信号も目線の高さですし、
バス停の屋根が下に見えるなど、
完全に街を上から見下ろせる高さなので、
優越感や眺めの良さと言ったリッチぶりは、
癖になりそうな気持ち良さがありました。
「こんな優雅な気持ちでロンドンを回れるなんて、
わしゃ幸せもんじゃ~」と思いました。
地下鉄に比べればやはり時間は掛かりましたが、
最後にこんな形でロンドン観光が出来て、
本当に良い思い出になりました。
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結果的にホテルには早すぎず遅すぎず、
良い時間に着きました。
ホテルのクロークでスーツケースを引き取った後、
ポーターに空港までのタクシーを呼んで貰いました。
最後はロンドン名物の黒塗りタクシーに乗って
空港へ向かう算段だったので、
「ハイデッカーにも乗れたし、タクシーにも乗って、
思い残すことがほとんどないくらい、
十分にロンドンを満喫して帰国出来るな」と
思っていたのですが、
到着したのは普通のセダンでした。

きっとホテルが契約している
専属「タクシー」なのでしょう。
私たちの前の客が同じような車に乗っていたので、
それを見て「もしやあれがタクシー?」と
薄々予感はしていたのですが、
黒塗りタクシー(若しくはそれに準ずるもの)を期待し、
むしろそういうのに乗ると信じて疑わなかったので、
かなり拍子抜けしてしまいました。

ま、街中で拾える程の英会話力と度胸がないので、
ちょっと心残りではありましたが、仕方なかったです。
気を取り直して、「タクシー」の車窓から、
最後のロンドンの景色を目に焼き付けていました。
初めてホテルまで送迎して貰った時から考えると、
「本当に充実した1週間を過ごせたなぁ」と思いました。
あの時の運転手に言われたロンドン旅行の秘訣、
「兎に角旅行を思い切り楽しむことですよ」
という言葉が改めて思い起こされていました。

あの時は何にしても不安で怖かったので、
「きっと上っ面の部分しか体験することが出来ず、
心の底からの満足感までは味わえないかな」
という気が内心していたのですが、
自分なりに広く深く色々経験出来て、
そう言った体験を通して
それまでは見ようとしなかった物が見えるようになって、
視野が一段と大きく広がったかなという感じがしました。
臆病だった気持ちがちょっと大胆になったりもしました。

無事にヒースロー空港Heathrow Airportに着き、
私は運転手に精一杯の英会話で
お礼の気持ちを伝えました。
それは「送ってくれた運転手個人に対して」
というのも勿論ありましたが、それよりも、
素晴らしい時間を過ごさせてくれた
このロンドンに対しての感謝の気持ちを、
代表して運転手に伝えたような感じでした。


15時半を過ぎており、もう辺りは薄暗くなっていました。
私たちは先に搭乗手続きを済ませ、
スーツケースを預けました。
「絶対、制限重量を超えている」と言われた
私のスーツケースも21kgで、ぎりぎりクリアし、
見事感覚通りの絶妙な匙加減でした
(かなり危なかったですが)。
これがパスしたことでもう心配の種はなくなりました。

ただ、帰りの航空券を発行して貰う際、
「レギュラーの座席は一杯になってしまったので、
サイド席になってしまいますが、宜しいですか?」
と言われ、何のことだかよく分かりませんでしたが、
補助席みたいものを思い浮かべながら(よく考えてみると
飛行機にそんなものがある訳ないのだが)、
「まぁ、別にどうせ帰りは夜だからどの席でも良いし」
という気持ちで、「大丈夫です」と答えました。

因みにここの受付の人は日本人だったので、
やっと相手が日本語で喋ってくれたので、
妙に力が抜けました。
(尤も、日本語にすがりたがっていた到着時と違って、
すっかり英語でしか話せないつもりで居ましたが)。

その後、出国手続きも済ませ、
搭乗までの間免税店で買い物を楽しんでいました。
旅行中、私はスリに遭わずに済みましたが、
空港内は人がごちゃごちゃしていたので、
最後まで気を抜かないように気を付けていました。


