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2008年1月の20件の記事

2008年1月31日 (木)

チャリティドリームマッチ 茨城GGVSサムライ

もう2週間近く前の話になりますが、
先々週の土曜日に横浜スタジアムで行われた
「チャリティドリームマッチ
欽ちゃん・松坂大輔のドンとやるの!
茨城ゴールデンゴールズVSサムライ」

を観戦してきました。

茨城GGの試合観戦は、2006年11月(於つくば市)に
友人N氏と行って以来2度目でした。
このチャリティドリームマッチは今年で2回目。
昨年はスポーツニュースでこの対決を知りましたが、
今年はスタジアムまで実際に行ってしまいました。
横浜スタジアムは、中学生の時に友達に誘われて、
初めてプロ野球(広島-横浜)の観戦に行った球場で、
入ったのはこちらも2回目でした。

今回は内野席のみの開放でしたが、
かなりの観客でスタンドが埋め尽くされていました。
私は無論、一塁側の茨城GG側に座りました。
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試合前のシートノックの時から、
進行役の方と萩本さんの掛け合いが面白かったです。

最初に、萩本、松坂両監督がマウンドで挨拶を交わし、
昨年ワールドシリーズを制した
ボストン・レッドソックスの松坂投手は、
観客に拍手喝采で迎えられました。
優勝の大きな原動力となった岡島投手の方が、
昨年末からのテレビ出演などの露出は
圧倒的に多かったイメージがありますが、
やはり松坂選手の人気も根強いことを再確認しました。

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選手宣誓を片岡安祐美選手が務めた後、
始球式は柳葉敏郎さんが務めました。
野球経験がないという柳葉さんのボールは、
キャッチャーのかなり手前でバウンドしてしまい、
打者の松坂大輔選手が完全に見送りました。
「………今のはなかったことに!」
ということで始球式のやり直しが行われ、
気を取り直して2球目で無事決まりました。

スタンドには関根勤さんや見栄晴さんが来ており、
また東貴博さんがサムライ側のベンチリポーターを
務めるなど豪華な役者揃いという感じでした。
サムライは1番センターで松坂選手が入り、
2番に古木克明選手(オリックス)を起用し、
また、途中から小池正晃選手(横浜;先のリストには
「政晃」となっていた)が起用されるなど、
オフシーズンにも拘わらずプロ選手も活躍していました。

試合は2回を終えて3-1で
先攻のサムライがリードしていました。
そして3回の裏に、サムライはキャッチャーを
松坂選手の横浜高の先輩であり、
かつてバッテリーも組んでいた
上地選手に交代してきました。
今や「クイズ!ヘキサゴンⅡ」(フジ)で
すっかり有名になった上地雄輔さんでした
(入場の際に配られた選手リストには、
「祐介」となっていたが、変換ミスなのか、
敢えて登録名として字を変えたのかは分からない)。
クイズ番組でのキャラクターとは裏腹に、
プレーには切れがあり、巧かったので、
見直したというか、流石だなぁと感心しました。
後ろの客は「タレントにしとくの勿体ないよなぁ」
と呟いていました。

スタジアムDJや萩本さんのやりとりのせいもあってか、
回がなかなか進みませんでしたが、
掛け合いが面白いので楽しんでいました。

萩本さんが「ここで追い付くよ」と言って
始まった4回裏に本当に2ランが出て、
3-3の振り出しに戻りました。
しかし、続く5回表に飛び出したのが、
上地選手の勝ち越し2ランでした。
すぐさま5-3と突き放しました。

5回裏にサムライはピッチャーを
日テレアナウンサーの上重聡投手に交代し、
松坂選手がセンターからファーストへ
ポジションを変えました。
(観客は皆松坂選手が投げる所を観たがっていたので、
「段々マウンドに近付いてきた」と喜んでいました)。
ところが茨城GGがタイムリー2本で、
またもや5-5の同点に追い付くしぶとさを見せました。
GGの得点シーンの名物でもある、
フラガールたちもこの寒さの中、
華麗なフラダンスを披露してくれていました。
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更に強力な助っ人の荒木雅博選手(中日)が
代打で起用され、きっちりヒットで出塁すると、
観客の期待に応えて盗塁も成功させました。
一気に逆転のムードが漂っていた2死満塁の場面で、
萩本監督(欽督)は思い切った賭けに出ました。
「代打・鹿取義隆。」…思い切りすぎです。

以前GGでヘッドコーチを務めていましたが、
この起用は本人も周りも全くの想定外だったようで、
電光掲示板の選手名の所に
「編集中」と表示される羽目に。
でも何だかんだ言いながら打席に立つ所は流石です。
そして、3者残塁に終わりました。


7回表に入ってまたもや上地選手が勝ち越しとなる
タイムリーを放つなどしてこの回2点を加え、
7-5と三度(みたび)勝ち越しに成功しました。
その裏、サムライがピッチャーを松坂恭平投手
(松坂選手の弟)に替えました。
やはり球の切れが違うなぁと感じました。
松坂選手もファーストからセカンドへ移りました。

そして、GGの方も秘密兵器をここで出してきました。
「代打・大魔神」。
ご本人が相当打ちたがっていたらしいのですが、
現役時代、DH制のないセ・リーグとは言え
ほとんどストッパーとしての登板だったので、
バッターボックスに立っている姿をあまり見たことがなく、
ヘルメットを被ってバットを構えている佐々木選手は
何か変な感じでした。
しかし、きっちりと2塁打を放っていました。
そして、あっさり自分から(?)代走を要求…。
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この後、代打で片岡選手も起用されました。
普段なかなか打席に立てない分、
観ている側としても彼女の起用は嬉しいですね。
結果は残念ながらゴロに倒れ、
この回は結局無得点に終わりましたが、
続く8回表には、引き続き守備に就き、
荒木選手と共に夢の二遊間を組むことになりました。

更に、何故か代走を送られた筈の佐々木選手が、
今度は本職のピッチャーとしてマウンドへ。
現役を引退して尚、130km以上の切れのある速球や
フォークボールは観客を十分に唸らせるものでした。
そしてきちんと0点に抑えました。

その裏、観客が今か今かと待っていたその瞬間が
遂に訪れました。
松坂選手がとうとうマウンドへ立ったのです。
大リーガーの投球を一目見ようと、
スタンドの観客の注目が一点に集まっていました。
「流石に切れがある」「速い」というような
溜め息があちこちから漏れていました。
オフシーズンで、軽めに投げてこの球筋。
GGはこの回も0点に抑えられてしまいました。


この日は天気が良く直射日光が強かったので、
一塁側はむしろ暑いくらいでしたが、
この頃になると、日が傾き始め、
肌寒くなってきていました。

9回表1死で、松坂選手に打順が回ってきました。
欽督はここで、一度降板させた筈の佐々木投手を
再びマウンドへ送り出してお膳立てし、
スタジアムの興奮は最高潮に達しました。
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結果、松坂選手が2塁打を放ちました。
そして欽督は何事もなかったかのようにピッチャーを
元に戻して佐々木投手はここでお役ご免となりましたが、
本当に見応えのある勝負でした。

そして9回裏、2点を追うGGは
1死から代打で起用された柳葉さんが出塁して、
1死1,2塁と辛うじて逆転に望みを繋ぎました。
「一打同点、一発が出れば逆転サヨナラ」
という願ってもないチャンスに欽督が動きました。
「じゃぁ、代打・オレ。」
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こけました。
金色に輝く特注ヘルメットを被ってバッターボックスへ。
これに応えるべく、松坂選手も再びマウンドへ。
1球目大きく空振り。
そして2球目…、球威に押された(ただの打ち損じ?)
ボールが力なくボテボテと転がり、
ゲッツーでゲームセット。
こけました。

ある意味劇的な幕切れで、
サムライが茨城GGを7-5で下しました。
MVPには本塁打と勝ち越し打を放った
上地選手が選ばれました。
萩本さんのマイクパフォーマンスといい、
絶妙な返しをするスタジアムDJといい、
そして試合を盛り上げた友情出演の関係者といい、
真剣勝負の中にギャグと見所が混じった試合で、
本当に味のある面白い対決でした。
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2008年1月30日 (水)

第56回勝田全国マラソン

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3日前の話になりますが、
第56回勝田全国マラソンに出場しました。
しかし、コンディションは過去最悪と言っても
過言ではありませんでした。

というのも、昨年11月下旬に行われたつくばマラソン
において右膝の内側を痛めたのですが、
一度は治ったと思っていたのですが完治しておらず、
軽いジョギングや長時間の歩行をするだけでも
痛みが再発してしまうということが分かり、
癖になったり後遺症が残るとまずいので、
一度医者に診て貰おうと思った程でした。

ところが、なかなか平日は仕事で行くことが出来ず、
後回しにしているうちに大会の日になってしまいました。
この間ずっと安静にしていたので、
痛みは治まっていましたが、
練習で走れば、恐らくまた痛み出すだろうと思い、
全く走る練習をしませんでした。
敢えてぶっつけ本番という方法を選択したのです。

また、今月半ば頃から軽い頭痛に襲われていたのですが、
ほとんど問題ないながらも少し痛みが残っていました。
更には、不規則な生活が祟り、
前夜はとうとう一睡も出来ずに当日を迎えてしまいました。

これらの不安要素を抱えていたので、
流石に走らない方が良いかなと思いました。
無理をして走って、大会関係者に迷惑を掛ける
ようなことにでもなったら申し訳ないので、
辞退すべきか走るべきか悩みましたが、
「もしちょっとでも不調を感じたらすぐに棄権する」
ということにして走ることにしたのでした。
最初から「完走しない」ことを目標にして
走ったことは恐らく初めてだろうと思います。

好天に恵まれたのは良かったのですが、
この時期はどうしても空気が冷たいですし、
最近特に寒い日が続いていたので、
上は長袖を着ることで寒さ対策が出来ましたが、
肝心の膝が寒さに曝されてしまうので、
痛みが出易い条件で厄介だと思いました。

いつもは何もしないのですが、
「今回は何か少しでも対策出来れば」と思い、
ファイテン社が無料で行ってくれていたテーピングを、
私も施して貰うことにしました。
行列が物凄く長かった上に一人一人時間が掛かるので、
何と1時間以上も並ぶ羽目になってしまい、
隣の広場で行われていた開会式が
終わってしまった程でしたが、それでも気長に待ち続け、
ようやくスタート15分前くらいに番が回ってきました。

そんな訳で、もう準備体操する時間もほとんど取れず、
取り敢えず一通りやるのが精一杯で、
軽くジョギングする時間も取れませんでした。
完全なるぶっつけ本番となってしまったのです。
ということで、ほとんど最後部の方にスタンバイしました。
号砲から1分以上、一歩もその場から動けませんでした。

頑張る気持ちを捨てて競争意識を持たないようにし、
無理のない程度に走ることを心掛け、
久し振りに走る感覚を思い出すようにして走りました。
最初から周りに全く流されることなく
マイペースだったので走り易かったです。

沿道の観客のプレッシャーが掛からないように、
なるべく真ん中の方を走りました。
あとは、フォームだけは崩れないよう心掛けていました。
正しいフォームを維持するのは
段々疲れてくると辛くなってきますが、
フォームが崩れると変に足に負担が掛かってしまうので、
常に意識するように気を付けていました。

2kmくらいまではそれ程問題なく走れましたが、
徐々に左脚の大腿四頭筋に違和感を覚え始めました。
「右膝が痛んでいるということは、
原因は反対の左脚にある場合が多い」と
テーピングして貰っている時に助言されましたが、
寝不足のせいなのか潜在的な問題があったのか、
左脚の太ももに違和感が出てきました。
右膝が真っ先に痛み出すと思っていたのに意外でした。

去年同じコースを走っているので、
メインコースの昭和通りは直線で
先が見えている割には距離があり、
しかもアップダウンがあるので、
先が見えているが故に余計にきついというのが
分かっていた分、気持ちは楽でした。
それにあまり気張らずに楽なペースで走っていたので、
タイムを意識していない分、
体への負担は少なくて済んでいました。
いずれにしても、一度走っているという経験が
もたらす効果は本当に大きいなと実感しました。

しかし、気持ち的なゆとりとは裏腹に、
左脚の大腿四頭筋を中心に、
左脚にばかり違和感が集中していたので、
あまり酷いようなら棄権するつもりでしたが、
一応走れそうだったのでそのまま走り続けました。
3kmくらい走った所でちょっと体が楽になり
(ランナーズ・ハイにしては早い気もするが)、
折り返し点まで行った時には、
出来ればゴールまで目指したいなと
やはり意欲が沸いてきました。

走っていれば少なからず欲や闘争心が出てしまうので、
目標人物を見付けたりして、
無理しない程度に走りました。
直射日光が当たる所では暑く、
逆に建物などで日陰になっている所は寒い
という具合に気温差が極端で、
調整が難しかったですが、長袖で正解でした。

残り2kmや1kmを切ってからは長く感じられましたですが、
ここまで来たらゴールすることしか考えていませんでした。
1kmを切ってからラストスパートも
無理のない程度に軽く掛けました。
フォームを最後まで意識しゴールへ飛び込みました。
結果は1時間6分台(参考記録=実測タイム)
と全く振るいませんでしたが、
思っていた程悪くはありませんでした。
取り敢えず、無事に完走できて何よりでした。
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恐らく、痛めた右膝は副靱帯とか
そういった類だと思います。
つくばマラソンの時もコンディションは悪かったので、
きっと膝周りが筋力不足だったのに
ちょっと無理して走って痛めたのかもしれません。
若しくは、正しいフォームを意識しすぎて、
その完成度が低かったために、
却って無理な負担を掛けてしまったのかもしれません。
原因は定かではありませんが、
このまま走り続けて万一スポーツ障害等に
なったら大変なので、そのうち診て貰おうと思います。
一応数日経った今の状態としては、
筋肉痛が酷いだけで右膝はほとんど問題ありませんが。


話は変わりますが、
この日愛車のオドメーターが80,000kmを突破しました。
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2008年1月29日 (火)

ロンドン旅情記・8

▼ロンドン出国~帰国:12月31日(月)

ロビーで待っている間、喉の渇きを覚えていたのですが、
機内に水分を持ち込めないので、
下手に買ってしまうと飲み切るのが大変なので、
我慢していました。
そうこうしているうちに、
いよいよ搭乗開始時刻になりました。
ここに来てはもう名残を惜しむことも出来ないので、
構わず乗り込みました。

搭乗券を読み取り機に通した時もそうでしたが、
ちょっとぼうっとしていたので、
思わず「ファーストクラス・ビジネスクラス」側という
案内矢印が出ている方へ行きそうになりました。
「どうも体が勝手にリッチな方へ行きたがってるらしいな」
とジョーク混じりに自分を窘(たしな)めました。
所詮、庶民の私には縁のない所だというのに全く…。

航空券を確認すると、座席番号が結構若かったので、
どちらかというと前の方なんだろうなと思いました。
この番号自体にはそれ程違和感は
覚えなかったのですが、
その後、席を見付けて座ろうとした時、
「何か変だ」と思いました。

座席の前後の間隔が異様に広いことに気付きました。
しかもよく見ると、座席の造りなどもちょっと豪華で、
何だか見慣れない感じがしました。
しかし、後から乗客がどんどん乗り込んでくることもあり、
一連の動作の流れの中で、
取り敢えず座ろうかと思ったのですが、
その時、頭の中で情報が素早く整理され、
「ランク的にどうもおかしい」とピンと来ました。

予期せぬ出来事に、軽く頭が混乱し始めていました。
「もしかして、クラス毎に番号が振られていて、
ここはエコノミークラスではなくもっと上のクラスで、
番号は同じだけれどもっと私たちの席は
後ろの方なのか?」と思いました。
そう考えてみれば、エコノミークラスにしては
ちょっと豪華すぎるので、
クラスが違うと考えた方が納得がいきました。
それに気付かずに他人の席に座っては恥ずかしいので、
まずフライトアテンダントに確認することにしました。

「ここじゃない」と言われるのかと思っていたら、
「はい、ここで合っています。こちらのお座席は、
クラスを上げる措置を採らせて頂いております」
という返事だったので、
「そうだよなぁ、飛行機は確か全部通し番号だもんなぁ。
やっぱりここで良いんだなぁ。でも本当に良いのかなぁ。
『ここ、私たちの席です』なんて言う人が
現れたりしないかなぁ、大丈夫かなぁ。」
とまだ半信半疑でした。
でも、合っていると言うのですから、
間違いはないのでしょう。
どこか腑に落ちないような気持ちで着席しました。

ふと窓の外を見遣ると主翼が見えました。
それを見てようやく「ははぁ、なるほど」と思いました。
先程のフライトアテンダントの妙な発言の
意味していることが何なのか理解しました。
つまり、ここは翼の付け根の丁度真横に当たる場所で、
ほとんど外が見えないというハンディがあるために、
その代わりにお詫びの意味もあって、
エコノミークラスと同じ金額で、
ビジネスクラスと同等の待遇を提供する
ということなんだろうと理解しました。

航空券を発券した時から、何となく分かったような
分からないような感じでもやもやしていたのですが、
この時、やっと全てのパーツが繋がりました。
そうと知って、逆に畏れ多い気持ちになりました。
そりゃ確かにここじゃ外は見えないですが、
どのみち真ん中の座席でしたし、
飛行中はほとんど夜で外は真っ暗ですし、
下界が見えるのも離着陸時くらいのものなので、
見えても見えなくてもあまり関係ありませんでした。
それにも拘わらずこの厚遇ですから、
逆に申し訳ないような気持ちになりました。

庶民が急に金持ちになると、
身分に頭がついて行かなくなって、
人間的に壊れるということがよく分かりました。
急に脳が興奮状態になり、
今まで知る由もなかったリッチな世界に
はしゃいでしまっていました。
エコノミークラスに乗れなくなるんじゃないか
というくらい贅沢な気持ちに浸っていました。


飛行機はロンドンを30日の19時過ぎに出発しました。
窓の外の景色は全然見えませんでしたが、
離陸し始めた時、いよいよ本当にこれで
ロンドンともお別れだと思いました。
そして、そっと心の中でロンドンに
お礼と別れを告げました。


