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2008年1月 9日 (水)

素人カメラマン誕生の歴史

私は、趣味として「カメラ」を挙げてはいないものの、
結構写真を撮るのは好きです。
特に、美しい風景や芸術的に構図の良い写真が撮れると、
凄く嬉しくなります。
ただ、趣味という程ではないと思っているだけあって、
単に良い写真を撮りたいというだけなので、
一眼レフなどのような本格的な拘(こだわ)りはなく、
普通のデジカメで撮っています。

そして私の困った所は、
写真を撮ることにちょっとした拘りを持ちながら、
そのくせ自分も写りたがり屋な性格だという点です。
自分で好き勝手に撮っているだけでなく、
二人以上の場合は再三撮影をお願いするので、
周りの方にはいつも迷惑を掛けています。

こんな風に写真には拘りのある私ですが、
実は元からそうだった訳ではありません。
昨年末に行ったロンドンは2度目の海外旅行であり、
初めてではありません。
その最初に海外旅行に行った時の経験が
その後の私のカメラ人生に強く影響を与えたのです。

まだ小学生だった私に海外を経験させてくれようと、
両親が無理をして(海外旅行に行き易くなった今と違い、
当時は航空運賃の相場がかなり高かった)、
サマースクール(夏期研修旅行)なるものに行かせてくれ、
2週間もの間、私は引率の先生方や
同年代の小中学生ら十数人と共に海外に滞在しました。

今から見ればまだまだ子供だったとは言え、
小6でそれなりに物心もしっかり付いていましたし、
自分の目で色んな物を見てきて、
肌で感じて過ごしていたのは間違いありません。
しかし、主に団体で行動していて
自発的に行動していたとは言い難いことや、
今より視野がずっと狭かったこともあってか、
貴重な経験をさせて貰ったという感覚はあったものの、
悲しいもので時間と共に思い出は薄れつつあり、
覚えているには覚えているのですが、
記憶がやや曖昧な感じがあります。

そこで、そんな曖昧な記憶を鮮明に
蘇らせてくれるアイテムとして活躍するのが写真です。
目で見た記憶は、その時は新鮮で感動的でも、
やがては「凄く感動した」という感覚は残っても、
まるで川辺の石のように、
徐々に周りが削られていってしまいます。
だから、如何にも観光客っぽくなってしまっても、
やはり写真に撮っておけば、
スケールは目で見たより小さくなったとしても、
画像として鮮明に後から見返すことが出来ます。

ところが、帰国後早速写真を現像し見てみると、
楽しみにしていた割にはあっけないものばかりでした。
デジカメのようにその場で確認出来なかったので、
全ては現像してからのお楽しみという、
時代的な背景もありましたが、
それにしても自分のセンスのなさが悲しくなりました。

「自分が写ってなきゃ、誰が行ったか分からないよ」
とその時親に言われた言葉が強く心に残りました。
当時は自分を撮って貰うのは好きでも嫌いでもなく、
ましていちいち撮って貰うために
人に頼むのは億劫に感じていたため、
自分が写っていたのは全体の1割もありませんでした。
しかも、風景なども思い付くままに撮ったものの、
アングルや撮り方も何となく適当だった上、
同じような写真ばかり撮っていたため変わり映えがせず、
写真としての面白味に欠けていました。

それに、有名な観光名所の写真や、
風景の綺麗な写真を撮ったとしても、
自分が写っていないそんな紋切り型の写真では、
「絵葉書で買うのと大して変わらない」
と言われても無理はありませんでした。

また、持って行ったフィルム10本のうち、
4本くらいしか使わなかったのですが、
「全部使い切ってくれば良かったのに」と言われました。
現地ではあまり気にしなかったのですが、
帰ってきて見ると、確かに絶対的に枚数が少ない上、
写してきた物もあまり大したものでないとあって、
「たったこれだけ?」という
物足りなさばかりが残ったのでした。

折角貴重で良い時間を過ごさせて貰って、
なかなか何度も行けない所に行ってきたのに、
自分が確かにそこで過ごしていた足跡、証拠が頼りなくて、
何だか空しい気持ちになりました。