搭乗時間が少しずつ近付いてきたので、
私たちは搭乗口へ移動しました。
一番端っこだったので、かなり距離がありました。
搭乗口が近付いてきて、
明らかに日本人が多くなってきているのに、
すれ違いざまにちょっとぶつかった時などに、
思わず“Sorry.”などと反射的に言っている自分が
おかしかったです。
まぁでも、似ているようでも日本人とは限らないので、
その方が無難ではありましたし、
相手にしても私が日本人とは断定出来ないと思うので、
ここなら日本人同士が英語で話していても、
違和感はありませんでしたが。
街中でも基本的に相手は皆外国人だと
思っていればほぼ間違いなかったので
(むしろ、ロンドンでは私の方が外国人ですから)、
あまり気にせずに過ごしていました。

搭乗口に着いた時には、
外はすっかり真っ暗になっていました。
搭乗までの間、待合ロビーでロンドンでの
最後の一時を噛み締めていました。
流石に日本人の割合が圧倒的に多かったようで、
半分くらいは日本の空気になっていました。
他の乗客達もまた、
それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。
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2008年1月17日 (木)

ロンドン旅情記・6

▼第6日:12月29日(土)晴時々曇

ロンドンに来てからも、夢に出てくるのは、
今まで見ていたのと同じような設定のものばかりで、
登場人物も日本人で会話も日本語でしたが、
この日の朝まで見ていた夢は、
宿泊しているホテルの受付で
英会話のやりとりをしているというものでした。
遂にこんな夢まで見るようになったかと思いました。

(▼朝7時過ぎの様子。まだ星が出ている。)
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丸一日観光出来るのはこの日が最後と言うことで、
この日のうちに、出来るだけのことは
やっておきたいという気持ちでした。
この日は景色を楽しむ予定が多かったので、
朝から良い天気になってくれて本当に有り難かったです。
天の恵みだと思いました。


最初に、セント・ポール大聖堂St. Paul's Cathedral
向かいました。
しかし、名前が紛らわしくて間違い易いという
セント・ポール教会St. Paulへ行ってしまいました。
折角行ったのでしっかり写真も撮っておきました。
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他にもこのような紛らわしい名称として、
ウェストミンスター寺院Westminster Abbeyと
ウェストミンスター大聖堂Westminster Cathedral
をよく勘違いする人が多いそうです。
こちらはいずれも有名なだけに本当に紛らわしいですね。


気を取り直して、今度こそ「本物」の
セント・ポール大聖堂へ辿り着きました。
絵葉書にあるような真っ青に澄んだ空と
素敵な造りの大聖堂のコントラストに感動しすぎて、
興奮気味にあらゆる角度から写真を撮りまくりました。
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外観を十分に満喫した後、中に入りました。
内部の写真撮影が禁止なので、
写真などでお伝えすることは出来ませんが、
厳かな中にも華やかさがあるという感じでした。
特に、この大聖堂のシンボルでもある
ドームに描かれた天井画は見事でした。

セント・ポール大聖堂にはドームの周りを1周できる
回廊Galleryが3段階設置されており、
それらへは計530段の螺旋階段を使って
登っていくことが出来ます。
あまり事前に知識を入れていなかった私ですが、
これに関しては出国前から
何度もガイドブックで目を通していたので、
記念に絶対全部登ってみたいと思っていました。
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回廊への入口の所に、「螺旋階段は一方通行」
というような注意書きがありました。
つまり、登り始めたら、それぞれの回廊に着くまで、
途中で引き返すことは出来ないことを意味していました。
事前情報によると、一番上の回廊まで登るのは
なかなか大変らしかったのですが、
ここまで来たからには絶対登ってやると思っていたので、
一抹の不安など構わず登り始めました。

地上から高さ30m、259段の階段を登り、
“Whispering Gallery”(内緒話の回廊)という
第1中継点(最初の回廊)へ辿り着きました。
人がゆったり擦れ違えるくらいの幅はありましたが、
回廊の手摺りがどことなく頼りなさそうで、
鉄製の柵のような造りで下もよく見えてしまうので、
かなりの高さに思わず足が竦(すく)みそうでした。
高所恐怖症ではないですが、
それでもこの高さは怖かったです。

下から見上げていたあのドームの天井画が
ここではかなりの至近距離で見られ、
その繊細な絵に感心すると共に、
「これを描いた人はどうやってこんな所に
絵を描いたのだろう」と素朴な疑問を感じました。
先に描いてから組み上げたのか、
それともドームが完成してから直接作業したのか。
後者だとしたら、想像しただけで身震いしてしまいます。