さて、シートベルトの着用サインが消えてから、
自由に身動きが取れるようになったので、
早速どんな仕組みになっているのか調べました。
リクライニングは可動部位が多いので、
自分の好みにあった変形が可能で、
ベッドのようにほぼ水平にまで動かすことも出来ました。
スリッパ付きで作りも結構しっかりしていましたし、
テーブルも肘掛けの下に収納されていて、
前の座席に取り付けられているタイプではないので、
バタンと倒して前の方に迷惑を掛けてしまうことがなく、
また、リクライニングは座席から独立していて、
リクライニングを変形しても座席は固定されたままなので、
後ろの方に遠慮することなく、思い切って動かせました。

そして、何と言っても前後左右がゆったりしているので、
真ん中の人でもトイレなどに立ち易いというように、
快適な空の旅が保障されていました。
特急列車より遙かに窮屈なエコノミークラスしか
乗ったことのなかった私には何もかも別世界でした。
旅行中は数々の幸運に恵まれていましたが、
最後の最後までラッキーなことが起こりました。
まさに「残り物には福がある」でした。

しかし、所詮はエコノミークラス料金です。
座席環境はビジネスクラスに格上げしてくれても、
他はエコノミークラスと同等なのだろうと思っていました。
ところが、それだけではなかったのです。
サービスまでビジネスクラスと同じでした。
エコノミークラスだった行きの時の機内食は、
コンビニ弁当のようにレンジで温めるだけで
食べられるような物で(メニューはもっと豪華ですが)、
容器等も基本的に使い捨て出来るような
プラスティック製や紙製の物でした。

けれども、ビジネスクラスに限りなく近かった帰りは、
ナイフやフォークなど凶器になり得る物以外の食器は、
グラスや皿、器などは全てレストランと変わりなく、
メニューも、行きは簡単な内容が書かれたカードから
二者択一で選ぶというものでしたが、
帰りはしっかりとしたメニュー表が配られ、
洋食か和食を二者択一で選ぶのは同じですが、
その細かいメニューの一覧表が記載されており、
軽食やスナックメニュー、到着前の食事のメニューなど、
きちんと事細かに確認出来るようになっていました。
因みに、私は和食は日本に着いてからの
楽しみにするため、敢えて洋食を選びました。

高級レストランさながらの豪華な食事を前に、
あまり酒を飲まない私も、
思わずシャンパンを頼まずには居られませんでした。
あまりに幸せすぎて胸が一杯になり、
死んでしまいそうでした。
急に庶民がリッチな生活を味わってしまったせいで、
感情のコントロールがおかしくなったのかもしれません。
「おれぁ幸せだ~」と何度口走っていたか知れません。
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窓側から2席、真ん中が3席で、反対の窓側が3席、
それが3列あるということで、
ビジネスクラスとエコノミークラスに挟まれた、
この9組だけが変則的特別待遇だったようです。
たったこれだけの客しか居ない限られた範囲を、
飛行中はほぼ同じフライトアテンダントお二方が
両通路を頻繁に行き来していたので、
サービスが密に行き届くので、
尚更贅沢な気持ちになりました。

こんな優雅な時間を11時間半も過ごせるとは、
本当に有り難いと思いました。
後は如何にこの時間を有意義に過ごすかでしたが、
考えてみると、この日は2時間しか寝ていなかったので、
折角ベッドにもなるリクライニングなので、
心ゆくまで寝てしまいたい気持ちもありました。
その一方で、「折角こんな贅沢をさせて貰っているのに、
寝て過ごしてしまったら勿体なくないか?」
という自問自答もありました。

それと搭乗前までは、「シャンハイ」(ゲーム)の
リベンジを果たすつもりだったのですが、
いくら機内でしか出来なそうとは言っても、
これだけの環境に居てゲームばかりしているのは
ちょっと勿体ないかなと思って、
これも過ごし方としては如何なものかなと思いました。

結局は、ロンドン最終日のことを中心に、
色々思ったことを忘れないうちに書き残しておこうと、
手記にまとめているうちに8時間も費やしてしまい、
周りは眠りに就いているというのに、
自分だけ寝ずに書き続けていました。
頭が興奮覚め遣らぬ状態だったので、
やっと書き終えて眠ろうとしても全然眠れず、
ベッドも微妙に水平でないので、
寝ているうちに足に血が溜まってきて痺れ、
それでも何とか2時間くらいはうとうとしたのですが、
そのうち室内灯が点いて、
食事の時間になってしまいました。


もう眠れないことを悟った私は開き直って、
残りの2時間くらいは最後まで「シャンハイ」を
しながら過ごすことにしました。
ほとんど寝ていないために頭が全く働かず、
結果は惨憺たるものでした。
リベンジするどころか悉く返り討ちに遭いました。
寝なすぎて体が変になっていたので、
食欲もあまりなくなっていました。
でも最後まで美味しい機内食でした。
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やがて、遂にこの「俄か成金生活」にも
終わりの時が刻々と近付いてきました。
飛行機が着陸態勢に入ったのです。
この時ばかりは「もうちょっと飛んでいても良いよ」
と思ったくらいでしたが、
それは兎も角、無事に着陸出来るよう祈っていました。

成田に着陸したのは31日15時半前でした。
時差9時間のせいで、実質飛行時間11時間半と合わせ、
ロンドンを発ってから20時間半が経過していました。
やはり日本もロンドン程ではないですが寒かったです。
動く歩道で思わず右側に立ってしまい、
関東ルールが一瞬分からなくなりました。
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携帯電話を久し振りに使いました。
インターネットからもすっかり離れていたので、
日本のニュースは機内で読んだこの日の
新聞からの情報しか分かりませんでした。
でも、こういう機会は大事だなぁと思いました。

入国審査や手荷物検査を受ける時、
相手も日本語で話し掛けてくるので、
一言二言、余計なことも付け加えたり出来ましたが、
こういう他愛もないことが言えるコミュニケーションが
取れるって素晴らしいことだなぁとしみじみ思いました。
今度はいつ外国に行く機会が出来るか分かりませんが、
その時にはある程度の英会話が出来るように
なって居たいなぁと思いました。


6GB分も持って行ったカメラのメモリーカードは、
残り25枚しか撮れないくらい撮ってきてしまいました。
もし、成田空港でゆっくりする時間があれば、
全部撮り切っていた勢いでした。
最もロンドンより1時間は日が長いとは言え、
結構夕方になってきていましたし、
睡眠不足から来る眠気が凄まじかったですが。

街の景色は、信号機もコンビニも看板も車も、
当たり前ですが、もう日本の景色でした。
けれども、私の脳裏には確かに、
ロンドンで過ごした1週間の光景が
焼き付いていたのでした。
ホッとした気持ちよりも、
虚無感の方が大きかったです。
それだけ楽しい思い出を作れたのだと思います。
本当に貴重な経験を沢山させて貰いました。
全てのことに対して感謝の気持ちで一杯でした。


こうして、大晦日まで活動的に過ごした2007年が
終わったのでした。

【完】

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2008年1月26日 (土)

ロンドン旅情記・7

▼第7日(帰国便搭乗まで):12月30日(日)曇

ロンドン最後の夜となった前夜、
私は布団に潜り込んでから、
色んな事を思い返していました。
楽しみと不安が入り交じった出国前の日々を経て、
本当にロンドンに来てしまった最初の日のこと、
右も左も分からず、けれども見る景色が
どこもかしこも全て素敵で感動していた前半のこと、
要領が分かってきて、ロンドンに慣れてきて、
それなりに生活を楽しめてきた後半のこと、
セーフティボックスを借りたり、
レストランで注文する際に英会話に苦労したことなど、
ここでの長くも短かった日々の経験が
あれこれ思い出されました。

特に大変だったのは英会話でした。
その中で感じたのは、言いたいことを伝えるためには、
正しい英文を綺麗な発音で話すことよりも、
相手に伝わったかどうかの結果が大事で、
極端に言えば、単語の羅列であっても、
会話として通じれば十分だと言うことでした。
しかし、それは最低限のレベルの話でした。

何とか簡単な英単語(それも一言、二言だけ)を駆使して
話が通じるには通じていたのですが、
ちょっと相手に何か予測していなかったことを聞かれたり、
細かい説明などを受けたりした時に、
断片的に単語が聞き取れるくらいで、
一瞬はほとんど言っている意味が分からなかったり、
意味が分かって何か返事したくても
すぐに言葉が浮かばず言いたいことが言えなかったり、
レストラン等で何か突っ込んだ質問をしたくても、
余計なことが言えなかったりして、
つくづく自分の英会話力のなさを痛感しました。

また、相手との話を盛り上げたくても、
簡単なジョークや余計なことの一つも言えなくて、
最低限のことしか話せなかったので、
全然弾ませられなくて歯痒さも感じました。
咄嗟の一言が出ず、文章に出来る訳もなかったので、
普段使いませんし、話す機会がないせいで、
どんどん忘れていっているんだなぁと感じました。

私が主に使っていた英単語はせいぜい、
“Yes.”“OK.”“Sorry.”“○○, please.”“3 (adults).”
“Thank you (very much).”“Hello.”
くらいのもので本当にこれくらいしか喋っていません。
これだけで本当に95%以上占めていました。
人の会話を聞いて覚えて最後の頃に話したのが、
“Yes, please.”くらいのものでした。
『男はつらいよ』シリーズ(松竹)か何かで
「英語が喋れる」と自慢していながら、
“Yes”と“No”と“OK”しか話していないという、
笑い話があった気がしますが、
そのことを思い出し、人のことを笑えないと思いました。

最終日はセーフティボックスを空にしたり、
チェックアウトの手続きをしたり、
クロークにスーツケースを預かっていて貰ったり、
タクシーで空港に向かうことなどを考えると、
英語が話せないのは胃が痛い思いでした。
けれども、泣いても笑ってももうしばらくは来られない
(次来られるかどうかすら分からない)と思うと、
最後までこの旅行を楽しまないといけないと思いました。

最後までお粗末な会話で通すのは何だか空しいですし、
お世話になったホテルのフロントの方に
きちんとお礼もしたかったですし、
ここはビシッとした英会話をしようと思いました。
市販のトラベル英会話などの例文などを参考にしても、
どうせ慣れない言い回しを覚えきれず、
何を言っているのか分からなくなるだけだろうと思い、
英文が合っている、合っていないは気にせずに、
自分の考えた文章で話す方が間違いないと思いました。
そこで、どう話すか自分なりにあれこれ考えていました。

ようやく話す文章が決まって、何度も練習した後、
今度こそ寝ようと思ったのですが、
頭が冴えて眠れなくなってしまいました。
ロンドンに居られる時間が残り少ないので、
寝てしまうのは勿体ないという気持ちもありました。
そして、そうこうしているうちに、
「明日はあそこへ行ってお土産を買い足そう」とか、
「やっぱりコースはあっちを先にしてからの方が、
効率が良いかなぁ」などという考えが浮かんできて、
益々眠れなくなってきました。

「そうだ、最後にハイデッカー(2階建てバス)にも
乗っておきたいなぁ。でも、バスに乗るって不安だなぁ。」
などという考えも浮かんできたので、
乗る時のシミュレーションなどをイメージトレーニング
しているうちにすっかり夜が更けてしまいました。

ようやく寝付いたのが2時近くになってしまい、
緊張していたせいであまり熟睡出来なかった上に
4時過ぎには目が覚めてしまい、
睡眠時間僅か2時間程度という極度の寝不足の中、
最終日の朝を迎えました。
当然、外はまだ真夜中のような暗さでした。

6時過ぎにレストランに行ったのですが、
早すぎるためかほとんど客は居ませんでした。
6日間ほぼ同じメニューで食べ飽きていた
いつもの朝食バイキングを食べるのも、
これが最後なんだなぁとしみじみ感じました。
でも、寝不足のせいで気分は悪かったですが。

朝食の後、セーフティボックスの中身を取り出しました。
何度も練習した肝心の英会話は、
途中まで言ったところでど忘れしてしまいましたが、
何とか通じたようで良かったです。
というか、相手も今日で私たちがチェックアウトなので、
返却するというのは最初から理解していたみたいですが。

部屋に一旦戻って荷造りを済ませました。
瓶やマグカップなどの割れ物があったので、
手荷物として機内に持ち込むか、
スーツケースに入れてしまうかで迷いましたが、
この日の計画としては、
スーツケースをホテルのクロークに預けて観光し、
一旦ホテルに戻ってそのまま空港へ向かうというもので、
スーツケースを開ける機会はもうないということで、
手荷物として機内に持ち込むのなら、
この日観光している間もずっと手荷物として
持っていなければならないことを意味していたので、
悩んだ末に出来るだけスーツケースに
入れてしまうことにしました。

また、出国の際の総重量は13kgでしたが、
土産などで荷物がかなり増え、
特に瓶などが結構重かったので、
ちょっと制限重量の20kgぎりぎりになる
可能性もあって神経を使いましたが、
「増えた分は大体7kg分くらいのような気がするから、
これくらいは詰めてもとんとんくらいの重さで、
多分何とかクリア出来るだろう」という、
感覚的な計算を信じて詰めました。


スーツケースの中身を最終確認して閉め、
1週間宿泊した部屋も忘れ物がないかよく確認し、
最後のチップを置いて部屋を後にしました。
そしてフロントへ行きました。
イギリスでは、1階をGround Floorと言い、
2階から1階、2階…と数えていくという文化の違いにも、
もう違和感はすっかりなくなっていました。

チェックアウトをした後、
クロークにスーツケースを預かって貰いましたが、
その際も前夜に考えた会話文を使いました。
またもや後半部分をど忘れしましたが、
大体言えたので良しとします。
でも、その後ポーターとの会話がうまく出来なかったので、
やっぱり力不足でした。
とは言え、自分の中では山場を乗り切れたので、
ようやくホッとすることが出来ました。


何とか7時半前にホテルを出られました。
夜なのかと勘違いする程まだまだ暗かったですし、
相変わらず寒かったです。
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この日まず向かったのは、
ビートルズの事実上最後に録音されたアルバム
『アビイ・ロード』のジャケットに使われたという、
世界一有名なAbbey Rd.の横断歩道に行きました。
それ程ビートルズに詳しくなかったので、
全然そんなことは知らなかったのですが、
偶々旅行中にガイドブックを見ていた時にこれを知り、
「折角ロンドンまで来たからには見ておかないと」
と思い、急遽予定に組み込んだのでした。

最寄りのSt. John's Wood駅に8時頃着きましたが、
うっすら明るくなってきた程度でまだ暗かったので、
「まだちょっと撮影するには暗いかな」と思いましたが、
取り敢えずその横断歩道へ向かいました。

既に家族連れの日本人観光客が数人居ました。
結構交通量の多い通りだそうで、
なかなか撮影するのも大変だという話でしたが、
早朝だったこともあってそれ程ではありませんでした。
この日は曇りだったこともあって、
本来ならもっと明るくなっていても良さそうなものでしたが、
駅から歩いているうちに夜が明けてきたので、
早速同じポーズで撮ってみました。

すぐ側に彼らが多くの曲をレコーディングしたという、
アビー・ロード・スタジオもありました。
スタジオの白い外壁にはファンによるものと思われる、
メッセージというのか落書きというのか分かりませんが、
びっしりと何やら書き込まれていました。
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次に、リージェンツ・パークRegent's Parkへ行きました。
Abbey Rd.から歩いて行ける距離だったので、
まだ人気(ひとけ)の少ない日曜の朝の街並みを見ながら
徒歩で移動し、9時過ぎには着きました。

兎に角面積が広大な公園で、
ロンドンの公園にはお決まりとも言うべきリスも
ちゃんと見掛けました。
隅から隅まで散策してしまうとかなり時間が掛かるので、
この公園の見所の多い南半分を中心に回りました。
園内は他のロンドン市内の公園と同様、
基本的に「野原」の方がイメージとして近いような、
自然がそのまま残されているような所が
多かったのですが、
ローズ・ガーデンRose Gardenなどは
芝や区画なども手入れされていました。
時期が良ければ様々なバラが楽しめたようです。
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本当はこの後、歩いて行ける距離にあって、
26日に一度行っていたシャーロック・ホームズ博物館に
再度寄るつもりだったのですが、
開館時刻の11時までまだ1時間近くあったので、
うっすら肌寒い公園でじっとそれを待っているのも
何かなと思って、どうしようか悩んだ末に、
その次に行く予定だったテート・ブリテンTate Britainなら
もう開館しているということで、
移動のタイムロスを考えても、
少しでも先に動いておいた方が
時間を有効に使えるという計算だったので、
そちらに先に行くことにしました。


テート・ブリテンはテムズ河沿いに立っていて、
イギリス美術の一大コレクションを有する美術館で、
やはり私のレベルでは「ほぅほぅ…」と頷くばかりで、
なかなか難しい世界が広がっていました。
が、ここの最大の呼び物である、
ターナーという画家の作品コレクションは、
見ていて「凄いなぁ」と思いました。
時代によって色遣いやタッチが変わっていながら、
絵画技術は相当レベルの高いものでした。
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さて、建物の外観の写真などを撮っている最中、
偶然テムズ河の方を見ていた時に、
不思議な光景を目にしました。
浜辺を下りてきた変な形をした乗り物が、
そのままテムズ河へと入っていってしまい、
そのまま河を遊覧しているではありませんか。
そう、実はこれ、水陸両用車だったのです。

呆気に取られてそれを目で追っていると、
もう一台が同じように浜辺に下りてきて
同じように河の中へと進んでいき、
先に遊覧していた方は浜辺へ向けて進路を変え、
そのまま浜辺に上がってしまいました。
こういう乗り物が存在するとは知りませんでした。
偶然こんな貴重な光景が見られてラッキーでした。

実はこの乗り物はロンドンに来た初日に、
ホテルへ送迎して貰っている時に、
街中で偶然目にしていました。
随分変わった形の乗り物だなぁと思っていたのですが、
まさかこれが水陸両用車だったとは驚きです。
モーターボートに車が付いたような、
妙に変な形だったのも納得がいきました。
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この後、地下鉄Victoria Lineなどを使って、
シャーロック・ホームズ博物館のある
Baker St.へ再び戻りました。
テート・ブリテンに来た時もそうだったのですが、
乗り換えの主要駅の一つであるVictoria駅だけ停車せず、
代替バスを運行していました。
駅などに告知ポスターが貼ってあったので、
前以て計画されていたようですが、
結局理由はよく分かりませんでした。
私たちにとっては通過駅に過ぎなかったので
どのみち問題はなかったですが。
ドアは閉じたままで降りられなかったものの、
ちゃんと駅で一旦停車したり、
出発する時間などは通常運転と変わらないようでした。
ホームが真っ暗だったのでそれだけは変な感じでしたが。
因みに他の乗り入れ路線は運行していたようです。