写真の構図や芸術性について拘り始めたのは、
デジカメを手にしてその場で撮った写真を
確認できるようになった大学生以降ですが、
少なくともこの時の経験が確実に強い影響を残し、
中学生以降、積極的に自分も被写体になったり、
写真を撮るようになった契機になったのでした。
周りが呆れるまでの拘り様の背景には、
実はこんな流れがあったのでした。


そんな訳で、今回旅行が決まった時、
絶対に良い写真を撮って来ようと思いました。
なかなか行けるものではないので、
どんな些細なことも忘れずに思い出すためにも、
目で見たもの、肌で感じたものを撮りまくろうと思いました。
2GBのメモリーカードでは少々不安だったので、
4GB分くらいは持って行きたいなと思ったのですが、
結局6GB分も持って行くことになりました。

これで絶対にメモリーが足りなくなることはないと思って
安心して出発したのですが、
国内と違ってどんな些細な物だろうと、
ただの看板やポスターだろうと、
ありふれた日常風景や人の行き交う風景だろうと、
そのどれもが日本では経験できない貴重なものであり、
ましてや、街並みがとても綺麗で何でも絵になるので、
感性センサーが敏感に反応せずには居られず、
何でもかんでも撮りまくってきたため、
500Mモードで2221枚(5.63GB分)も撮ってきてしまい、
6GB分も持って行ったのに、
結局残り僅か25枚しか撮れないという状況でした。
成田に帰国後にもし時間があれば、
全部撮り切っていた勢いです。
尤(もっと)も、うまく撮れなかったものや、
念のため何枚も撮ったものも含めてなので、
実際にはこのうち4分の3は無駄撮りだと思いますが。

ということで、未だに写真の整理が付いていません。
出来れば写真を全部整理し終えてから
旅行記を書こうと思ったのですが、
これを待っていると
かなり先延ばしになってしまいそうなので、
なし崩し的に書いていくしかないかなと考えています。

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コメント

ああ、思い出した。
大学の卒業旅行で行ったグアム。
最終日に、メモリーカードを交換してカメラケースに入れたら、そのカメラケースごとどこかになくしてしまった苦い思い出があります。
ああ、あの時のメモリーカードよ・・・

投稿: 酔倒 | 2008年1月10日 (木) 05時20分

美しい景色を、それ以上に表現するのがカメラマンです。
きっと男爵くんは素敵な写真を撮っています。
期待していますよ。

風景の中に人物がというのは、やはり自分がそこにいた証。
思い出の為には必要ですよね。

投稿: 笑 | 2008年1月10日 (木) 09時27分

>酔倒さん
良いなぁ、行ったんですか。僕はあの頃、先生の言うことを真に受けたってのもあって、行けなかったんです。

それにしても悲劇ですね。忘れた頃に出てきたらラッキーですが、確率的には…。
僕も、これだけ枚数を撮っていたので、間違って上書きしたり、消去してパーになったら大変だと思って、かなりメモリーカードには気を遣っていました。取り込み終える最後まで気を抜けませんでした(未だに怖いのでメモリーの中に消さずに入れっぱなしです)。

>笑さん
言葉では表せませんが、自分の中に一応感覚的なテーマみたいなのがあって、それに基づいて構図とか「うまく撮れた」かというようなことを決めています。
普段はここまでは拘らないのですが、スケールも大きく、芸術的な風景ばかりだったので、かなり気合いが入りました。

全部ではないですが、ある程度は自分入りの写真も欲しかったので、風景のみと2パターンを残そうと思いました。

投稿: メークイン男爵 | 2008年1月10日 (木) 19時01分

男爵くんに撮っていただいた写真、年賀状に使ったら、「いい写真ね」と大評判でした。
ありがとうございました。

投稿: 笑 | 2008年1月17日 (木) 16時48分

喜んで頂けて良かったです。
感性だけで撮っているので、あくまで素人レベルですが、良い写真が撮れるよう今後も頑張っていきます。

投稿: メークイン男爵 | 2008年1月17日 (木) 19時47分

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