ここの回廊の壁側に設置された椅子に腰を掛け、
天井画をゆっくり眺めている観光客は結構居ましたが、
私の目標は一番上まで登ることだったので、
ここで寛いでいる訳にもいきませんでした。
ここまでで下へ下りてしまうことも出来ましたし、
この高さでも十分高くて怖かったのですが、
気合いを入れて更に上へと続く階段を登り始めました。

ここからは階段の幅が急に狭くなり、
螺旋の直径が狭くなったので、
少ない段数でより高く上がれると言うことで
1段当たりの効率が良くなった分、
角度もかなり急になりました。
気を抜いて上体が離れ、万一後ろに倒れでもしたら、
どこまで転げ落ちていくか分からないという恐怖から、
階段を這うように登っていきました。

極端に言うと前に足を出して階段を上がるというよりは、
真上に向かってよじ登っていく感覚に近かったです。
とても背筋を伸ばして上がれるようなものではなく、
いっそ四つん這いで上がろうかと思ったくらい
極度の緊張感に襲われていました。
下を見るのが怖かったので、
上に登ることだけに神経を集中していました。
それくらい緊迫していました。

やっとの思いで高さ23m、118段を登り、
“Stone Gallery”(石の回廊)と呼ばれる
第2中継点に辿り着きました。
ドームの内側にある“Whispering Gallery”と違って、
この回廊はドームの外周に設置されているので、
外の良い眺めを見渡すことが出来ました。
ここなら撮影禁止は関係なさそうだったので、
良い眺めを一望しながら写真も撮ってきました。

先程の倍程の高さまで登ったので
柵の隙間から下を見ると勿論怖かったのですが、
回廊の幅にはだいぶ余裕がありましたし、
背丈以上の高さもあるしっかりとした造りの
石で出来た柵が設置されていたので、
そんなに怖くはありませんでした。
でも、ここまで上空に来ると地上とは勝手が異なるのか、
風が強くて冷たいなと感じました。
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ここでも下へ引き返すことは出来たのですが、
ここまで来たからには、勿論目指すべきは、
一番高い回廊まで登り切ることだけでした。
なぜなら、今回の旅行中にずっと意識していたのは、
「ロンドンはそう何度も気軽に
来られるような所ではないし、
もしかするとこれが最初で最後になるかもしれないから、
出来るだけやり残しや悔いの残らないように、
ここで経験出来ることは何でもしておこう」
という気持ちがあったからでした。

一方通行なので登り出したら後戻り出来ない、
何があっても前進あるのみというプレッシャーや、
高所のあまり感じる恐怖心などは一切無視して、
私たち2人は最後の回廊への一歩を踏み出しました。
どうみても非常階段のようにしか見えないような、
狭く頼りない螺旋階段を延々と登り続けました。
恐怖などから頭が興奮状態となっていたので、
登っている最中は目の前の階段しか見えておらず、
恐怖以外の余計なこともほとんど考えられませんでした。

そして、下が透けて見える鉄製の階段から
急に四方を石かコンクリートで固めた階段に変わり、
壁の石が多くの観光客が通る度に
擦れていっているんだろうなと分かる程、
幅も更に狭くなって肩が擦れる程になりました。
そうして、遂に第2中継点から高さ30m、158段登った、
“Golden Gallery”(黄金の回廊)に辿り着きました。

パッと目の前に空の青さが広がり、
感動を覚えたのも束の間、
想像を絶する高さと、回廊の幅の狭さに絶叫しました。
大した幅もない塔の周りにへばり付くように設置された
鉄柵が何とも言えない頼りなさで、
下がもろに見えてしまうので、
あまりの怖さと、念願の最上部に辿り着いた興奮から
叫びまくっていました。

最初は足元や下の方ばかりに目がいってしまい、
怖くて仕方ありませんでしたが、
ふと目線を上げて遠方に目を見遣ると、
ふっと恐怖心が体から抜けていくように感じるくらい、
目を奪われるばかりの絶景に感動しました。
ロンドンの街並みが一望できる素晴らしい眺めでした。
“Golden Gallery”という名前も頷けます。
そして、この絶景を更に美しくしてくれたのが、
気持ちの良い、澄み切った青空でした。
曇っていたら全然違っていたと思います。
頂上まで登り切って、本当に良い記念になりました。
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この回廊を上から見た様子を平面図で例えるなら、
丁度、円の中にやや小さめの正方形が
描かれているようなもので、
極端に狭くなっている塔の角の部分では人と擦れ違えず、
面積に余裕のある塔の側面の部分で
壁になるべくくっつくようにして待避し、
後ろの人を先に行かせるという感じでした。