昼食は博物館近くのカフェで摂りました。
「これがロンドンでの最後の食事になるだろう」
と思いました。
ちゃんと経験したことを生かし、
注文は「少なめかな」と思うくらいで留めておきました。
案の定、想像していた以上にボリュームがあって、
丁度良い量でした。


その後、シャーロック・ホームズ博物館に再度行き、
土産などを買い足しました。
時間があれば、この後にもう少し回りたい所でしたが、
無理すれば回れないこともなさそうでしたが、
あまり時間がぎりぎりになってしまうと、
飛行機に乗るのに慌ててしまうことになりかねないので、
時間に余裕を持って行動するために、
このままホテルに戻ることにしました。

ここで、これまで通り地下鉄で帰るという手もありましたが、
密かに「ハイデッカーに乗りたい」とも思っていました。
ロンドンに来て最初の数日は、
店に入るのも同じですが、外国人ばかりが居る
閉所へ飛び込むことになるタクシーやバスには、
怖くてとても乗れそうもないと思っていましたが、
「折角ロンドンまで来ていながら、
この名物バスに一回も乗らなかったとなれば、
もし『記念に一回くらい乗っておけば良かった』
という気持ちになった時後悔するだろう」と思って、
徐々に「乗ってみようかな」という風に、
気持ちが変化してきたのです。

私は密かにホテル近くのバス停を通るバスの
系統番号を覚えたり、
バスの乗り方やバス停での客の様子などを、
時々眺めたりしていました。
そして、ガイドブックもしっかり読み込んで、
「地下鉄一日乗車券があれば、同じゾーンの中なら、
共通乗車券としてそのまま乗れる」ということを
何度も確認したので、
「機会があれば乗ってみたい」と思うようになりました。
とは言え、まだ少し恐怖心があったので、
とうとう乗らないまま最終日になってしまったのでした。

しかし、この日は朝から気合いが違いました。
何しろ寝る前から「明日は絶対乗ってやる」という
意気込みで何度も細かい情報を最終確認したり、
シミュレーションしたりしていたのです。
それに、ゾーン内であれば乗り降り自由なので、
仮に間違って乗ってしまっても、
若(も)しくは目的地と違う系統のバスに乗っても、
すぐに適当な所で降りてしまえば良いだけの話なので、
「あまり肩肘張らずに、もっと気軽な気持ちで考えて、
記念にちょっとだけでも乗れれば良いんじゃないか」
と思うようになっていました。

ということで、博物館の近くにバス停があったので、
念のためどんな系統のバスが走っているのか
確認するだけしてみることにしました。
(本当は、バスの路線図を手に入れられれば、
もっと安心して乗れたのですが、
手に入らなかったので、ホテル前を通るバスの
系統番号だけが頼りでした)。
すると、ラッキーなことに、
何と、まさにそのホテル前を通るバスの
系統番号が載っているではありませんか。
路線図を全く知らなかったのに、奇跡が起こりました。

これはもう乗らない訳にはいきませんでした。
どこで降りて何に乗り換えるかなどという
余計なことを考えずにこれ一本で帰れるのです。
更にラッキーなことにここが始発駅だったらしいのです。
つまり、お客さんが乗っていない状態で乗れるので、
右も左も分からない初心者の私にとっては、
途中から乗り込むのと違って、
余計な緊張感を味わわずに乗れるということでした。

勿論、折角なので2階席に座りました。
信号も目線の高さですし、
バス停の屋根が下に見えるなど、
完全に街を上から見下ろせる高さなので、
優越感や眺めの良さと言ったリッチぶりは、
癖になりそうな気持ち良さがありました。
「こんな優雅な気持ちでロンドンを回れるなんて、
わしゃ幸せもんじゃ~」と思いました。
地下鉄に比べればやはり時間は掛かりましたが、
最後にこんな形でロンドン観光が出来て、
本当に良い思い出になりました。
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結果的にホテルには早すぎず遅すぎず、
良い時間に着きました。
ホテルのクロークでスーツケースを引き取った後、
ポーターに空港までのタクシーを呼んで貰いました。
最後はロンドン名物の黒塗りタクシーに乗って
空港へ向かう算段だったので、
「ハイデッカーにも乗れたし、タクシーにも乗って、
思い残すことがほとんどないくらい、
十分にロンドンを満喫して帰国出来るな」と
思っていたのですが、
到着したのは普通のセダンでした。

きっとホテルが契約している
専属「タクシー」なのでしょう。
私たちの前の客が同じような車に乗っていたので、
それを見て「もしやあれがタクシー?」と
薄々予感はしていたのですが、
黒塗りタクシー(若しくはそれに準ずるもの)を期待し、
むしろそういうのに乗ると信じて疑わなかったので、
かなり拍子抜けしてしまいました。

ま、街中で拾える程の英会話力と度胸がないので、
ちょっと心残りではありましたが、仕方なかったです。
気を取り直して、「タクシー」の車窓から、
最後のロンドンの景色を目に焼き付けていました。
初めてホテルまで送迎して貰った時から考えると、
「本当に充実した1週間を過ごせたなぁ」と思いました。
あの時の運転手に言われたロンドン旅行の秘訣、
「兎に角旅行を思い切り楽しむことですよ」
という言葉が改めて思い起こされていました。

あの時は何にしても不安で怖かったので、
「きっと上っ面の部分しか体験することが出来ず、
心の底からの満足感までは味わえないかな」
という気が内心していたのですが、
自分なりに広く深く色々経験出来て、
そう言った体験を通して
それまでは見ようとしなかった物が見えるようになって、
視野が一段と大きく広がったかなという感じがしました。
臆病だった気持ちがちょっと大胆になったりもしました。

無事にヒースロー空港Heathrow Airportに着き、
私は運転手に精一杯の英会話で
お礼の気持ちを伝えました。
それは「送ってくれた運転手個人に対して」
というのも勿論ありましたが、それよりも、
素晴らしい時間を過ごさせてくれた
このロンドンに対しての感謝の気持ちを、
代表して運転手に伝えたような感じでした。


15時半を過ぎており、もう辺りは薄暗くなっていました。
私たちは先に搭乗手続きを済ませ、
スーツケースを預けました。
「絶対、制限重量を超えている」と言われた
私のスーツケースも21kgで、ぎりぎりクリアし、
見事感覚通りの絶妙な匙加減でした
(かなり危なかったですが)。
これがパスしたことでもう心配の種はなくなりました。

ただ、帰りの航空券を発行して貰う際、
「レギュラーの座席は一杯になってしまったので、
サイド席になってしまいますが、宜しいですか?」
と言われ、何のことだかよく分かりませんでしたが、
補助席みたいものを思い浮かべながら(よく考えてみると
飛行機にそんなものがある訳ないのだが)、
「まぁ、別にどうせ帰りは夜だからどの席でも良いし」
という気持ちで、「大丈夫です」と答えました。

因みにここの受付の人は日本人だったので、
やっと相手が日本語で喋ってくれたので、
妙に力が抜けました。
(尤も、日本語にすがりたがっていた到着時と違って、
すっかり英語でしか話せないつもりで居ましたが)。

その後、出国手続きも済ませ、
搭乗までの間免税店で買い物を楽しんでいました。
旅行中、私はスリに遭わずに済みましたが、
空港内は人がごちゃごちゃしていたので、
最後まで気を抜かないように気を付けていました。


搭乗時間が少しずつ近付いてきたので、
私たちは搭乗口へ移動しました。
一番端っこだったので、かなり距離がありました。
搭乗口が近付いてきて、
明らかに日本人が多くなってきているのに、
すれ違いざまにちょっとぶつかった時などに、
思わず“Sorry.”などと反射的に言っている自分が
おかしかったです。
まぁでも、似ているようでも日本人とは限らないので、
その方が無難ではありましたし、
相手にしても私が日本人とは断定出来ないと思うので、
ここなら日本人同士が英語で話していても、
違和感はありませんでしたが。
街中でも基本的に相手は皆外国人だと
思っていればほぼ間違いなかったので
(むしろ、ロンドンでは私の方が外国人ですから)、
あまり気にせずに過ごしていました。

搭乗口に着いた時には、
外はすっかり真っ暗になっていました。
搭乗までの間、待合ロビーでロンドンでの
最後の一時を噛み締めていました。
流石に日本人の割合が圧倒的に多かったようで、
半分くらいは日本の空気になっていました。
他の乗客達もまた、
それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。
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2008年1月17日 (木)

ロンドン旅情記・6

▼第6日:12月29日(土)晴時々曇

ロンドンに来てからも、夢に出てくるのは、
今まで見ていたのと同じような設定のものばかりで、
登場人物も日本人で会話も日本語でしたが、
この日の朝まで見ていた夢は、
宿泊しているホテルの受付で
英会話のやりとりをしているというものでした。
遂にこんな夢まで見るようになったかと思いました。

(▼朝7時過ぎの様子。まだ星が出ている。)
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丸一日観光出来るのはこの日が最後と言うことで、
この日のうちに、出来るだけのことは
やっておきたいという気持ちでした。
この日は景色を楽しむ予定が多かったので、
朝から良い天気になってくれて本当に有り難かったです。
天の恵みだと思いました。


最初に、セント・ポール大聖堂St. Paul's Cathedral
向かいました。
しかし、名前が紛らわしくて間違い易いという
セント・ポール教会St. Paulへ行ってしまいました。
折角行ったのでしっかり写真も撮っておきました。
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他にもこのような紛らわしい名称として、
ウェストミンスター寺院Westminster Abbeyと
ウェストミンスター大聖堂Westminster Cathedral
をよく勘違いする人が多いそうです。
こちらはいずれも有名なだけに本当に紛らわしいですね。


気を取り直して、今度こそ「本物」の
セント・ポール大聖堂へ辿り着きました。
絵葉書にあるような真っ青に澄んだ空と
素敵な造りの大聖堂のコントラストに感動しすぎて、
興奮気味にあらゆる角度から写真を撮りまくりました。
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外観を十分に満喫した後、中に入りました。
内部の写真撮影が禁止なので、
写真などでお伝えすることは出来ませんが、
厳かな中にも華やかさがあるという感じでした。
特に、この大聖堂のシンボルでもある
ドームに描かれた天井画は見事でした。

セント・ポール大聖堂にはドームの周りを1周できる
回廊Galleryが3段階設置されており、
それらへは計530段の螺旋階段を使って
登っていくことが出来ます。
あまり事前に知識を入れていなかった私ですが、
これに関しては出国前から
何度もガイドブックで目を通していたので、
記念に絶対全部登ってみたいと思っていました。
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回廊への入口の所に、「螺旋階段は一方通行」
というような注意書きがありました。
つまり、登り始めたら、それぞれの回廊に着くまで、
途中で引き返すことは出来ないことを意味していました。
事前情報によると、一番上の回廊まで登るのは
なかなか大変らしかったのですが、
ここまで来たからには絶対登ってやると思っていたので、
一抹の不安など構わず登り始めました。

地上から高さ30m、259段の階段を登り、
“Whispering Gallery”(内緒話の回廊)という
第1中継点(最初の回廊)へ辿り着きました。
人がゆったり擦れ違えるくらいの幅はありましたが、
回廊の手摺りがどことなく頼りなさそうで、
鉄製の柵のような造りで下もよく見えてしまうので、
かなりの高さに思わず足が竦(すく)みそうでした。
高所恐怖症ではないですが、
それでもこの高さは怖かったです。

下から見上げていたあのドームの天井画が
ここではかなりの至近距離で見られ、
その繊細な絵に感心すると共に、
「これを描いた人はどうやってこんな所に
絵を描いたのだろう」と素朴な疑問を感じました。
先に描いてから組み上げたのか、
それともドームが完成してから直接作業したのか。
後者だとしたら、想像しただけで身震いしてしまいます。


ここの回廊の壁側に設置された椅子に腰を掛け、
天井画をゆっくり眺めている観光客は結構居ましたが、
私の目標は一番上まで登ることだったので、
ここで寛いでいる訳にもいきませんでした。
ここまでで下へ下りてしまうことも出来ましたし、
この高さでも十分高くて怖かったのですが、
気合いを入れて更に上へと続く階段を登り始めました。

ここからは階段の幅が急に狭くなり、
螺旋の直径が狭くなったので、
少ない段数でより高く上がれると言うことで
1段当たりの効率が良くなった分、
角度もかなり急になりました。
気を抜いて上体が離れ、万一後ろに倒れでもしたら、
どこまで転げ落ちていくか分からないという恐怖から、
階段を這うように登っていきました。

極端に言うと前に足を出して階段を上がるというよりは、
真上に向かってよじ登っていく感覚に近かったです。
とても背筋を伸ばして上がれるようなものではなく、
いっそ四つん這いで上がろうかと思ったくらい
極度の緊張感に襲われていました。
下を見るのが怖かったので、
上に登ることだけに神経を集中していました。
それくらい緊迫していました。

やっとの思いで高さ23m、118段を登り、
“Stone Gallery”(石の回廊)と呼ばれる
第2中継点に辿り着きました。
ドームの内側にある“Whispering Gallery”と違って、
この回廊はドームの外周に設置されているので、
外の良い眺めを見渡すことが出来ました。
ここなら撮影禁止は関係なさそうだったので、
良い眺めを一望しながら写真も撮ってきました。

先程の倍程の高さまで登ったので
柵の隙間から下を見ると勿論怖かったのですが、
回廊の幅にはだいぶ余裕がありましたし、
背丈以上の高さもあるしっかりとした造りの
石で出来た柵が設置されていたので、
そんなに怖くはありませんでした。
でも、ここまで上空に来ると地上とは勝手が異なるのか、
風が強くて冷たいなと感じました。
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ここでも下へ引き返すことは出来たのですが、
ここまで来たからには、勿論目指すべきは、
一番高い回廊まで登り切ることだけでした。
なぜなら、今回の旅行中にずっと意識していたのは、
「ロンドンはそう何度も気軽に
来られるような所ではないし、
もしかするとこれが最初で最後になるかもしれないから、
出来るだけやり残しや悔いの残らないように、
ここで経験出来ることは何でもしておこう」
という気持ちがあったからでした。

一方通行なので登り出したら後戻り出来ない、
何があっても前進あるのみというプレッシャーや、
高所のあまり感じる恐怖心などは一切無視して、
私たち2人は最後の回廊への一歩を踏み出しました。
どうみても非常階段のようにしか見えないような、
狭く頼りない螺旋階段を延々と登り続けました。
恐怖などから頭が興奮状態となっていたので、
登っている最中は目の前の階段しか見えておらず、
恐怖以外の余計なこともほとんど考えられませんでした。

そして、下が透けて見える鉄製の階段から
急に四方を石かコンクリートで固めた階段に変わり、
壁の石が多くの観光客が通る度に
擦れていっているんだろうなと分かる程、
幅も更に狭くなって肩が擦れる程になりました。
そうして、遂に第2中継点から高さ30m、158段登った、
“Golden Gallery”(黄金の回廊)に辿り着きました。

パッと目の前に空の青さが広がり、
感動を覚えたのも束の間、
想像を絶する高さと、回廊の幅の狭さに絶叫しました。
大した幅もない塔の周りにへばり付くように設置された
鉄柵が何とも言えない頼りなさで、
下がもろに見えてしまうので、
あまりの怖さと、念願の最上部に辿り着いた興奮から
叫びまくっていました。

最初は足元や下の方ばかりに目がいってしまい、
怖くて仕方ありませんでしたが、
ふと目線を上げて遠方に目を見遣ると、
ふっと恐怖心が体から抜けていくように感じるくらい、
目を奪われるばかりの絶景に感動しました。
ロンドンの街並みが一望できる素晴らしい眺めでした。
“Golden Gallery”という名前も頷けます。
そして、この絶景を更に美しくしてくれたのが、
気持ちの良い、澄み切った青空でした。
曇っていたら全然違っていたと思います。
頂上まで登り切って、本当に良い記念になりました。
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この回廊を上から見た様子を平面図で例えるなら、
丁度、円の中にやや小さめの正方形が
描かれているようなもので、
極端に狭くなっている塔の角の部分では人と擦れ違えず、
面積に余裕のある塔の側面の部分で
壁になるべくくっつくようにして待避し、
後ろの人を先に行かせるという感じでした。

折角ここまで登ったからには、
本当はもっとゆっくりしたかったのですが、
こんな狭さなので回廊全体の収容可能人数が多くなく、
待避場所もそれ程ゆとりがないので、
さっさと時計回りに回るしかありませんでした。
それに、更に上空になったためか、
風の強さや寒さは一段と厳しさを増していました。

後ろ髪を引かれる思いでしたが、
下り階段を下り始めました。
登る時と違って比較的冷静でしたが、
角度が急であることに変わりはないので、
一段一段が、気が抜けませんでした。

(▼Golden Galleryから下り始めた所。)
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(▼Stone Galleryより撮影。)
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Stone Galleryにまた立ち寄って少し休憩した後、
更にWhispering Galleryまで下りました。
最初はこの回廊でも十分怖かったものですが、
一番上の回廊を見てきた自分は最早、
まるでパワーアップして帰ってきた
戦士のような心持ちだったので、
もうそれ程怖さは感じなくなっていました。

因みにこの回廊では、反対側に居る人の話し声が、
何故か後ろの壁から聞こえてくることから、
「内緒話の回廊」という名前が付いたとのことですが、
この時はそのことをすっかり忘れていたので、
この回廊とも名残を惜しんだ後は、
普通に地上へと下りていってしまいました。

ようやく地上へと戻ってきた私は、
文字通り、やっと地に足が着いた安堵感がありました。
その後売店では£110程買い物をしたのですが、
その中でも取り分け、250ピースながら
かなり難易度が高いという木製のジグソーパズルが
なかなか興味深いものでした。


さて、十分過ぎる程大聖堂を堪能してしまい、
予定がずれ込み始めていたので、
近くのスタバ(ロンドンに来て2度目)に入り、
さっと昼食を摂りました。
その後、ロンドン塔Tower of Londonへ向かいました。

駅を下りると目の前にロンドン塔があり、
アングルとしては全体像が撮れて良かったのですが、
生憎、まともに逆光だったためこの方向からは撮れず、
時間の掛かりそうなここは後回しにして、
先にタワー・ブリッジTower Bridgeを撮ろうかとも
考えたのですが同様に逆光で撮れなかったので、
タワーブリッジは後で対岸へ渡ってから撮ることにして、
予定通り、先にロンドン塔を観光することにしました。

タワー・ブリッジの袂(たもと)からロンドン塔へ続く
テムズ河沿いの遊歩道は観光客で溢れていました。
現在ホワイト・タワーThe White Towerと呼ばれる塔が
本来のロンドン塔だったらしいのですが、
現在では城塞全体を指す言葉となっているため、
この至近距離からロンドン塔の全体像を
カメラに収めるには無理がありました。
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入口の方へ回ってみると、
チケット売り場が奥の方に見えましたが、
あまりの観光客の多さに愕然としました。
チケット売り場は幾つも設置されているにも拘わらず、
どれも長蛇の列でした。
既に14時近くになっており、まだ明るかったものの、
日没までの時間にそれ程余裕がないことに
内心焦っていたのですが、
結局並び始めてからチケットを手に入れるまで、
30分も掛かってしまい、大幅なタイムロスになりました。

ロンドン塔は、ロンドンを守るための要塞として建設され、
一時期王室の居城としても使われたようですが、
その後、処刑執行場や牢獄として
使われた歴史の方が長かったため、
暗いイメージが定着してしまったという、
悲劇の歴史を持っているそうです。

ホワイト・タワーの中は展示室になっていて、
膨大な武器や鎧などが展示されていました。
また、隣のジュエル・ハウスJewel Houseは
ロンドン塔が王室の宝物庫でもあったようで、
それらの宝物の一部が展示されているということで、
是非見てみたかったのですが、
入口から繋がる長蛇の列は、
東京ディズニーランドの人気アトラクションの
順番待ちの如く、気が遠くなる程後ろまで続いていて、
待っていたら日没になってしまいそうだったので、
泣く泣く諦めて、ロンドン塔を後にしました。
この時、既に15時を過ぎていました。
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15時半が日没の目安であるため、
既に日は傾いてきており、
空も若干夕焼け色に染まり始めていました。
「写真が撮れなくなる」という焦りばかり募り、
日没との戦いになっていました。
ロンドン塔のチケット売り場の30分待ちが余計でした。

タワー・ブリッジは歩いて渡ると結構距離があるのですが、
何とか渡って対岸へ行き、
橋の全体写真を撮ることが出来ました。
但し、この時期は橋の開閉はしないということで、
跳ね橋が上がる所を見ることは出来ませんでした。

更にこの後、実際に塔も登りました。
エレベーターなどを使って、
北塔North Towerと南塔South Towerを結ぶ
ガラス張りの歩道橋The Glassed in Walkwayまで登り、
この歩道橋を渡りました。

タワー・ブリッジ誕生の歴史などを記載した
パネルなどが歩道橋の両壁に展示されており、
また歩道橋は2本あるので往復しました。
鉄骨の隙間から所々写真を撮れるスポットがあって、
だいぶ日が落ちかけていたのですが、
辛うじてここからの景色も撮ることが出来ました。
ロンドン塔の全体像も撮れました。
ぎりぎりでしたがここまで撮れて運が良かったです。
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下に下りて、入口が少し離れているタワー・ブリッジの
エンジン・ルームEngine Roomへ行きました。
もう外は既に薄暗くなっていました。
100年前に使われていた水圧式エンジンで、
現在は使用されていないとのことですが、
こんな装置を使って橋を開閉していたとは驚きました。

外に出ると、まだ16時半過ぎだというのに、
すっかり真っ暗になっており、
ロンドン橋London Bridgeらしき橋が
赤くライトアップされていました。
私たちはこの後、この日最後のお目当てだった、
BAロンドン・アイBA London Eyeへ移動しました。

ロンドンに来てからもう何度もその姿は見ていましたが、
まだ実際に乗ってはいませんでした。
ロンドンを一望できるというこの観覧車から、
昼間のロンドンの街並みを見ると格別らしいので、
他を早く回れれば明るいうちに乗ることも
一応視野に入れていたのですが、
夜景も恐らく綺麗だろうと思っていたので、
暗くなってから乗ることは十分計画のうちでした。
まだ17時半くらいだったにも拘わらず、
19時とか21時くらいに感じるくらいすっかり夜でした。

取り敢えず、小腹が空いていたので、
Westminster駅側(そば)の露店で
ベーコンサンドを買って食べました。
ベーコンがしょっぱかったですが美味しかったです。
あと、全部ではないのかもしれませんが、
見た感じ、ロンドンの露店では、
ホットドッグやベーコンサンドには
炒めたタマネギを入れる習慣があるようです。
それと、ピーナツを煎ってキャラメルに絡めるおやつも
出店(でみせ)でよく見掛けました。


青くライトアップされたロンドン・アイは綺麗でした。
乗り場周辺は観光客らでかなり賑わっており、
結構並ぶようなのかなぁと心配していたのですが、
ゴンドラのように大きなカプセルには
30人近くの大人数を一度に乗せられることもあってか、
順番待ちの列に並び始めてからは、
意外にスムーズに搭乗することが出来ました。

スピードはかなりゆっくりなのですが、
確実に高い所へ向かっていきました。
それにしてもロンドンの夜景の綺麗なこと。
私は、高速道路を走りながら
大黒ふ頭から見た横浜の街並みを思い出していました。
無数に浮かぶオレンジ色の明かりが
ロンドンの素敵な夜景を演出していました。
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昼間のロンドンの街並みは
セント・ポール大聖堂から堪能しましたし、
夜景の街並みもロンドン・アイで展望出来たので、
本当にこの日は感動的な景色に大満足の一日でした。


夕飯は、まだ腹にベーコンサンドが残っていたので、
前々日同様、軽めに済まそうということになり、
私はライチジュースだけ飲みました。

この日は兎に角、駅にせよ、観光スポットにせよ、
階段の上り下りがやたらと多かったので、
風が冷たく、強かったということもあって、
前日は弱まっていた膝の痛みが再び悪化し、
足を引き摺りながら歩く羽目になりましたが、
途中からは膝の痛みより、足の裏の方が痛み出しました。

ホテルに帰ってから見てみると、
案の定右足の裏の、親指と人差し指の間近くに、
大きめの肉刺(まめ)が出来ていました。
変な力が掛かって擦れてしまったのかもしれません。
歩く度に当たって痛かったので、
大袈裟に言うと歩くのが辛く感じる程でした。

しかし、不安なスタートながらも
十分に楽しんできたロンドン旅行も、
とうとう残された時間が翌日の出国前までとなり、
ロンドンで過ごす最後の夜となってしまったので、
最後まで限られた時間を目一杯楽しもうと思いました。


まず、出来る所まで荷造りをしました。
割れ物などをスーツケースに入れるのに、
どうやって少しでも衝撃を受けないように出来るか、
その為には何をどのように詰めれば良いのかなど
試行錯誤しながらの作業で結構手間取ってしまいました。
割れ物がなければ早かったのですが。

その後で、最終日の予定を最終確認しました。
最終日は元々予備日として設けていたのですが、
行きそびれた所や追加したい所が出てきたので、
むしろ行き先を厳選せざるを得なくなってしまいました。
ということで、大幅な予定変更を余儀なくされたのですが、
ここまで地下鉄の乗り換えや道順などを
テキパキとこなして下さっていたLくんが、
何とまだ何も決まらないうちに眠ってしまうという
不測の事態が発生してしまいました。

だいぶロンドンに慣れてきていたとは言え、
回る順番や最寄り駅からの移動経路、
所要時間の計算などを考えるのは
容易なことではありませんでした。
万一、飛行機に乗り遅れたりでもしたら大変ですが、
最後までこの旅行を満喫したかったので、
「あそこも行きたかった」という場所は
なるべく行っておきたいという思いもあって、
単に時間にゆとりを持った計画を立てるとなると、
あまりに回れる箇所が少なくなってしまうので、
地図や路線図、ガイドブックなどを
穴が空く程何度も見返して考えました。

この時思ったのは、
いくら観光名所をいろいろ回ったとしても、
それが大体どの辺の位置にあるのか、
どういうルートで回ったのかなど、
ある程度自分で地理などを分かっていれば、
後から思い出した時も色々細かいことを思い出せますが、
ただ、「あそこも行った。次はここへ行った。」
というように行った所だけ覚えていても、
本当の充実した旅行にはならないなということでした。

要するに、自分の意志で行き先や行き方を
頭に入れながら旅行しないと、
「そこに行った」という事実は残ったとしても、
途中の「自発的に旅行を楽しんだ」という感覚が
薄れてしまうのではないかなと思ったのです。
この時、改めてそれまで自分が行った所や
どんな路線を使っていたのかを簡単に振り返っていて、
このようなことを感じました。

予定を考えるのは大変でしたが、
行き方や時間の使い方を考慮して、
時間内にうまく収まるように組み替えたりしているうちに、
「今、積極的に旅行を楽しめているな」と思いました。
これだけロンドンを楽しんでおきながら、
帰った時に自分の言葉でしっかり説明出来なければ、
折角行ったのに情けなく感じるだろうと思いました。
受け身で何となく過ごしてしまった13年前の海外旅行とは
確実に違う自分が居ることを感じました。

考えている最中何度も眠くなったりしましたが、
何とかコースを決めました。
いつも通りの8時半や9時頃の出発では、
どう頑張っても時間が足りないので、
思い切って早めに出発することにしました。
日の出、日の入りに合わせていては、
必然的に回れる時間が短くなってしまいます。
3日目くらいにこのことに気付き始めましたが、
朝はゆったりと過ごす毎日だったので、
結構回ったつもりでも、1日当たりの実質観光時間は
それ程長くなかったことを考えると、
この出発時間を早めるしか方法はありませんでした。

そんな訳で、早く寝て睡眠時間を
確保しなければならない所でしたが、
逆に0時を回ってしまいました。

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2008年1月16日 (水)

ロンドン旅情記・5

▼第5日:12月28日(金)曇一時小雨

毎晩寝る前に炎症鎮静剤をお借りして塗っていたので、
翌日にはかなり和らいでくれていたのですが、
完全には痛みが抜けないで、
1日観光して帰ってくるとまた悪化している、
ということの繰り返しだったので、
この日から朝出掛ける前にも塗ることにしました。

また、普段の運動不足によって筋肉痛になった箇所は、
この日の朝にはほとんど治っていました。
毎日歩いて体を動かしていましたからね。

さて、貴重な滞在期間も半分を過ぎ、
じわりじわりと残された時間が少なくなってきていました。
やっと慣れてきた所なのに、
帰国の時は刻々と近付いているんだなぁと思うと、
寂しい気持ちもあり、帰国が楽しみな気持ちもあり、
ちょっと複雑な心中でした。
だから、せめても最後まで目一杯充実した時間を
過ごしたいという気持ちでした。


ところで、日本より緯度が約15度高いロンドンは、
日の出ている時間が夏期は日本より長くなるようで、
気候的にもイベント的にも夏場が
観光客に好まれるというのは分かる気がします。
そして、日の出ている時間が短いと言うことは、
館内なら兎も角、建造物の外観の写真を撮れる時間が、
それだけ限られてしまうということにもなります。

ということで、前夜の話し合いでの日程最終確認の際、
この日はこれまで行った所で
もう一度明るいうちに写真を撮り直しておきたい所や、
この日観光する予定を組んでいた所のうち、
屋外で撮影するであろう所を優先的に回り、
暗くなってからでも問題ない所は後回しにする日程に
組み直すことに決めたのでした。


私たちはまず、建物の外観を撮るために
ハロッズへ行きました。
しかし、今日もどんよりとしたすっきりしない天気で、
わざわざ撮りに行った割には
背景が暗めになってしまいました。
因みに先に買い物をしてしまうと、
手荷物が重くなってしまうので、
目の前まで行っておきながら入らずに去りました。
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次に向かったのが、トラファルガー広場及び
すぐ側にあるナショナル・ギャラリーでした。
ここはロンドン中のダブルデッカー(2階建てバス)が
一大集結する地点にもなっているということで、
次から次へとバスが通っていきます。
普通のシングルデッカー(1階建てバス)や、
「ベンディーBendy」と呼ばれる2車輌が連結した
タイプのバスなども頻繁に通っていました。
そして、今ではほとんどが新型に置き換わり、
僅か2ルートでしか運行されていないという、
ロンドン名物の「ルートマスター」と呼ばれる、
車掌が乗っている旧式ダブルデッカーにも
お目に掛かることが出来ました。

トラファルガー広場にあるネルソン提督Admiral Nelson
の像の台座の四方を囲むライオン像も、
「登ってはいけない」という決まりはないそうなので、
折角の機会なので登ってきました。
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その後、歩いてウェストミンスター寺院へ行きました。
途中、ちょっとした人集りが出来ているので見てみると、
古風なヘルメットを被って馬に跨った門衛が2人居て、
観光客が一緒に(勝手に)写真を撮っていたのでした。
観光客のためにポーズを撮ってくれているのかなと思い、
私も「一応ロンドンっぽい」ので撮ったのですが、
帰国後ガイドブックを読み返していたら、
ここはホース・ガーズHorse Guardsという所であり、
騎兵交替というものが毎朝行われているようで、
鉄柵や人垣がなく間近に見られるということもあって、
衛兵交替ほどメジャーではないものの、
結構有名な観光スポットだったという、
驚きの事実を知ることとなりました。
時間的にも丁度騎兵交替が終わったばかりくらいの
タイミングでした(予習不足を露呈しました)。
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そんなこととはつゆ知らず、
ウェストミンスター寺院に行きました。
外観だけは前以て観に来ていたので、
この日は実際に中に入って見学しました。
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歴代の国王のお墓や国に貢献した偉人たちの
お墓の数々を見てきました。

この後、翌日から土日になってしまい、
銀行等が閉まって換金出来なくなる
可能性があるということで、
近くで残りのトラベラーズチェックを換金しました。
それから、かの有名な大英博物館British Museum
に行きました。
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言わずと知れた世界最大級の博物館であり、
じっくり見るなら、1週間あっても足りないという程、
物凄い数の展示品があるということで、
本当はもっと時間を取りたい所でしたが、
日程の都合上、半日しか設定出来ませんでした。
昼食は館内のレストランで食べました。

正面入口から入っていきなり目に飛び込んできたのが、
エジプト象形文字解読の手がかりとなった、
有名なロゼッタ・ストーンでした。
これを皮切りに、兎に角物凄い数の展示品を
一通り見て回りました。
ギリシャ彫刻もあれば、ミイラもあったりして、
地域やテーマごとにゾーンが分けられているのですが、
館内の広さも半端じゃないので足が疲れました。

このうち、世界の貨幣を展示しているゾーンがあり、
ポンド貨幣の打刻機なども展示してあったので、
昔のポンド貨幣を見てみると、
エリザベス女王の横顔が若い時のものであることに
気が付きました(当たり前と言えば当たり前ですが)。

ペンスにせよポンドにせよ、貨幣にも紙幣にも全て
エリザベス女王の肖像画が描かれているのですが、
夜、ホテルに戻ってから
何気なく1ポンド貨幣を見ていたら、
エリザベス女王の横顔は1種類だけだと思っていたら、
今より若い時の横顔の1ポンド貨幣もあったのです。

慌てて持っていた1ポンド貨幣を確認した所、
5年毎くらいに微妙に横顔の年齢が更新されており、
裏側のデザインもそれぞれ皆違っていました。
手元にあっただけでも5種類ありました。
こんなにこまめにデザインを直していたら、
大変なんじゃないかなと思うのですが、
思わぬ発見のヒントをここで貰ったのでした。


16時過ぎに博物館を出ると、
日がすっかり落ちて暗くなっていました。
足は疲れていましたが、
予定通り、ハロッズへ買い物に行きました。
流石、高級デパートだけあって、
店内の内装や雰囲気は気品が漂っていました。
目当ては免税コーナーでしたが、
ただでさえ広くて歩き回るだけでも大変だった上に、
大セールのために普段の売り場を
一部移動したりしていたようで、
どこにあるのかなかなか見付けられず苦労しました。

大英博物館に居た頃から喉が渇いていたことや、
歩き回って足が疲れていたこともあり、
買い物の前に店内のカフェレストランで
軽食を摂ることにしました。
その後、思い切って買いまくるつもりで
意気込んでいたのですが、
頑張っても約£90分(2万円程度)
買うのが精一杯でした。
でも、荷物は重かったです。


夕食は、Leicester Square駅近くの、
和食レストランに入りました。
折角外国に来ているからには、
いつでも食べられる日本食よりも
現地の料理を食べようと思って、
帰国するまで日本食を食べないつもりで居たので、
禁断症状が出ていた訳ではなかったのですが、
気分転換ということで食べることになりました。
やはり味噌汁は美味しかったです。

スタッフは皆日本人だったようなので、
久し振りに店員と日本語が交わせて、
ちょっとホッとしました。
だいぶ英語漬けの世界に浸かっていて、
日本語を使うことをすっかり諦めて過ごしていたので、
「おしぼりどうぞ」と店員に言われたのに、
思わず「Thank you.」と答えそうになったのには、
心の中で笑ってしまいました。

因みに、全部ではないと思いますが、
ロンドンのレストランは、
あまりおしぼりを用意する習慣はないようでした。
何となく習慣で、食べる前に手を拭かないと、
気持ちが落ち着かないというか、
不潔な気がしてしまっている自分に気が付きました。


それと、ついでにちょっと話は変わりますが、
このレストランでは従業員は皆日本人でしたが、
ほとんど旅行中に日本人を見掛けませんでした。
空港やホテル、レストランやカフェなど、
あらゆる場所でアジア系の顔をした従業員を
見掛ける機会はあるのですが、
皆普通に英語を喋っています。

また、街中を歩いていたり、
地下鉄に乗っていると、
現地の人なのか観光客なのか、
アジア系(特に中国系)の人も結構見掛けるのですが、
顔はかなり日本人に似ているのですが、
日本人でない場合がほとんどでした。

例えば、そういう人が一人で居ると、
日本人と見分けが付かなかったり、
日本人でも外国人っぽい顔をした人も居ますが、
大体2、3人のグループで居る場合は、
その中に1人か2人は必ず、
「少なくとも日本人ではない/恐らく日本人だ」
という判断を付けられる人が含まれています。

理由は何となく顔が日本人とはちょっと違うという、
極めて曖昧な基準なのですが、大概合っています。
基本的にほとんど顔はそっくりなのですが、
どことなく日本人とは違うとか日本人っぽいと感じる
雰囲気的な要素があるのだろうと思います。