折角ここまで登ったからには、
本当はもっとゆっくりしたかったのですが、
こんな狭さなので回廊全体の収容可能人数が多くなく、
待避場所もそれ程ゆとりがないので、
さっさと時計回りに回るしかありませんでした。
それに、更に上空になったためか、
風の強さや寒さは一段と厳しさを増していました。

後ろ髪を引かれる思いでしたが、
下り階段を下り始めました。
登る時と違って比較的冷静でしたが、
角度が急であることに変わりはないので、
一段一段が、気が抜けませんでした。

(▼Golden Galleryから下り始めた所。)
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(▼Stone Galleryより撮影。)
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Stone Galleryにまた立ち寄って少し休憩した後、
更にWhispering Galleryまで下りました。
最初はこの回廊でも十分怖かったものですが、
一番上の回廊を見てきた自分は最早、
まるでパワーアップして帰ってきた
戦士のような心持ちだったので、
もうそれ程怖さは感じなくなっていました。

因みにこの回廊では、反対側に居る人の話し声が、
何故か後ろの壁から聞こえてくることから、
「内緒話の回廊」という名前が付いたとのことですが、
この時はそのことをすっかり忘れていたので、
この回廊とも名残を惜しんだ後は、
普通に地上へと下りていってしまいました。

ようやく地上へと戻ってきた私は、
文字通り、やっと地に足が着いた安堵感がありました。
その後売店では£110程買い物をしたのですが、
その中でも取り分け、250ピースながら
かなり難易度が高いという木製のジグソーパズルが
なかなか興味深いものでした。


さて、十分過ぎる程大聖堂を堪能してしまい、
予定がずれ込み始めていたので、
近くのスタバ(ロンドンに来て2度目)に入り、
さっと昼食を摂りました。
その後、ロンドン塔Tower of Londonへ向かいました。

駅を下りると目の前にロンドン塔があり、
アングルとしては全体像が撮れて良かったのですが、
生憎、まともに逆光だったためこの方向からは撮れず、
時間の掛かりそうなここは後回しにして、
先にタワー・ブリッジTower Bridgeを撮ろうかとも
考えたのですが同様に逆光で撮れなかったので、
タワーブリッジは後で対岸へ渡ってから撮ることにして、
予定通り、先にロンドン塔を観光することにしました。

タワー・ブリッジの袂(たもと)からロンドン塔へ続く
テムズ河沿いの遊歩道は観光客で溢れていました。
現在ホワイト・タワーThe White Towerと呼ばれる塔が
本来のロンドン塔だったらしいのですが、
現在では城塞全体を指す言葉となっているため、
この至近距離からロンドン塔の全体像を
カメラに収めるには無理がありました。
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入口の方へ回ってみると、
チケット売り場が奥の方に見えましたが、
あまりの観光客の多さに愕然としました。
チケット売り場は幾つも設置されているにも拘わらず、
どれも長蛇の列でした。
既に14時近くになっており、まだ明るかったものの、
日没までの時間にそれ程余裕がないことに
内心焦っていたのですが、
結局並び始めてからチケットを手に入れるまで、
30分も掛かってしまい、大幅なタイムロスになりました。

ロンドン塔は、ロンドンを守るための要塞として建設され、
一時期王室の居城としても使われたようですが、
その後、処刑執行場や牢獄として
使われた歴史の方が長かったため、
暗いイメージが定着してしまったという、
悲劇の歴史を持っているそうです。

ホワイト・タワーの中は展示室になっていて、
膨大な武器や鎧などが展示されていました。
また、隣のジュエル・ハウスJewel Houseは
ロンドン塔が王室の宝物庫でもあったようで、
それらの宝物の一部が展示されているということで、
是非見てみたかったのですが、
入口から繋がる長蛇の列は、
東京ディズニーランドの人気アトラクションの
順番待ちの如く、気が遠くなる程後ろまで続いていて、
待っていたら日没になってしまいそうだったので、
泣く泣く諦めて、ロンドン塔を後にしました。
この時、既に15時を過ぎていました。
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15時半が日没の目安であるため、
既に日は傾いてきており、
空も若干夕焼け色に染まり始めていました。
「写真が撮れなくなる」という焦りばかり募り、
日没との戦いになっていました。
ロンドン塔のチケット売り場の30分待ちが余計でした。