但し、日本人かどうかは判断出来るものの、
中国か韓国か台湾の方なのかの区別は、
残念ながら分かりません。
また、日本人との混合グループだったりすれば、
見た目では判断は付けられないと思います。
しかし少なくとも言えることは、
日本人と会う確率はかなり低かったですが、
彼らと会う確率はかなり高くて、
例えば韓国では英語教育に力を入れていると聞きますが、
日本人に比べると外国に旅行することに
あまり抵抗がない、若しくは積極的な方が、
もしかしたら多いのかもしれないなぁと思いました。

たまに現地の従業員などが気を利かせて、
愛嬌良くこちらの言葉で
挨拶してくれたりすることもあったのですが、
まずいきなり言われるのが「ニーハオ!」「謝謝」
「(Are you)Chinese?」などのように、
中国人と見られることが多いことからしても、
「きっと中国人観光客の比率の方が
圧倒的に多いのだろうな」という予測が付きました。
まぁあくまで推測の域を超えませんが。

極め付けは、観光に来ていた中国人の女の子に、
いきなり中国語で何か質問されました。
「ごめん、全く意味が分からん。」


ちょっと話は逸れましたが、
その後ホテルに戻ってきて気付いたのですが、
いつの間にか右足に肉刺(まめ)が出来ていました。
痛めている右膝をかばって
歩いていたからかもしれません。
それと朝塗った炎症鎮痛剤が
効いていたというのもあるとは思いますが、
この日の右膝の痛みは一番軽くて済みました。

夜、寝る前にテレビを見ていると、
いきなり大相撲が放送されていたのでびっくりしました。
しかも、よく見ると、
若乃花関と智ノ花関が激戦を繰り広げ、
まだ関脇の魁皇関と大関の武蔵丸関が戦い、
小錦関に貴乃花関、曙関なども
まだまだ現役で闘っているではありませんか。
一番見ていたかもしれない時期の
錚々(そうそう)たる顔ぶれが大集結していました。
それもその筈、1995年の映像だったようです。

思い掛けず懐かしいものを見られました。
旅行中は疲れを翌日に残さないため、
ほとんど22時半~23時頃には
寝るように心掛けていたのですが、
この日は0時過ぎに床に就きました。
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2008年1月15日 (火)

ロンドン旅情記・4

▼第4日:12月27日(木)曇

少しずつロンドンに慣れてくるに従って、
朝晩にテレビなども見てみたのですが、
何と言っているのかはほとんど聞き取れませんでした。
映像や見出し(テロップ)などを見て、
何となく分かるかなぁという感じでした。
「英語は習うもんじゃなくて慣れるもんだ」などと
よく言われるので実戦してみたのですが、
「確かにこういう生活を長期間続けていれば、
何となく聞き取れるようになってくるのかもしれないな」
と思いました。

あとは、よく「世界まる見え!テレビ特捜部」(日テレ)
をたまに見た時に、
世界のCMなどが取り上げられていたりするので、
「日本のCMと比べ何か違いがあるのか」などに
注目しながら見ていました。

クリスマスが過ぎると、
多くの店やデパートなどが年末大セールを行うようで、
ほとんどが50%OFFになる所が多く、
たまに70%OFFなどの札を掲げている所もありました。
この時期は、このセール目当てに多くの外国人が
ショッピングに押し寄せてくるという話ですが、
テレビCMなどでも各企業が挙(こぞ)って、
セールの宣伝を流していました。

たまに日本企業の家電製品なども
取り上げられていたので、
そういうのを見ると、海外でも日本企業が
頑張っているんだなと嬉しくなりますね。

あと、天気予報を見ていて気付いたのですが、
雲の流れなのか気圧の動きなのか分かりませんが、
グレートブリテン島の周りを流れるように、
何かの流れを矢印で表示しているだけで、
日本のように「晴れマーク」だの「傘マーク」
みたいなのが全然表示されないんですよね。
天気が変わり易いそうなので、
敢えて表示しないでこういう表示をしているのか、
あるいは口頭では何か話しているのかもしれませんが、
兎に角、見ていてもさっぱり分かりませんでした。
(※うまく撮れなくて汚い写真ですみません。)
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前置きはこのくらいにしておくとして、
この日はようやく祝日が明けて、
街が通常通りに動き出しました。
会社に向かうお父さん方なのか、
前日までとは打って変わって、
朝から人や車の往来が多いなぁと感じました。
これが普段の光景だとすると、
やはり25日、26日は静まり返っていたんだなと思います。

この日の私たちの観光予定の最大の目玉は、
テムズ河River Thamesを走るリバーボートRiver Boat
に乗ってテムズ河沿いにロンドン観光をしながら、
グリニッジ方面へ向かうというものでした。
今回の旅行で唯一ロンドン郊外と呼べる所であり、
最も遠出だったので少し早めにホテルを出ました。
とは言っても夜が明けた8時半過ぎでしたが。

この日ようやく銀行などが開くとあって、
早速私たちはトラベラーズチェックを換金しました。
そして、最初に地下鉄に乗って移動した後、
エンバンクメント桟橋Embankment Pierへ行き、
リバーボートに乗ろうとしたのですが、
「運行本数が少ないから待ち時間が長い」
というような旨のことを言われてしまったので、
よく分からないので結局一駅分手前まで歩いて戻り、
ウェストミンスター桟橋Westminster Millennium Pier
からようやく乗ることが出来ました。

隅田川の屋形船みたいな感じでしょうか?
テムズ河から見上げるロンドンの眺めは、
趣向が違ってなかなか良かったです。
これでもっと天気が良ければ最高だったと思いますが、
どんよりした曇り空でいまいち写真が映えず、
その上、テムズ河を通ってくる冷たい風が
まともに全身に吹き付けてくるので、
寒いのなんのって完全に船上で凍え切っていました。
本当は暖かい船内に退散したい所でしたが、
折角の優雅な眺めを堪能するには屋上しかないと思い、
鼻水を拭き拭き、景色を満喫していました。
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グリニッジ桟橋Greenwich Pierに着き、
私たちは旧王立天文台Old Royal Observatoryのある
グリニッジ・パークGreenwich Parkへ行きました。
この公園にもやはりリスが居ました。
寒さと空腹でふらふらだったので、
見学よりまず先に昼食を摂ることにしました。

ちょっとした喫茶店みたいな所に入り、
日本の喫茶店で頼む感覚で、
主食のパスタとミネストローネのようなもの、
それにマッシュルームのスープを頼みました。
初めにスープが出てきたのですが、
でっかいライ麦パンみたいなのが付いてきたので、
ちょっと慌てました、
「敢えて主食のパスタを頼む必要はなかったなぁ」と。
しかし、スープは見た目はグロテスクでしたが、
コクが出ていて美味しかったので、
それに付けたりしながら食べ切りました。

軽く付け足す気持ちで頼んだ「スープ」だけで、
結構お腹が一杯になってきてしまったので、
ちょっと危ないかなと思い始めていた矢先、
パスタが運ばれてきたのですが、
今し方やっとの思いで食べたばかりのパンと、
全く同じ物が添えられているではありませんか!
「いきなり!黄金伝説。」(テレ朝)じゃないんですから。

しかも、クリームパスタというので、
てっきりサーモンが入っているような
クリーミーなスパゲティを想像していたのですが、
前にパスタを頼んだ時もそうでしたが、
どうやら、こちらで「パスタ」と言うと、
麺のパスタじゃなくてペンネパスタのことを指すみたいで、
チーズも何か少し苦めのチーズなんですよね。
最初食べ始めた時は良いのですが、
段々こってりした味に飽きてきてしまって、
その上、最後の一品まで運ばれて来た時には、
流石の私も天を仰ぎました。

1時間半以上格闘していましたが、
やっぱり「少なく頼んで、足りなかったら追加する」
くらいの気持ちで頼まないと大変なことになる、
と今度こそ肝に銘じたのでした。
この時は油断して、過去の失敗を生かせませんでした。
(一にも二にも、突っ込んだ質問を出来なかった、
英会話力のなさを憂えるべきなんでしょうが)。


気を取り直して、旧王立天文台を見ました。
グリニッジと聞けば誰もが東経0度、西経0度の
子午線が通っている場所であることを
思い起こすと思いますが、
その西経と東経を分かつ凄い所に来たという実感が、
沸くような沸かないような変な気持ちでした。

グリニッジ標準時(GMT=Greenwich Mean Time)
を示す24時間表示の時計も掛けられていました。
そのほか、プラネタリウムなどもあったのですが、
観光客の一番のお目当ては勿論子午線。
東半球と西半球の境を行ったり来たりする観光客で、
子午線の周りは大人気でした。
私も東経と西経の境を跨(また)いできました。
東経140度の茨城に住む私が、
東経・西経0度の所に立つというのは、
何か不思議な気持ちでした。
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その後、電車でトラファルガー広場に戻ってきて、
すぐ側にあるナショナル・ギャラリーThe National Gallery
という美術館へ入りました。
16時頃でしたが外はもうかなり薄暗く、
外観の写真を撮るのは困難な程でした。

絵画の説明書きが読めないのが
大きな原因なのかもしれませんが、
絵画そのものは名画なんだなぁと感じるのですが、
言わんとしていることのレベルが高くて、
私のようなひよっ子には難しい内容でした。
あとは、館内の空調が暑すぎたせいもありますが、
もっと時間を掛けてじっくり見て回れれば
また違ったと思うのですが。


外に出るともうすっかり真っ暗になっていました。
私たちはお土産を買ったり買い物をするため、
1894年創業で世界を代表する老舗にして、
ロンドン最大でもある高級デパート、
ハロッズHarrodsに行きました。
電飾されたデパートがとても綺麗で、
ハロッズの周りに結構な数の人々が集まっていました。
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前夜からここで買い物する気満々で居たので、
早速入ろうと思ったのですが、
店内は若干明かりが点いていて、
店員さんが掃除などをしているのも見えたものの、
営業している雰囲気ではないので、
「もしかして、もう閉店時間を過ぎちゃったのかな」
と一瞬思ったくらいでしたが、
ガイドブックに載っていた閉店時間にはまだ早かったので、
ちょっと妙だなぁと思いながら、
取り敢えず入口まで行ってみました。

すると、セールをやるという案内の紙が貼ってあり、
営業日時の一覧が出ていました。
翌日の28日からしか書いておらず、
どうやら祝日明けのこの日は、
「明日からのセールに向けた準備の日」
に充てられているようでした。

肩透かしを喰らった格好でしたが、
綺麗な外観を撮影出来ましたし、
この日は体中の筋肉痛や膝の痛みがかなり酷く、
疲労がピークに達していたので、
むしろこれで良かったのかもしれません。


日没が15時半過ぎと日本よりだいぶ早く、
日の出も8時半頃とかなり遅いために、
絶対的に日の出ている時間帯が短いため、
毎日があっと言う間に過ぎていきますし、
一日に回れるスポットの数も限られていました。
この日は特に「あっけなかった」感が強かったです。

この日の夕食は、相当なボリュームだった昼食が
かなり胃に残っていて、
しっかり夕食を食べられる自信があまりなかったので、
ホテル近くの小さな店で林檎や飲み物を買って、
ホテルに戻って食べただけで済ませました。



さて、ここでちょっと余談になりますが、
東京都心の地下鉄と同様、
ロンドンの地下鉄も一部空の見える所も走りますが、
基本的に地下を走っているので、
踏切を見掛けませんでした
(実際はあるのかもしれませんが)。

そして、かなり深くまで掘り下げて
通っている路線などもあって、
長いエスカレーターで登ったり降りたりを
繰り返させられることが多いです。
エスカレーターは基本的に右側に立ち、
急ぐ人たちのために左側を空けます。
「関西ルール」を肝に銘じておかねばなりません。
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時刻表は存在するのだと思いますが、
ホームの電光掲示板に示されるのは、
1~2もしくは3、4番目に来る電車の行き先と、
あと何分で当駅に到着するかという目安だけで、
どこかの駅の改札前に
発着時刻の電光掲示板があったのを見た以外は、
基本的にどこも時刻の掲示はありませんでした。

車輌の形や横幅などは路線によって
微妙に異なっていましたが、
最も多いのが“Tube”という愛称が示すような
丸顔タイプで、日本の電車よりかなり窮屈です。
側面が湾曲しているため、
ドアの側に立つと頭がぶつかりそうになりますし、
外国人は背の高い人が多いので、
真ん中に立っても頭が天井すれすれの男性が
少なくありませんでした。
そして、長椅子タイプの向かい合わせの座席も、
両側に人が座ると膝と膝の間には、
人一人がサッと通れるくらいの隙間しか出来ないので、
日本の電車のように、左右の座席の前に
背中合わせで2人が立つということは出来なそうでした。
(中には幅や天井に余裕のある路線もありますが)。

また、せっかちな人が多いのかどうか分かりませんが、
駅に着いて電車が完全に停車する前にドアが開き、
しかも、乗客もドアが開けば、
完全に停車する前だろうがお構いなしに降りてしまい、
安全管理に関しては特に厳しい日本と違い、
鉄道に限ったことではないのですが、
全てにおいて「自己責任で行動して下さい」
という風潮なのかなと感じました。

ホームが湾曲していることも珍しくなく、
普通に電車とホームの間に隙間が出来ていて、
日本なら「危険を予測して対策を取るべき」と
鉄道会社側が責められそうな気もするのですが、
空いているものはしょうがないという感じで、
乗車口の足元に“MIND THE GAP”と書かれていたり、
車内の電光掲示板で注意を促す
メッセージを流しているくらいでした。


信号機に関して言うと、
基本的には日本の信号とほぼ同じですが、
歩行者に関しては押しボタン式の所が多く、
歩行者が居れば必ず手前で
停車しなければならないというような、
優先横断歩道のようなものが
設置されている所もありました。

足元には大概“LOOK LEFT(RIGHT)”
などと書かれていて注意を促していました。
また、横断歩道は日本のような縞模様は描かれておらず、
点線で幅(設置場所)を示しているのがほとんどでした。

日本のように、青から赤に変わる時に、
青が点滅して知らせるタイプの信号も
一部では見られたものの、
ほとんどは青が消灯するタイプで、
赤も青も点灯していない間は、
まもなく赤に変わることを知らせているというものでした。

車の信号も日本とほとんど同じで、
矢印信号などもあったのですが、
青→黄→赤という停車命令の後、
日本なら赤→青と変わるところですが、
ロンドンでは赤が点いたまま黄色も同時に点灯し、
赤→赤+黄→青とワンクッション多いのが特徴的で、
思わずカーレースのスタートを連想しました。
「Ready, go!」の「Ready」に当たるのだと思いますが、
フライングしている車が比較的目に付きました。
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2008年1月14日 (月)

ロンドン旅情記・3

▼第3日:12月26日(水)晴

この日はボクシング・デーBoxing Dayと呼ばれ、
祝日なのでこの日まで閉まっている所も随分ありました。
ただ、地下鉄やバスなどが運行してくれるのは、
それだけでだいぶ助かる思いでした。
前日(ぜんじつ)程ではないものの、
やはり街中がひっそりとしている感じはありました。

寝る前に借りた鎮痛剤を膝に塗っていたので、
朝起きた時だいぶ痛みは引いていましたが、
今までと違って完全に痛みが
なくなった訳ではなかったので、
余程酷使したのかなぁと思いました。
それと、普段の運動不足のせいだと思いますが、
足首の外側の筋などが筋肉痛になっていました。
また、肩に荷物を掛けて一日中歩き回ったせいか、
肩が物凄く凝っていました。

しかしながら、来る時の飛行機などでほとんど寝ずに
「時差調整」した(徹夜状態に近かった)お陰か、
この日も時差ボケはなかったので、
これで完全に時差ボケとは無縁になりました。

ロンドンに来てから薄々気付いていたのですが、
7時過ぎでも、うっすら空が明るくなってさえいないので、
まだ外は真夜中のように真っ暗という状況の中で、
朝食を摂りました(この日だけは唯一隣のレストランへ
案内されたのですが、メニューはやはりほぼ一緒でした)。


私たちが泊まっていたホテル周辺は住宅街で、
どこも同じという訳ではないのですが、
通りの端から端まで一繋がりの建物のように並んでいて、
戸別に戸口が付いているというようなタイプでした。
戸口には番地が記載されていている家が多く、
通りを挟んで順に偶数の番号が振られている側と、
奇数の番号が振られている側になっていたりして、
分かり易いなぁと思いました(場所によりけりですが)。
そして、その通りの両脇がそのまま駐車帯に
なっていて事実上1車線分しか道幅がないため、
このような所では一方通行に
なっていることがほとんどでした。
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初日の24日に地下鉄に乗った時は、
タッチパネル式券売機が
日本語表記も出来ることが分かったので、
思わず日本語案内に逃げてしまったのですが、
英語に慣れないことにはこの先やっていけないと思い、
我慢して英語表記のまま切符を購入しました。

大体東京都心の地下鉄を想像して頂ければ
分かり易いかと思いますが、
ロンドンの地下鉄の運賃体制は、
九段下や永田町辺りを中心に周辺をゾーン1とし、
そこから外側へ山手線沿線内辺りまでがゾーン2となり、
更に外側へ向かうに従って、ゾーン3、4となり、
最終的にゾーン6までが設定されており、
このゾーン制が運賃の基準となっています。
観光客が主に利用するのはゾーン1~2までで、
この区間の1日フリー切符も販売されているので、
私たちはこれを買って乗り降りしていました。

本当はゾーン3より外側のロンドン郊外の方へも
観光に行ければ良かったのでしょうが、
観光名所が多くて、日程的にどうしても
市街を中心に予定を組まざるを得なかったので、
1度も行けませんでした。
イギリスに旅行に行ったと言ってもロンドンだけですし、
ロンドンに旅行に行ったと言っても
あくまでほとんどがセントラル・ロンドンCentral London
と呼ばれる地域内に過ぎないので、
私が見て感じてきた文化や風習は、
ロンドン市全てに当て嵌まるとは限らないかもしれません。
(ということを、予めお断りしておきます)。