タワー・ブリッジは歩いて渡ると結構距離があるのですが、
何とか渡って対岸へ行き、
橋の全体写真を撮ることが出来ました。
但し、この時期は橋の開閉はしないということで、
跳ね橋が上がる所を見ることは出来ませんでした。

更にこの後、実際に塔も登りました。
エレベーターなどを使って、
北塔North Towerと南塔South Towerを結ぶ
ガラス張りの歩道橋The Glassed in Walkwayまで登り、
この歩道橋を渡りました。

タワー・ブリッジ誕生の歴史などを記載した
パネルなどが歩道橋の両壁に展示されており、
また歩道橋は2本あるので往復しました。
鉄骨の隙間から所々写真を撮れるスポットがあって、
だいぶ日が落ちかけていたのですが、
辛うじてここからの景色も撮ることが出来ました。
ロンドン塔の全体像も撮れました。
ぎりぎりでしたがここまで撮れて運が良かったです。
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下に下りて、入口が少し離れているタワー・ブリッジの
エンジン・ルームEngine Roomへ行きました。
もう外は既に薄暗くなっていました。
100年前に使われていた水圧式エンジンで、
現在は使用されていないとのことですが、
こんな装置を使って橋を開閉していたとは驚きました。

外に出ると、まだ16時半過ぎだというのに、
すっかり真っ暗になっており、
ロンドン橋London Bridgeらしき橋が
赤くライトアップされていました。
私たちはこの後、この日最後のお目当てだった、
BAロンドン・アイBA London Eyeへ移動しました。

ロンドンに来てからもう何度もその姿は見ていましたが、
まだ実際に乗ってはいませんでした。
ロンドンを一望できるというこの観覧車から、
昼間のロンドンの街並みを見ると格別らしいので、
他を早く回れれば明るいうちに乗ることも
一応視野に入れていたのですが、
夜景も恐らく綺麗だろうと思っていたので、
暗くなってから乗ることは十分計画のうちでした。
まだ17時半くらいだったにも拘わらず、
19時とか21時くらいに感じるくらいすっかり夜でした。

取り敢えず、小腹が空いていたので、
Westminster駅側(そば)の露店で
ベーコンサンドを買って食べました。
ベーコンがしょっぱかったですが美味しかったです。
あと、全部ではないのかもしれませんが、
見た感じ、ロンドンの露店では、
ホットドッグやベーコンサンドには
炒めたタマネギを入れる習慣があるようです。
それと、ピーナツを煎ってキャラメルに絡めるおやつも
出店(でみせ)でよく見掛けました。


青くライトアップされたロンドン・アイは綺麗でした。
乗り場周辺は観光客らでかなり賑わっており、
結構並ぶようなのかなぁと心配していたのですが、
ゴンドラのように大きなカプセルには
30人近くの大人数を一度に乗せられることもあってか、
順番待ちの列に並び始めてからは、
意外にスムーズに搭乗することが出来ました。

スピードはかなりゆっくりなのですが、
確実に高い所へ向かっていきました。
それにしてもロンドンの夜景の綺麗なこと。
私は、高速道路を走りながら
大黒ふ頭から見た横浜の街並みを思い出していました。
無数に浮かぶオレンジ色の明かりが
ロンドンの素敵な夜景を演出していました。
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昼間のロンドンの街並みは
セント・ポール大聖堂から堪能しましたし、
夜景の街並みもロンドン・アイで展望出来たので、
本当にこの日は感動的な景色に大満足の一日でした。


夕飯は、まだ腹にベーコンサンドが残っていたので、
前々日同様、軽めに済まそうということになり、
私はライチジュースだけ飲みました。

この日は兎に角、駅にせよ、観光スポットにせよ、
階段の上り下りがやたらと多かったので、
風が冷たく、強かったということもあって、
前日は弱まっていた膝の痛みが再び悪化し、
足を引き摺りながら歩く羽目になりましたが、
途中からは膝の痛みより、足の裏の方が痛み出しました。

ホテルに帰ってから見てみると、
案の定右足の裏の、親指と人差し指の間近くに、
大きめの肉刺(まめ)が出来ていました。
変な力が掛かって擦れてしまったのかもしれません。
歩く度に当たって痛かったので、
大袈裟に言うと歩くのが辛く感じる程でした。