自分が観光に行く所がどの辺にあるのか、
何駅がその最寄り駅なのか、
また何駅がどの辺にあるのかなどが
基本的に頭に入っていなかったので、
この日の朝の時点では、英語ばかりの路線図を見ても
行き先がなかなか見付けられませんでした。
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しかし、目的の駅に着いた時、
改札を出たい時は“Way out”という看板を目印に、
乗り換える時は乗り換えたい路線の案内看板を目印に、
歩いていけば良いということを学び始めてから、
少しずつ乗り換えの要領が分かってきました。
そして、乗り換え路線のホームに来たら、
上りか下りのホームに分かれているので、
目的の駅名の書かれている方のホームに行けば良い
という至ってシンプルな構造だと気付きました。

恐らく日本の様に快速というものはなかったようですし、
基本的に一つの路線につき上りか下りのホームが
1つずつ設置されているだけのようだったので、
3番線より4番線の方が先に出発するとか、
途中で急行に抜かれるからこっちに乗った方が良い、
などという余計な心配をしなくて良かったのです。
文字通り、最初は右も左も分かりませんでしたが、
夜にはだいぶ慣れてきていました。


また地下鉄については後で書くとして話を戻しますが、
この日は初めにビッグ・ベンBig Benを観に行きました。
24日の夜に初めて観に行った所でもありますが、
次の目的地のバッキンガム宮殿Buckingham Palace
まで近く、衛兵交替が始まるまでの空き時間を
利用するという意味もあっての計画でした。
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テムズ河に架かる近くのWestminster Bridgeから
ビッグ・ベンと国会議事堂Houses of Parliament
臨む風景を初めて見ましたが壮観でした。
橋の上は観光客で賑わっていました。
河の反対側には大観覧車BA ロンドン・アイ
BA London Eyeも見えました。
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その後、ウェストミンスター寺院Westminster Abbey
この日は外観からだけ眺め、
街中を見ながら徒歩でバッキンガム宮殿に向かいました。
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宮殿に着くと、もう大勢の観光客で溢れかえっていました。
他は休業ばかりでここくらいしか見所がない
というのも大きな理由だったと思います。
特に正面の鉄門の前は少しでも最前列の方で見よう
という客たちがへばりつくように集(たか)っており、
少し高い位置から見ようという客たちは正面広場の
ヴィクトリア女王記念碑Queen Victoria Memorialの
周りにびっしりと固まっていました。
スリにだけは遭わないように気を付けていました。
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衛兵たちの服装は冬バージョンなのか、
よく写真で見るような真っ赤なものではなくて、
灰色のコートのようなものをしっかり羽織っていました。
あまり見易い位置ではありませんでしたが、
最終的には何とか最前列まで辿り着けました。
1時間以上膝を曲げずに立ったままだったので、
相当脚が痛くなりましたが、
ロンドン名物の衛兵交替を見られて良かったです。
隣接するクイーンズ・ギャラリーQueen's Galleryなどは
休館日だったので入れず仕舞いでした。

正午を過ぎていたので、Victoria駅まで歩いていき、
そこのスターバックス・コーヒーで昼食を摂りました。
友人Tから頼まれていたシティ・マグカップも
ここで買いました(思っていたより大きかったです)。

午後はシャーロック・ホームズの舞台として
有名なベーカー・ストリートBaker St.に移動しました。
もう駅からしてホームズを前面に押し出していました。
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シャーロック・ホームズ博物館Sherlock Holmes Museum
では物語の場面が再現されていたりして、
ファンという程ではなかった私も十分に楽しめました。

その後、近くにあるマダム・タッソー蝋人形館
Madame Tussaud'sへ徒歩で移動しました。
歴史上の人物や人気俳優の蝋人形が展示され、
写真撮影や基本的に人形に触るのもOKなので、
観光客たちは思い思いにはしゃいでいました。
あっちもこっちも記念撮影する客で溢れ、
混み具合があまりに凄まじかったせいで、
館内はもうあちこちが熱気でむんむんしていました。
午前中の衛兵交替同様、
今日営業している数少ない観光名所だったことも、
その混雑の一因だったのだろうと思います。
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順路の最後の方にはロンドンの歴史を辿る
“Spirit of London”というツアーがあり、
ロンドンの街並みを象徴する煉瓦造りの家や、
大聖堂などが建立された背景には、
かの有名なロンドン大火が関係している、
というようなことを言っていました(と思います)。
「なるほどな」と思いました。
あまりに人が多いので疲れ切ってしまいましたが、
なかなか楽しい所でした。


夕食はPiccadilly Circus駅付近のファミリーレストランで、
伝統的なロンドン料理“FISH & CHIPS”を食べました。
日本のファミレス感覚で頼みすぎると
量が多すぎて悪戦苦闘する恐れがある、
というそれまでの実体験から、
今回は慎重に少なめに頼みました。

しかし、この伝統料理、でっかい鱈のフライ一枚と、
それと同じくらいの分量のフライドポテトが
皿にどかーんと乗っかっているだけの料理なのですが、
物凄いボリュームであり、カロリーも高いとあって、
見た目もさることながら腹に溜まるのなんのって、
いや~単品の筈なのにまたしても戦う羽目になりました。

気のせいか、ロンドンに来てから、
炭水化物は豊富に食べているものの、
食物繊維や野菜をほとんど食べていない感じでした。
私の体は栄養のバランスが乱れると敏感に察知しますが、
誰が見ても明らかに栄養が偏っていました。
いくらジャガイモ好きの私でも
こんなに食べ続けていたら流石に…。
まぁでも美味しかったですけどね。


この日もまた、膝の痛みと闘いながらの一日でした。
けれど、天気が良くて写真が撮り易かったですし、
開いている所が限られている中で、
これだけいろんな所を満喫出来たので良かったです。
この日一日ですっかり地下鉄の乗り換え、
お金の計算や街並みにも目や感覚が慣れ始め、
英語ばかりの世界にも慣れてきました。

また、私からすると外国人の方は見分けが付かず、
皆現地の人たちにも見えてしまうのですが、
実際はかなり観光客が多いことに気付き、
皆余所者なんだと思ったら、
何だか急に気が楽になりました。

よく、日本人は外国人なら皆英語が話せると
思い込んでいる節があるが、
実際はスペイン語等しか話せないというようなケースも
少なくないというようなことを聞いたことがあったので
(日本人と違って英語が話せないように見えないのは
得な気もしますが、話せると誤解され易いということで、
意外に迷惑に感じているのかもしれませんね)、
言葉で苦労しているのは自分たちだけじゃないと思え、
簡単な単語くらいしか話せないけど、
何とか勢いで話したり、勝手に判断出来ているから、
堂々と構えていれば良いかなと思えるようになりました。

どう頑張っても何事も英語表記で過ごすしかないので、
意味が分からないとか読めないとか言ってても仕方なく、
もうこういうもんなんだと思って過ごせばそれで良いんだ、
いちいち和訳なんかしてないで、
見たまんま、英語のまま解釈していればそれで良いんだ、
という新たな境地に立てたような感覚でした。


あと、この日気付いたことは、
車のナンバープレートに黄色と白の2色あることに
気付いて何故なのかなと思ってよく観察してみた所、
どうやらフロントが白、バックが黄色という法則が
当て嵌まりそうだということが分かりました。

他には、信号についてもちょこっと書きたい所ですが、
話が長くなりそうなので続きはまた後に回します。

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2008年1月13日 (日)

ロンドン旅情記・2

▼第2日:12月25日(火)雨

ロンドンで迎える初めての朝となったこの日は、
ゆっくりと過ごしていました。
ちゃんと枕元に枕賃(チップ)を置きました。
日本人の感覚からすると、
このチップという風習はどうにも分からないものですが、
諸外国ではこれが当たり前なので、
「郷に入っては郷に従え」ということで。

「このホテルの朝食は基本的に毎朝バイキングだと思う」
と前以て聞かされていました。
最近のロンドンの中級ホテルではほとんどという、
コンチネンタル・ブレックファストContinental Breakfast
と呼ばれる食事なのだろうと思いますが、
パンとフレーク、コーヒーなどの飲み物、
それにオレンジとグレープフルーツにヨーグルトを
掛けて食べるだけという簡単なものでした。

別途料金を払うともう少し品数の多いバイキングを
食べられたようですが、
割高なようなのでそちらには目もくれずでした。
レストランの窓の外に見える煉瓦作りの家々の街並みは
やはりロンドンそのものでした。

この日はクリスマスでしたが、
噂通り人も車も疎らで、街中が静まり返っていました。
割高料金というタクシーだけは
ある程度走っていましたが、
当初の計画通り、徒歩で散策することにしました。

こんな日に限って朝から雨でした。
ラッキーなことだらけの今回の旅行でしたが、
これが唯一、ツイていなかったことと言えるでしょう。
「ロンドンの雨は傘を差さなくても良いくらいで、
それ程強くないらしい」という話を聞いていましたが、
実際は日本と大差なく、結構しっかり降っていたので、
普通に傘を差さなければなりませんでした。

店は一部を除いてほとんどが閉まっていました。
そして、本当に地下鉄も休業しており、
駅は電気こそ付いているものの、
入り口が鉄格子戸で閉鎖されていました。
完全に閉め切る日本のシャッターと違い、
防犯的に大丈夫なのか気になりますが、
デザインがオシャレでした(普通に中が窺えます)。
(※下の写真は夕方撮ったものです)
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徒歩で行ける距離は限られていますし、
基本的に観光スポットはどこも休業日なので、
一番近くのケンジントン・ガーデンズKensington Gardens
という公園を最初の目的地に歩いて行きました。
ホテルから3kmくらいの所なのですが、
1時間近く掛かったような気がします。

この時、私の右膝が痛み出しました。
前日からも軽い痛みが出始めたのですが、
昨年11月末のマラソン大会に出た時に痛めた箇所で、
その後安静にしていたので治ったと思っていたのですが、
実は完治していた訳ではなかったようなのです。
「何故こんな時に…」と思ったのですが、
こんな痛み如きで貴重な時間を
ふいにされたくなかったので我慢しました。

どうやら、冷たい外気の中を歩き続けたので、
膝が冷えていたことと大いに関係がありそうでした。
ただ、寒いとは言っても、体感で恐らく5℃前後で、
暖流と偏西風が影響しているということで、
緯度が日本(茨城は大体北緯36度)に比べ
ずっと高い(北緯51度)割には、
日本よりはちょっと寒いなぁという程度でした。


ケンジントン・ガーデンズに着き、
初めてロンドンの公園というものに踏み入れましたが、
本当に広大でびっくりしました。
そしてまず初めに、この公園に来た一番の目的である、
ケンジントン宮殿Kensington Palaceに向かいました。
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ここは、チャールズ皇太子と故ダイアナ元妃が
住んでいたという宮殿で、
“Diana:a Princess remembered”と書かれた、
看板やポスターなども掲げられていました。
中庭にリスも見られるということでしたが、
この時は残念ながら見当たりませんでした。
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公園の真ん中にはRound Pondという人工池があり、
観光客が水辺で白鳥のような鳥たちと戯れていました。
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その後、ケンジントン・ガーデンズに隣接する
ハイド・パークHyde Parkを通って
(敷地は繋がっているので物凄く広大な公園なのです)、
公園南東部のHyde Park Corner駅付近に出ました。
かなり歩き続けていたので疲れていましたし、
お腹も減っていました。
かと言って、雨が降っていてベンチも濡れていますし、
寒くて休んでいられるような天気でもなかったので、
どこかで昼食を食べようと思いました。

そして、ふらふらしながら偶然行き着いたのが、
Hard Rock CAFEという
有名なカジュアルレストランでした。
昼時だったので結構お客さんで賑わっていました。
外国人だらけの店の中に入っていくということに、
まだかなり抵抗を感じていた私でしたが、
兎に角慣れるしかないので入っていきました。

店の名の通り、店内の至る所に
ベースやレコードなどが飾られてあったりして、
ロックっぽい雰囲気が漂いまくっていました。
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相変わらずメニューが英語ばかりで、
スペルは読めてもどんな料理なのか分かりませんし、
余計なことを質問する英会話力がないので、
かなり困ってしまいました。
でも、担当の若い店員さんがかなり気さくな方で
(どうやらテーブル毎に割り当てが決まっているようで、
必ず同じ店員さんが何かと様子を見に来てくれる)、
電子手帳に興味津々で何かと弄りたがっており、
これを駆使しながら親切に色々説明してくれました。

これらの会話を通じて、
“appetite”が「食欲」を意味する単語だと学び、
店員さんも「食欲が出る=凄く美味しい」ということを
何度も強調していました。
この店員さんのお陰で楽しかったですし助かりました。
料理も美味しかったですし、
クリスマスということで店内のBGMも
それに関する選曲で良い雰囲気でした。
ただ、やはり全体的に量がちょっと多めだったので、
料理を若干頼みすぎた感は否めませんでした。
前夜の反省を生かせませんでした。
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店を出た時間は14時半前でしたが、
歩いて帰ることを考えると、
これ以上遠くまで行ってしまうよりは、
このまま引き返した方が賢明だろうということになり、
元来た道を引き返しました。

この日は外観だけの観光を中心に
他にも色々と予定を組んでいたのですが、
他の日に近くを通ったりして
何度も見る機会のあるような所ばかりでしたし、
徒歩でどれくらい行けるのか様子を見ながら、
ということで取り敢えず組んでみただけなので、
ちょっとあっけない感じはありましたが、
天気が良くなかったということもあり、
無理はしないことにしました。
それに、文字通り、
私が足を引っ張っていたということもありましたし。


帰りもやはりハイド・パークや
ケンジントン・ガーデンズを通ったのですが、
この頃にようやく雨が上がってきました。
すると、何と目の前に不意にリスが出現しました。
ケンジントン宮殿では見ることが出来なくて、
「時期的に今は居ないんじゃないの?」と言われ、
「寒いからそれもそうか」と諦めていたのですが、
雨が上がって出てきたのでしょうか、
思わぬ出会いに感激しました。
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初めて本物のリスを見たのですが、
縫いぐるみみたいに体毛がほわほわしていて、
動きもちょこまかしていて愛くるしいですね。
但し、動きが速すぎて、
カメラに収めるのが大変でしたけど。

公園を歩いていると、
他にも所々でリスを見掛けました。
野生なのか放し飼いなのか分かりませんが、
普通にリスが生息している公園って良いですね。
因みに、帰りはケンジントン宮殿内にも
リスが居るのが見えました。

静まり返った街中を歩きながらホテルに戻り、
夕食はホテルで食べました。
クリスマスということで特別バージョンなのか、
レストランがバー(パブ?)形式になっていて、
まずどこでどうやって注文していいのかが分からず、
しばらく変な待ち惚けを余儀なくされてしまいました。

一日中靴の中やジーンズの裾が濡れっ放しだったので、
部屋に戻ってこれらを脱ぎ捨てた時に、
ようやくホッと出来たのでした。


この日学んだことは、
信号待ちの時は、歩行者は車が来なければ
赤だろうと皆お構いなしに渡るし、
横断歩道がないところでも、
車が来ないのを見計らって渡るということでした。
要はせっかちなのかもしれません。
これは交通量が多い、少ないに関わらず共通で、
車が赤信号になって止まれば仮令広い道だろうと、
歩行者信号が青になる前に渡り出していました。

これに関連して感心したのは、
車と歩行者の分離システムについて、
うまく考えられているようだということでした。
歩行者が渡っている間は、
絶対に車の信号は赤になっていますし、
青になっていても、横断歩道がある方向が
一方通行になっていて侵入出来なかったり、
初めから交差点の進行可能な方向が制限されていたり
矢印信号が設置されているなどして、
横断歩道のない方向にしか
進めないようになっているので、
信号や標識を無視しない限り、
横断中の歩行者に車が突っ込んでくるということが、
まず起こり得ないよう整備されているようでした。


あと、現代日本では通貨の単位は「円」だけで、
一番安価な1円を基準に、
数が大きくなればそれだけ高価になると言う、
至って単純なものですが、
ロンドンでは£(ポンド)が基本の単位ですが、
その下の単位としてp(ペンス)があり、
100p=1£という換算もせねばならず厄介でした。

私が以前外国に行った時も単位は違えど
同じような感じだったので今更ではあるのですが、
問題は、まず一つが、値札の金額をパッと見た時、
どの硬貨を出せば良いのか分からないことでした。
£2などのように切りが良ければがすぐ分かるのですが、
£4.75などと書かれていると、
普段小数点入りの値段表記に見慣れていませんし、
硬貨の種類も色々あるので、
一瞬どう解釈して良いのか戸惑ってしまうのです。

しかも「ポンドは全部紙幣」というならまだしも、
1p~£2までが貨幣で、£5以上は紙幣になるので、
いくらを基準に考えたら良いのか複雑なのです。
だから、例えば£2.95の物を3つ買ったりすると、
計算は複雑になるわ、
硬貨は何を出したら良いか迷うわで、
考えなければいけないことが多すぎるので、
瞬間的に頭がパンク状態になってしまうのです。

もう一つの問題が、すぐに円換算が出来ないことでした。
簡単な暗算なのでそんなに難しくない筈なのですが、
脳が退化しているせいなのか、
£1が大体210円(実際はもっと高いと思うが)として、
仮に200円として計算するにしても、
£50や£150という具合に桁が増えるだけで、
1000円台なのか1万円台なのか、位まで混乱し、
尚且つ、見た目の10や100(£)という数字に惑わされ、
日本円で考えると大金なのかそんなに高くないのか、
計算するまでいちいち一瞬考えなくてはいけないため、
見たままで判断出来ないという辛さもありました。

いちいち日本円に換算しなければ楽なのですが、
どうしても、日本円に換算してみないと、
日本の物価に比べて安い物なのか高い物なのか
判断しかねるので、必要な作業だったのです。

この変換作業が最初はなかなかスムーズに出来ず、
ポンドやペンスの変換作業まで入ってくると
もうお手上げ状態で、
紙幣で多めに払って後はお釣りを貰うばかりでした。
この日までは特に、
この物の価値の換算に手間取っていました。

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2008年1月12日 (土)

ロンドン旅情記・1

▼第1日:2007年12月24日(月)

いよいよ出国当日の朝を迎え、
ホテルの朝食のバイキングでは、
日本食を中心に食べました。
私が味噌汁好きになったのは、
初めて海外旅行に行ってからのことで、
それまではそんなに好きという程でもなかったのですが、
2週間日本食を口に出来なかったことで、
帰国してから味噌汁のコクというものが体に染みて、
こんなに美味しかったのかと気付いたのでした。
味噌汁以外にも、その美味しさに気付いた和食の多くは、
この時がきっかけとなったものが多いです。