しかし、不安なスタートながらも
十分に楽しんできたロンドン旅行も、
とうとう残された時間が翌日の出国前までとなり、
ロンドンで過ごす最後の夜となってしまったので、
最後まで限られた時間を目一杯楽しもうと思いました。


まず、出来る所まで荷造りをしました。
割れ物などをスーツケースに入れるのに、
どうやって少しでも衝撃を受けないように出来るか、
その為には何をどのように詰めれば良いのかなど
試行錯誤しながらの作業で結構手間取ってしまいました。
割れ物がなければ早かったのですが。

その後で、最終日の予定を最終確認しました。
最終日は元々予備日として設けていたのですが、
行きそびれた所や追加したい所が出てきたので、
むしろ行き先を厳選せざるを得なくなってしまいました。
ということで、大幅な予定変更を余儀なくされたのですが、
ここまで地下鉄の乗り換えや道順などを
テキパキとこなして下さっていたLくんが、
何とまだ何も決まらないうちに眠ってしまうという
不測の事態が発生してしまいました。

だいぶロンドンに慣れてきていたとは言え、
回る順番や最寄り駅からの移動経路、
所要時間の計算などを考えるのは
容易なことではありませんでした。
万一、飛行機に乗り遅れたりでもしたら大変ですが、
最後までこの旅行を満喫したかったので、
「あそこも行きたかった」という場所は
なるべく行っておきたいという思いもあって、
単に時間にゆとりを持った計画を立てるとなると、
あまりに回れる箇所が少なくなってしまうので、
地図や路線図、ガイドブックなどを
穴が空く程何度も見返して考えました。

この時思ったのは、
いくら観光名所をいろいろ回ったとしても、
それが大体どの辺の位置にあるのか、
どういうルートで回ったのかなど、
ある程度自分で地理などを分かっていれば、
後から思い出した時も色々細かいことを思い出せますが、
ただ、「あそこも行った。次はここへ行った。」
というように行った所だけ覚えていても、
本当の充実した旅行にはならないなということでした。

要するに、自分の意志で行き先や行き方を
頭に入れながら旅行しないと、
「そこに行った」という事実は残ったとしても、
途中の「自発的に旅行を楽しんだ」という感覚が
薄れてしまうのではないかなと思ったのです。
この時、改めてそれまで自分が行った所や
どんな路線を使っていたのかを簡単に振り返っていて、
このようなことを感じました。

予定を考えるのは大変でしたが、
行き方や時間の使い方を考慮して、
時間内にうまく収まるように組み替えたりしているうちに、
「今、積極的に旅行を楽しめているな」と思いました。
これだけロンドンを楽しんでおきながら、
帰った時に自分の言葉でしっかり説明出来なければ、
折角行ったのに情けなく感じるだろうと思いました。
受け身で何となく過ごしてしまった13年前の海外旅行とは
確実に違う自分が居ることを感じました。

考えている最中何度も眠くなったりしましたが、
何とかコースを決めました。
いつも通りの8時半や9時頃の出発では、
どう頑張っても時間が足りないので、
思い切って早めに出発することにしました。
日の出、日の入りに合わせていては、
必然的に回れる時間が短くなってしまいます。
3日目くらいにこのことに気付き始めましたが、
朝はゆったりと過ごす毎日だったので、
結構回ったつもりでも、1日当たりの実質観光時間は
それ程長くなかったことを考えると、
この出発時間を早めるしか方法はありませんでした。

そんな訳で、早く寝て睡眠時間を
確保しなければならない所でしたが、
逆に0時を回ってしまいました。

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2008年1月16日 (水)

ロンドン旅情記・5

▼第5日:12月28日(金)曇一時小雨

毎晩寝る前に炎症鎮静剤をお借りして塗っていたので、
翌日にはかなり和らいでくれていたのですが、
完全には痛みが抜けないで、
1日観光して帰ってくるとまた悪化している、
ということの繰り返しだったので、
この日から朝出掛ける前にも塗ることにしました。

また、普段の運動不足によって筋肉痛になった箇所は、
この日の朝にはほとんど治っていました。
毎日歩いて体を動かしていましたからね。

さて、貴重な滞在期間も半分を過ぎ、
じわりじわりと残された時間が少なくなってきていました。
やっと慣れてきた所なのに、