今回はその半分の1週間の予定でしたが、
そんな過去の経験があったので、
ぎりぎりまで日本食を食べておこうと思って、
納豆を食べたり、味噌汁を2杯飲んだりしました。

朝食の時も、空港まで送迎してくれた
ホテルのバスの車内でもそうでしたが、
周りはかなり外国人の方が多かったので、
ちょっと萎縮してしまっている自分が居たのですが、
「向こうに着いたらこれが当たり前の生活になるんだから
今から免疫を付けておかないと」と思いました。

空港に早めに行き、出発までゆっくりしていました。
この時のスーツケースの重さは13kgでした。
手荷物検査を済ませて搭乗口の待合室まで行っても、
本当にこれからロンドンに行くという実感が
いまいちピンと来ていませんでしたが、
きっとこの目の前に広がっている
今は当たり前の日本らしい雰囲気も、
十数時間後には一変しているんだろうなと思いました。


飛行機は昼前に予定通り飛び立ちました。
「(実感はないけど)しばらく日本を離れます」と
そっと別れを告げました。
後は、無事に着陸してくれることを祈っていました。

機内食は2度出ましたが結構美味しかったです。
最初は、わざわざ機内まで持ち込んだ本を読んで
時間を潰していたのですが、
椅子の背もたれに付いているシートTVのゲームで
遊んでいる人が見えたので、
だんだんそっちに気が向き始めてしまい、
結局私も読むのが疲れたのでシートTVで遊び始めました。

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最初はソリティアばかりやっていたのですが、
他のもやってみたいと思い始め、
いろいろ弄(いじ)っているうちに見付けたのが、
「シャンハイ(上海)」というゲームでした。
気になってやってみようと思ったのですが、
ルールの意味が全く理解出来ず、
面倒なのでもう別なのをやろうと思って
幾度となく放棄したのですが、
何となく気になって時々弄っているうちに、
ひょんなきっかけでルールを理解し始めました。

やり方が分かってから急に面白くなり、
そこからはもうこれに嵌まってしまい、
なかなか他では見掛けないから、
飛行中にしか出来ないかもしれないと思うと、
今のうち思う存分楽しんでおくしかないという気になり、
益々熱中していったのでした。

疲れたので一度だけ2時間程仮眠を取り、
更に残りの飛行時間を逆算して、
最後に映画を1本観たものの、
それ以外のほとんどの時間を
シャンハイに費やしてしまっていました。
普段あまりゲームはやらないのですが、
この時ばかりは「機内ゲーマー」になっていました。
続きは帰りの飛行機でまた遊ぼうと思いました。


ところで、ここで観た映画というのは、
『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』という映画で、
Mr.ビーンシリーズは好きだったので、
これは是非観ておこうと思いました。
ところが、言語設定を日本語にしていたにも拘わらず、
一部の台詞は日本語に吹き替えられていたものの、
ほとんどの台詞が字幕表記であり、
しかもそれが何故か英語表記だったから堪りません。

幸い、コミカルな演技で笑わせる場面の多い
コメディ映画なので、
台詞の意味が何となくしか分からなくても、
ある程度は話の内容が理解出来たのですが、
台詞(字幕)の続く場面などでは、
当てずっぽうな解釈ばかりしていた
可能性も拭えませんでした。
でも、これが向こうに着いたら、
当たり前の光景になるのだろうから、
今の内にその雰囲気に少しでも慣れておくために、
ちょっとだけ予行練習をさせて貰ったのだと
考えることにしました。

敢えてこの機内の中の国籍を表すなら、
まだ日本国と言っても過言ではなかったので、
この時点では何ら不便に感じることはなかったのです。
まだホームという感覚なので不安に感じることもなく、
気持ちに余裕があり、安心し切っていました。


出国から13時間を経て着陸態勢に入り始めた頃、
窓の外に広がる景色を眺めると、
整然と煉瓦作りの家々が立ち並ぶ光景が見え、
まるで麻雀牌でも並べているかの様でした。
日本の一軒家と違って、
長屋のような建物に長細い屋根が載っていて、
しかも、それが計算されたかのように
規則正しく同じような向きと間隔で並んでいるのです。
この時、「遂に来てしまったんだな」と思い、
じわじわと実感が沸いてきたのでした。

更に、ヒースロー空港へ足を踏み入れると、
目に飛び込んでくる看板はもう全て英語表記でした。
まだ周りには搭乗していた日本人が大勢居ましたが、
もうじきこの人たちとも別れてしまうと思うと、
じわじわと不安が沸き上がってきました。

入国審査ゲートでも、
検査官からの質問は全て英語で容赦なく、
部分的にしか言っていることを聞き取ることが出来ず、
「これは先行きが思い遣られるなぁ」と思いました。
それにしても、空港の職員達は色んな人種の方が、
普通に混じって働いているんだなぁと思いました。
というのも、何となくイギリスは白人が多いという
勝手なイメージがあったからなのですが、
実際はそうでもないと分かりました。

あと、空港内を動く歩道(エスカレーター)などで
移動しながら周りを注意深く観察していると、
急ぐ人のために左側を空け、
右側に立つのがどうやら暗黙の了解のようでした。
私は関東人なので、どうしてもいつもの癖で、
つい左側に立ってしまいがちでしたが、
常に「関西ルール」を心掛けるよう、
この時しっかりと脳に叩き込んだのでした。


空港からホテルまでの送迎を依頼していたので、
日本語の話せる係の方と待ち合わせしていましたが、
駐車場に行くと見慣れた日本車が結構あったので、
何だか嬉しくなりました。
因みにホテルからの送迎車もトヨタのエスティマでした。
ただ、ナンバープレートは現地のものなので、
こういう欧州らしいナンバーは私には大変珍しく、
外国っぽさを感じて少し興奮気味でした。

確かに日本と同じく右ハンドル(左側通行)でしたし、
標識などもそれ程大差はないようでしたが、
車間距離を詰めながら走り、
カーブも結構スピードを出したままで、
停車する時も急ブレーキに近いような止まり方で、
前の車に擦るんじゃないかというくらいまで詰め、
若干信号もフライング気味に走り出すので、
「こんな運転じゃ怖すぎて、
日本の感覚じゃ全然運転出来ないよ」と思いました。

その方の話では、前日(23日)は一日中霧で、
周りの景色が何も見えなかったそうです。
かつては霧の都と呼ばれたロンドンでも、
近年ではここまでの霧は珍しくなったそうですが、
もし一日早く着いていたら、
観光しようにも何も見えなかったと思われるので、
運が良かったなぁと思いました。

まだ(24日の)15時半過ぎだというのに、
辺りはかなり薄暗くなってきていました。
それでも車窓から見えるロンドンの街並みは、
煉瓦作りの家々が立ち並ぶレトロな感じで、
それがまた味わい深い景観を作り出していました。

その方から言われたのは、
「兎に角、目一杯楽しんで帰ることだよ」ということでした。
不安だらけではありましたが、その言葉によって、
「もうこの瞬間も貴重な時間を過ごせている訳だし、
居られる時間も限られているから、
目一杯ロンドンを満喫しなくちゃな」と思いました。


ホテルに着いてしばらくゆっくりした後、
夜になってから、クリスマスイブの街へ繰り出しました。
ロンドンは編み目のように地下鉄Underground
張り巡らされていて発達しているということで、
初めてこの“Tube”(地下鉄の愛称)に乗ったのですが、
事前の学習不足のせいで地理が頭に入っておらず
(観光名所の大まかな位置や地下鉄の路線図など)、
しかも駅に貼られている路線図は
勿論全て英語表記のため目的の駅を探し辛いということで、
自分が果たしてどの方角へ向かおうとしているのか、
どこで何の路線に乗り換えるのかなどが全く分からず、
誘導されるがままにただついて行くだけでした。

初めにロンドンの象徴的存在である、
時計台のビッグベンBig Benを拝みました。
これ程有名な建物を間近で見ているなんて、
何かとても不思議な気持ちになりました。
夜なのでライトアップされており、
それがまた良い雰囲気でした。
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その後この周辺をちょっと散策し、
如何にもロンドンっぽい赤い電話ボックスや、
赤いダブルデッカー(2階建てバス)などを見掛け、
「ロンドンに来たんだなぁ」ということを
改めて実感していました。

それから徒歩で移動して、
クリスマスイブの雰囲気を味わうにはここという、
トラファルガー広場Trafalgar Squareに行きました。
クリスマスに立てられる巨大なモミの木は有名だそうで、
これを見に観光客が集まるとも言われるそうですが、
日本の電飾とは違って青や白のLEDではなく、
普通のオレンジ色の電球なので、
華やかと言うよりは厳かという雰囲気でした。
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夕食はロンドンに着いて初めての食事でしたが、
もう20時を超えていたので、
だいぶあちこち閉まっているというのもあって、
なかなか見付かりませんでした。
やっと見付けたインド料理屋に入ったのですが、
全然会話が聞き取れなくて困りました。
しかも、メニューを見ても料理の意味が分からず、
適当に3つずつ色々頼んでみたのですが、
実際運ばれてきた料理を見て仰天しました。
一品当たりの量が多いんですよね。

日本のファミレス感覚で色々頼むもんじゃありません。
いきなり文化の違いの洗礼を浴びることになり、
食べているというよりは戦っていました。
好き嫌いのない私ではありますが、
味も正直、あまり好みではなかったというか…。


何とか最後まで食べ切って、
ホテルに戻ってきました。
ロンドン初体験の私としては、
まず小手調べと言ったところでしたが、
常に何かに怯えながら行動しているような、
心が安まらない緊迫感がありました。
もうそれだけで、だいぶ疲弊し切っていました。
むしろ、この日は夜からだけの観光で
助かったという感じでした。

その後、ホテルのセーフティボックス
(貸金庫のようなもの)に余分な現金や
トラベラーズチェックを預けたのですが、
この時も言葉がほとんど理解出来ず、
かなり冷や冷やしました。

直前に英会話を復習する時間もなく、
最後は開き直ってロンドンまで来たものの、
思った通り全然会話が聞き取れませんし、
思っていた以上に頭が退化していたのか、
咄嗟に英単語が出て来なくなっており、
翌日からの観光に不安が一杯でしたが、
何はともあれ、寝て体力を回復することにしました。

こうして、長い一日が終わりました。
(実際、日本との時差9時間分は一日が長くなったので、
機内で2時間仮眠を取ったとは言っても、
朝からトータルで22時間以上起きていたことになる)。

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2008年1月11日 (金)

ロンドン旅行出発前夜まで

ロンドンに旅行に行くということを決めてからは、
日程や観光場所、行程やその他諸々について、
意見交換や確認などを何度も重ねました。
あくまでツアーではなくて、
自由に自分たちのペースで回るということだったので、
あれこれ吟味する必要がありましたし、
それがまたオリジナル旅行をする醍醐味でもありました。

偏見かも知れませんが、
ツアーでは名所をちょこちょこ回って、
すぐ去らなければいけないイメージがあるので、
何でも受け身で居られて楽ですし、
少ない時間で効率良く要所を掻い摘んで回れるという
良さもあることは認めていますが、
折角見所の多い所に観光に行くからには
自分たちの好きな様に日程を組みたいという思いがあり、
ツアーに頼らないで行くことに異議なしでした。
(但し、全てにおいて分からないことばかりだったので、
既に観光経験済みで何かと詳しいお二人に、
基本的について行くだけの存在でいるつもりでした)。


半ば強引に年末に8日間休みを取らせて貰い、
飛行機のチケット予約も出来たものの、
ガイドブックなどで調べてみると、
クリスマスの時期は休みという所が多く、
特に25日はほとんどの名所が休業日でした。
このように、休館日等を避けながら、
行ってみたい所を出来るだけ多く盛り込んだ
予定を組むことを余儀なくされました。
話し合っていく中で、観光をするには時期的に
あまり向いていなかったことを知ることとなりました。

それでも何とか後は細かい所を煮詰めるという
段階まで漕ぎ着けたのですが、
そこに来て衝撃的な情報を見付けてしまったのでした。
「12月25日は基本的に地下鉄もバスも運行せず、
街は静まり返ったようになる」というものでした。
移動手段が徒歩か割高タクシーだけで、
その上ほとんどの施設や店も閉まっているとあって、
貴重な1日を棒に振ることを意味していました。
日本のお祭り的なクリスマスとはやはり違うのだなと、
文化の違いを感じさせられました。

日本の感覚からすれば、
交通機関が止まるなんてことは到底考えられず、
年中無休の店などがかなり増えている時代だけに、
ここまで国を挙げてしっかり休むというのは
本当に寝耳に水で慌てました。
行く前に気付いたのがせめてもの救いでした。
こうして、計画の練り直しを迫られたのでした。

制約が多い中で予定を組むことになりましたが、
何とか決め終わり、
後は諸々の準備をするだけになりました。
出発日までは1ヶ月程余裕があり、
だいぶ先だと思っていたのですが、
11月、12月と仕事に追われる中で
あっという間に時間が過ぎ、
気が付けば、予備知識や詳しい情報などを学習せぬまま、
出発日が目前に迫ってきていました。


出発日前夜(23日)は成田空港近くのホテルに
前泊することになっていましたが、
その日の午前中の時点では
まだほとんど旅行の荷造りなどが出来ておらず、
ロンドンに行くというのに、
電車に乗る直前まで準備していたというくらい、
かなりぎりぎりになってしまいました。
何か忘れ物がないか、
本当にこんな感じで外国に行けるのか、
色々心配なことだらけでした。

出国前に部屋の掃除などいろいろやっておこうと
思ったことが結局出来ないまま家を出発しました。
それと余談ですが、この日私は、
持っていたパスネットの残金を全て使い切りました。
その夜、3人で最終的な旅行の確認等を行いました。

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2008年1月10日 (木)

旅行先をロンドンに決めるまで

昨日に引き続き、昨年末の旅行に際しての話です。
3人で行ったのですが、
初めて海外旅行の計画を提案された時は、
戸惑いましたし、どちらかと言うと消極的でした。
先入観というか固定観念のようなものなのですが、
治安のことや英会話に全く自信がないことが
それのかなり大きな原因を占めていました。
加えて、保守的で慎重な性格であることや、
費用のこと、スケジュール的なものを考えても、
これらを押し切ってまでして海外に行きたいとは
全く考えてもいませんでした。

しかし、昨年あちこち旅行に行って、
比較的腰が軽くなっていたので、
流れが良かったということもあり、
早い段階で「折角の機会だから行ってみようかな」
という決心が付いたのでした。

その根底にあったのは、
「思い立つ日が吉日」ということで、
身軽な今の内に行っておかないと、
後になって行きたいと思った時に、
果たして行けるかどうか分からないという、
去年再三旅行に行った時の信条と同じものでした。

それに当たって犠牲にする全てのものへの
後ろめたさも勿論ありましたが、
「今だけだと思って許してくれ」という気持ちで、
このお誘いを受けることにしたのです。

振り返ってみると、昨年は青森、福岡、佐賀~熊本、
山形などに行きましたが、
これらの行き先を検討するに際して考えたのは、
「出来るだけ遠くて、まだ行ったことのない所へ行きたい」
という点に重きを置いていました。
近くなら、ちょっとの連休で行くことも可能でしょうが、
遠くとなればいつでも行けるとは限らないからです。
全ては「今の内しか出来ないかもしれない」という、
近い将来を睨んでの危機意識のようなものに
帰結していたと思います。

ということで、折角外国へ旅行に行く、
しかも強引にある程度の連休を
貰ってまでして行くからには、
中途半端に近い所ではなくて、
思い切って、なかなか行けない遠い所へ行きたい、
と例に漏れず考えたのでした。
そして、様々な情報を交換する中で、
最終的にロンドンに行くということが決まったのでした。


私は大学4年の時、
所謂卒業旅行というものに行きませんでした。
行けなかったとも言えますし、行かなかったとも言えます。
本当は仲の良い友達同士で、
世間並みにそういう旅行をしたかった、
という気持ちは当然あって、
強引に行ったという人たちが羨ましかったですし、
行かなかったことを悔やんだりもしました。

就職してからも時々そのことを思い出し、
「噂通り、働き出すと時間が取れないな。
いくら忙しかったとは言っても、
学生時代の方がずっと自由は利いたな。
行ける時に行っておくべきだったな」
ということを痛感させられました。

そんな自分の精神状態(無理に揺るがぬように
保っていた固定観念)を更に不安定にさせたのが、
1年前の年末年始に一人でアメリカに
旅行に行ってしまった中学時代の親友や、
しょっちゅう韓国などに行っているという知人の存在で、
そんなに気軽に外国に行ってしまえる度胸に、
かなり衝撃を受けました。
外国に行くというだけでびびって抵抗している自分は、
一体何なんだと思わせられたのです。

こんな心の経緯(いきさつ)もあって、
ちょっとロンドン旅行は贅沢かなぁと思ったり、
貯蓄が底を尽きてきたことを気にしながらも、
「英語は話せないけど、ついて行くだけなら
何とかなるかなぁ」と勇気を出し、
お供させて貰うことを決めたのでした。
9月中旬くらいのことでした。

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2008年1月 9日 (水)

素人カメラマン誕生の歴史

私は、趣味として「カメラ」を挙げてはいないものの、
結構写真を撮るのは好きです。
特に、美しい風景や芸術的に構図の良い写真が撮れると、
凄く嬉しくなります。
ただ、趣味という程ではないと思っているだけあって、
単に良い写真を撮りたいというだけなので、
一眼レフなどのような本格的な拘(こだわ)りはなく、
普通のデジカメで撮っています。

そして私の困った所は、
写真を撮ることにちょっとした拘りを持ちながら、
そのくせ自分も写りたがり屋な性格だという点です。
自分で好き勝手に撮っているだけでなく、
二人以上の場合は再三撮影をお願いするので、
周りの方にはいつも迷惑を掛けています。

こんな風に写真には拘りのある私ですが、
実は元からそうだった訳ではありません。
昨年末に行ったロンドンは2度目の海外旅行であり、
初めてではありません。
その最初に海外旅行に行った時の経験が
その後の私のカメラ人生に強く影響を与えたのです。

まだ小学生だった私に海外を経験させてくれようと、
両親が無理をして(海外旅行に行き易くなった今と違い、
当時は航空運賃の相場がかなり高かった)、
サマースクール(夏期研修旅行)なるものに行かせてくれ、
2週間もの間、私は引率の先生方や
同年代の小中学生ら十数人と共に海外に滞在しました。

今から見ればまだまだ子供だったとは言え、
小6でそれなりに物心もしっかり付いていましたし、
自分の目で色んな物を見てきて、
肌で感じて過ごしていたのは間違いありません。
しかし、主に団体で行動していて
自発的に行動していたとは言い難いことや、
今より視野がずっと狭かったこともあってか、
貴重な経験をさせて貰ったという感覚はあったものの、
悲しいもので時間と共に思い出は薄れつつあり、
覚えているには覚えているのですが、
記憶がやや曖昧な感じがあります。

そこで、そんな曖昧な記憶を鮮明に
蘇らせてくれるアイテムとして活躍するのが写真です。
目で見た記憶は、その時は新鮮で感動的でも、
やがては「凄く感動した」という感覚は残っても、
まるで川辺の石のように、
徐々に周りが削られていってしまいます。
だから、如何にも観光客っぽくなってしまっても、
やはり写真に撮っておけば、
スケールは目で見たより小さくなったとしても、
画像として鮮明に後から見返すことが出来ます。

ところが、帰国後早速写真を現像し見てみると、
楽しみにしていた割にはあっけないものばかりでした。
デジカメのようにその場で確認出来なかったので、
全ては現像してからのお楽しみという、
時代的な背景もありましたが、
それにしても自分のセンスのなさが悲しくなりました。

「自分が写ってなきゃ、誰が行ったか分からないよ」
とその時親に言われた言葉が強く心に残りました。
当時は自分を撮って貰うのは好きでも嫌いでもなく、
ましていちいち撮って貰うために
人に頼むのは億劫に感じていたため、
自分が写っていたのは全体の1割もありませんでした。
しかも、風景なども思い付くままに撮ったものの、
アングルや撮り方も何となく適当だった上、
同じような写真ばかり撮っていたため変わり映えがせず、
写真としての面白味に欠けていました。

それに、有名な観光名所の写真や、
風景の綺麗な写真を撮ったとしても、
自分が写っていないそんな紋切り型の写真では、
「絵葉書で買うのと大して変わらない」
と言われても無理はありませんでした。

また、持って行ったフィルム10本のうち、
4本くらいしか使わなかったのですが、
「全部使い切ってくれば良かったのに」と言われました。
現地ではあまり気にしなかったのですが、
帰ってきて見ると、確かに絶対的に枚数が少ない上、
写してきた物もあまり大したものでないとあって、
「たったこれだけ?」という
物足りなさばかりが残ったのでした。

折角貴重で良い時間を過ごさせて貰って、
なかなか何度も行けない所に行ってきたのに、
自分が確かにそこで過ごしていた足跡、証拠が頼りなくて、
何だか空しい気持ちになりました。

写真の構図や芸術性について拘り始めたのは、
デジカメを手にしてその場で撮った写真を
確認できるようになった大学生以降ですが、
少なくともこの時の経験が確実に強い影響を残し、
中学生以降、積極的に自分も被写体になったり、
写真を撮るようになった契機になったのでした。
周りが呆れるまでの拘り様の背景には、
実はこんな流れがあったのでした。


そんな訳で、今回旅行が決まった時、
絶対に良い写真を撮って来ようと思いました。
なかなか行けるものではないので、
どんな些細なことも忘れずに思い出すためにも、
目で見たもの、肌で感じたものを撮りまくろうと思いました。
2GBのメモリーカードでは少々不安だったので、
4GB分くらいは持って行きたいなと思ったのですが、
結局6GB分も持って行くことになりました。

これで絶対にメモリーが足りなくなることはないと思って
安心して出発したのですが、
国内と違ってどんな些細な物だろうと、
ただの看板やポスターだろうと、
ありふれた日常風景や人の行き交う風景だろうと、
そのどれもが日本では経験できない貴重なものであり、
ましてや、街並みがとても綺麗で何でも絵になるので、
感性センサーが敏感に反応せずには居られず、
何でもかんでも撮りまくってきたため、
500Mモードで2221枚(5.63GB分)も撮ってきてしまい、
6GB分も持って行ったのに、
結局残り僅か25枚しか撮れないという状況でした。
成田に帰国後にもし時間があれば、
全部撮り切っていた勢いです。
尤(もっと)も、うまく撮れなかったものや、
念のため何枚も撮ったものも含めてなので、
実際にはこのうち4分の3は無駄撮りだと思いますが。

ということで、未だに写真の整理が付いていません。
出来れば写真を全部整理し終えてから
旅行記を書こうと思ったのですが、
これを待っていると
かなり先延ばしになってしまいそうなので、
なし崩し的に書いていくしかないかなと考えています。

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2008年1月 7日 (月)

那珂湊おさかな市場

昨日、那珂湊おさかな市場(ひたちなか市)に
行ってきました。
これが予想を遙かに上回る大賑わい様で、
お客さんでごった返していました。
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手元に携帯電話しかなかったので、
いまいち混雑振りをうまく伝え切れていない写真ですが、
活気に充ち満ちていました。
如何にも魚市場という感じで良かったです。
回転寿司を食べましたが、
ネタが大きくて新鮮で美味しかったです。

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2008年1月 6日 (日)

一瞬の判断ミス

洗面台には私の歯ブラシが2本置いてあり、
1本は今使っている物で、
もう1本はその前に使っていた物でした。
何故、その古い歯ブラシも置いているかと言うと、
替えた時に一旦はすぐに捨てようかなと思いましたが、
風呂場の石鹸箱の裏を見てみた所、
何やら水垢で汚れてしまっていたので、
この歯ブラシを使って綺麗に磨いてから捨てようと思い、
残しておいたのです。
不要になった歯ブラシは掃除などに再利用出来るので、
昔からすぐには捨てないことが多いです。

因みに、一人暮らしの時は、
洗面用具は毎回使い終わる度に
水滴をタオルでよく拭き取って仕舞っていましたし、
石鹸が1つ使い終わる度に、
石鹸箱の内側を綺麗に擦り洗いしていたので、
水垢などで汚れるということはなかったのですが、
流石に家の洗面用具となると、
常に風呂場に置きっ放しなので、
水垢汚れは避けて通れませんね。

話を戻しますが、
そうして古い歯ブラシを取っておいたのですが、
いつまでもそのままにしておく訳にはいかないので、
昨日、久し振りに気持ちに余裕がある状態だったので、
古い歯ブラシを手に風呂に入っていきました。
そして磨き始めました。
石鹸箱にも石鹸は付いているので、
お湯だけでも十分に泡立ちます。
そして、石鹸の香りも漂ってきます。
良い香りです、歯磨き粉の香りにも似ています。

(というか、歯磨き粉の香りだよ、これ。
まぁそりゃ、いくら水で濯いでも、
多少歯ブラシに歯磨き粉は残るから、
何も付けなくてもそれなりに泡立つしねえ。
別に不思議なことは何もないよね。
んー、でもその割には匂いが強いなぁ。
何かまるで昨日使った歯ブラシでも
使っているかのような…。)

そこまで思い掛けて私はハッとしました。
「えっ!?嘘…?!まさか…。」

そう、よく考えもせずにサッと取って使ってしまったのは、
昨日まで使っていた現役の歯ブラシで、
古い歯ブラシの方ではなかったのです。

「間違って(残すべき方を)使ってもうた~!!」

一瞬絶句する私。
「何のためにわざわざ古い歯ブラシを
取っておいたんだ…。」

何かの弾みで勘違いしたまま、
こっちが古い方だと思い込んでしまい、
よく考えもせずに手に取ってしまったのが原因でした。
しかし、この歯ブラシでは
もう流石に歯は磨きたくないですし、
これ自体も替え時と言えば替え時だったので、
これで良かったと思うしかありませんでした。

こうして、毛先が開いてきてもまだ使えると思い、
なかなか新しい歯ブラシに替えない私も、
否応なしに替えざるを得なくなったとさ。
めでたし、めでたし。

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2008年1月 5日 (土)

20000アクセス突破

昨日書き忘れたことを2つばかり…。

まず、昨日で拙ブログへの累計アクセスが
20000回を突破致しました。
いつもご愛読ありがとうございます。
正月早々、有り難い出来事です。
今後とも宜しくお願いします。

もう一つは、昨日初めて北関東自動車道の
友部IC―笠間西IC間を通行しました。
話をしながらだったのであまり記憶に残っておらず、
結果報告出来ないのが残念ですが、
今後、利用する機会が増えていくと思いますので、
その時またじっくり観察しながら走りたいと思います。

あ、もうすぐファンヒーターの灯油が
なくなるみたいです。
こんな夜中に外に出て給油するのは寒いので、
切れる前に寝てしまいたいと思います。

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2008年1月 4日 (金)

お守りに祈りを託す25歳・男

今日ようやく初詣に行ってきました。
今年は例年のように家族で行きましたが、
絵馬が掛けられているのを見掛けた私が
それについて話していると、
母に「あんたも縁結び(祈願)に
(絵馬を)掛けた方が良いんじゃない?」と一言。

(ぐっ…そう来たか。
というか、結局そっちに話が行く訳ね。)

更に進むと、お守りの売り場前に来ました。
お守りのラインナップを目にしながら母が、
「縁結びの(お守り)買っといた方が良いんじゃない?」
とまた一言。
確かに意外に今まで買ったことはなかったですが…。

(分かりました。観念しますよ、買いますよ。
もうこうなれば最後の神頼みしかないってね。
800円?ちょっと高いな。
いや、この際値段がどうのこうのじゃないよな。
この値段なら益々御利益がありそうだ。)

(今年こそ…。)
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2008年1月 3日 (木)

箱根駅伝初観戦

昨日に続き、今日も好天に恵まれる中、
第84回東京箱根間往復大学駅伝競争復路が行われ、
私は平塚中継所辺りまでをホテルのテレビで観戦し、
大学時代の親友たちと共に、
いざ初の生観戦へ向け戸塚へ出発しました。

戸塚駅は電車で通ったことは何度もあるのですが、
下車するのは多分今回が初めてです。
予定としては戸塚中継所での襷リレー(8区→9区)を
観ようと思っていたのですが、
人の流れに乗って歩いているうちに、
中継所の先(9区の1km付近)に行ってしまいました。
しかし、沿道は観客がびっしりと張り付いており、
ましてや中継所ではもっと人が多くて、
多分あまりよく見えないだろうという推測により、
そのまま空いている所を見付けてスタンバイしました。

どこからともなく聞こえてくる情報では、
先頭はもう戸塚中継所辺りまで来ているというのに、
国道1号は一向に一般車の走行が規制されそうになく、
「本当にこんな直前まで走らせても大丈夫なのか」
と思っていましたが、
しばらくしてようやく交通規制が掛かりました。

待ち時間は結構長く感じられましたが、
生観戦の雰囲気を味わっていたので、
それなりに楽しんでいました。
そして、ようやく先導車が見えてきました。
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まもなく、先頭の早稲田大が通過しました。
今まではテレビでしか観たことのなかった映像を、
沿道側から、しかも目の前で観ているという、
何とも不思議な感じでした。
しかし、そんな余韻に浸る間もなく、
2位の駒澤大がすぐ後に通過したのには驚きました。
もっと早大が余裕で独走しているのかと思っていたので、
駒大の凄まじい追い上げ振りを肌で感じました。

その後は今度は逆に、
3位以下がなかなか姿を見せず、
如何に上位2チームが飛び抜けた走りをしているかを
知ることとなりました。
相当2位と3位以下の間には
差が開いているんだろうなと思いました。

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ここで全20チームの姿を見送りました。
昨年完全優勝しながら、
5区の最後に棄権となって
オープン記録で走る順天堂大が、
最後に通過していきました。
その姿を見送ってから、
私たちは大手町へ移動を開始しました。

電車内でワンセグ携帯で中継を見せて貰っていましたが、
便利な時代になったなぁと思いました。
沿道でも結構携帯で中継を観ながら、
応援している観客もちらほら見受けられました。
以前の大相撲観戦の時もそうでしたが、
「こんな時ワンセグ携帯があったら良かったなぁ」
と思いました。

駒大が早大と入れ替わって首位に立っているのを観た後、
鶴見中継所(9区→10区)の様子を見ていたのですが、
繰り上げスタートが行われた後、
大東文化大が9区を走りきれずに
棄権となったのを見て驚きました。
確かにこの天気では脱水症状も起き易い
かもしれないとは思いましたが、
きっと、襷を受け取れなかったアンカーは、
このことを知らずに途中まで
走っていたに違いありません。
仕方ないとは言え、本当に可哀想だと思いました。


東京駅で降り、読売新聞東京本社前へ向かうと、
凄まじい人混みを目の当たりにしました。
何とか記念グッズは買えたのですが、
後から後から人が集まってくるので、
分刻みでその混雑振りは激しさを増すばかりでした。
まるで乗車率300%の電車内を移動するようなものです。
噂話では、過去最大級の人出だったそうです。

何とか、ゴール付近まで行ったのですが、
あまりに激しい混雑振りのせいで、
安全確保のためということで、
付近は関係者以外入場禁止になってしまい、
近寄ることすら出来ませんでした。
仕方ないので、近くに設けられた、
「大手町Rest Space」という特設広場に行きました。
大型ビジョンが用意されていましたが、
テレビで観るのと変わらないので、
何とか沿道へ少しでも近寄ろうとしたのですが、
大坂城の内堀と外堀じゃないですが、
通り道確保のため、ロープで沿道が二重に分けられ、
二重沿道の手前側から近寄れなかったので、
選手が入ってきても頭すら全く見えませんでした。
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仕方なく大型ビジョンで我慢しました。
すぐ側をゴールに向かってラストスパートする選手が
通過する度に聞こえる大きな声援を聞きながら、
映像は大型ビジョンで観ている状態でした。
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復路を制して総合優勝を飾った駒大を始め、
何チームかがゴールした後に映し出された、
突然の東海大のリタイヤ劇には、
会場中がざわめきました。
十分シード圏内でここまで来たにも拘わらず、
無情なまさかの棄権。
これまでも含め次々に起こったショッキングな展開に、
私はもうただ母校には、
「無事に最後まで走り切ってくれればそれで良い」
と願うばかりでした。


毎年、箱根駅伝を観る度に思うのは、
「全チームが棄権することなく最後まで走って欲しい」
「全チームが繰り上げスタートすることなく、
最後まで襷を繋いで欲しい」
という2つの願いですが、
残念ながら今回は両方とも叶いませんでした。

12年振りに往路優勝して、復路も8区まで首位を走り、
総合2位に入った「名門早稲田」の復活劇や、
関東学連選抜が最高の4位に入賞する活躍など、
明るい材料の反面で、
史上初の3校が棄権するという波乱含みの大会になり、
毎年色んなドラマがあるからこそ面白いのが
箱根駅伝の醍醐味や魅力ではありますが、
特に棄権した3校は相当無念だったろうなと思いました。

初めて生で観戦した感想としては、
実際のこういう沿道の雰囲気などが味わえて、
如何に熱心なファンが多いかということも知れたりして、
やっぱり観に来て良かったなと思いました。
来年以降も母校が出られることを願いつつ、
その時はまた行けたら良いなと思います。

帰り際、配られていた号外を貰ってきました。
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2008年1月 2日 (水)

いざ箱根駅伝応援へ

第84回東京箱根間往復大学駅伝の往路が
今日行われましたね。
私の母校が出場することが決まってすぐに、
「応援に行きたい」と思いました。
在学中も出場したのですが、
普通に正月は帰省してしまったので、
観に行きませんでした。

しかし、「あの時行っておけば良かったかな」
というちょっとした悔いも残ったので、
「次回チャンスがあれば…」という思いはありましたし、
最近嵌まってしまった、
「生で観る」という醍醐味を味わうために、
貪欲に何にでも体験してみようとする積極さのために、
そう思ったのは当然の結果と言えました。

確かに正直な話、順位はそう期待出来ませんが、
私にとっては結果や順位云々ではなく、
現地で応援してくるということが
一番重要なことなのです。
たった20校程度しか出られない箱根に、
母校が出場するというのは有り難いことだと思うので、
貴重な経験が出来る機会を見過ごしたくないのです。

不思議なもので、最近までずっと年上のイメージで
観ていた箱根の選手達も今や皆年下ですからねぇ。
今までテレビでしか観たことのない箱根駅伝ですが、
平成生まれのランナーも登場しているという今大会は、
25歳にして初めて生で観に行こうと思います。

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2008年1月 1日 (火)

ゴッドストップ

明けましておめでとうございます。
平成も20年目に突入しましたね。
2008年も良いことを一つでも多く体験したいです。

ところで、「一年の計は元旦にあり」と言いますが、
今年の元旦はいきなり地元の元旦マラソンに
出場する予定を立てていました。
ロンドン帰国の翌日という強行日程ではありましたが、
朝日を浴びながら元旦から走るというのは、
さぞ身の締まる良いものだろうと思い、
是非とも走りたいと思いました。

しかし、11月下旬に行われたつくばマラソンで痛めた
右膝の痛みは治ったと思っていたのですが、
これが旅行中に再発してしまいました。
その上、旅行の後半で右足に
肉刺(まめ)が出来てしまい、
正直な所、走るのは困難な状況となってしまいました。

「3kmくらい、気合いで走ってやるわい」
と無理して走ろうと決めていたのですが、
今朝、時間には起きられたものの、
「やっぱり足が痛いし、体もちょっとだるいなぁ」
などと布団の中で考えているうちにまた眠ってしまい、
気付いた時にはマラソンは終わってしまっていました。

元日から充実した時間を過ごすつもりが、
「眠り」に充実した一日となってしまいました。
出たかったという気持ちは強いですが、
まぁ「今回は無理するな」というドクターストップならぬ
ゴッドストップだったのだろうと諦めて、
来年こそは挑戦したいと思います。

それと、天皇杯はサンフレッチェ広島を下した
鹿島アントラーズが3度目の優勝を果たしましたね。
水戸は初戦の4回戦で対戦して敗れました。
今となっては敵チームですが、
リーグ優勝に続いての11冠目は大したものだと思います。
特に、リーグ戦から12連勝という負けない粘り強さは、
目を見張るものがありました。
対したサンフレッチェ広島も、
来季のJ2降格が決まってからの、
気迫の籠もった戦い方で決勝まで残った底力は、
J1としての意地を、そして、
来季のJ2において大いに驚異的な存在になることを
強烈に印象付けたと思います。

2007年度は日本サッカー史において、
記憶に残るシーズンだったなぁと思いました。

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