カテゴリー「随想」の13件の記事

2009年4月 3日 (金)

変わり続けるライフスタイル

ワールド・ベースボール・クラシックや高校野球は
また違った感動と興奮があるのですが、
プロ野球に関しては最近は本当に以前程は
新聞やテレビに齧り付いて結果を気にしなくなりました。
中学~大学時代は特にペナントレースや個人成績、
球界の動向などが気になって常に頭に入ってきたくらい
熱心に情報を逐一チェックしていたものですが、
一番顕著なのはオープン戦の結果を
ほとんど気にしなくなってしまったことです。
各球団の新加入選手や移籍選手もほとんど分かりませんし、
背番号やユニホームデザインの変更なども
ほとんど情報が頭に入っていません。

ですから、今日セ・パ両リーグが同時に開幕しましたが、
広島カープのユニホームが変わったのを知らなかったので、
「うわ、楽天(えんじ色)並みに濃くなったな」と思いました。
カープはどちらかというと智辯和歌山高校のように
鮮やかな赤色と白の2色というイメージが強かったので、
「今年のビジター用は今まで見たことのない色使いだな」
と思いました。
ヤクルトや西武も結構変わっちゃってましたねぇ。

野球を観るのは今でも好きですが、
以前から比べるとだいぶライフスタイルが
変わってしまったなぁと思います。
テレビ中継が激減してしまったのも大きいですね。
まぁ、ライフスタイルが変わったと思うのは
野球だけじゃないんですけどね。

もしかすると、将来何かのきっかけで
自分の昔のライフスタイルを思い出した時に、
その時分のそれと比べて、
「ああ、そう言えばあの頃は一生懸命ブログ書いてたなぁ。」
なんてその変わり様を思うこともあるかもしれないですね。

それくらい、あの頃は当たり前に力を入れていたことが、
今ではそれ程じゃないものだらけですからね。
そう考えると、今後どうなるかは見当も付きませんね。

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2009年4月 1日 (水)

社会人5年目スタート

3月中はずっと気が休まらなかったので、
取り敢えず年度が切り替われば
少し落ち着けるんだろうなと思って、
4月になるのを待ち望んでいたものですが、
いざ3月が終わってしまうと、
転職3年目の新年度がスタートしてしまったいうことで、
いよいよ以てプレッシャーが掛かり始めました。

で、まぁ4月になってすぐの所で
時間が止まっていてくれるならまだ良いのですが、
こうしている間にも刻々と時間は進んでいる訳で、
それでも、桜が満開にならないうちは
まだ気持ちの面では救われている所もありますが、
本格的な春の訪れが来てしまうと、
「まだ新年度は始まったばかりだから大丈夫」
という言い訳も出来なくなってしまうので、
最後の隠れ蓑を失うようで怖いものがあります。

特に昨年は色んな新しいことに挑戦してみたことで、
もっと色んな趣味の世界を楽しんでみたいという、
言ってみれば遊び足りない自分に気付いてしまったのですが、
今年はそろそろ仕事の方も真剣にやっていかないと
いつまで経っても親の手伝いの範疇から抜け出せず、
仕事に対する不安や自信のなさからも
解放されないままなんだろうなという気がして、
現実の厳しさから逃げ続けている自分から
卒業する年にしようと位置付けていたので、
自分の中では4月に入って日が経てば経つだけ
ぬるま湯から出るような苦痛を伴うような
けじめをつけなければならないことを意味していました。

もう一年くらい自由に遊びたい気もするのですが、
お金もなくなってしまったことですし、
周りはみんな結婚したりして取り残されていく気がしますし、
この目の前の現実から逃げ続けても結局は
いつまでも不安に苛(さいな)まれることになるだけですから、
いつかは向き合わなければならないのです。
それが早いか遅いかの違いだけですし、
多分何かと早い方が後々良いのだろうと思うのです。

そう考えると、今更ながら3月が恋しくも思うのです。

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2007年11月 7日 (水)

高速道路整備事業に思うこと

北関東自動車道(愛称:北関(きたかん))の
笠間西IC-友部IC間開通が
あと1週間後に迫りました。
これにより、国道50号にほぼ直結するので、
渋滞スポットである水戸市内や笠間市内も、
北関を使えばあっという間に抜けることが可能になります。

更に、笠間西IC-桜川筑西IC-真岡IC間が開通すれば、
県内区域は全区間開通することになるので、
そうなる日もそう遠い話ではなくなってきました。
栃木や群馬との交流が容易になることで、
観光は勿論、商業的にもその効果は測り知れません。

そんな北関の全線開通(ひたちなか~伊勢崎)は、
今私が楽しみにしていることの一つです。
例えば、今紅葉シーズンですが、
那須方面へも行き易くなりますし、
温泉やスキーなどにしても、
栃木や群馬、北陸等へ行き易くなるのは魅力的です。
逆に、海水浴等で茨城の方へお越しになる方にとっても、
便利になることと思います。

このように、今まで所要時間が掛かって
なかなか行き辛かった地域へ行き易くなるので、
時間的な距離が縮まるということは、
お互いに交流が盛んになって良いことだと思います。

しかし同時に、遠方への行き来がし易くなる反面、
地元が疎かになるという危険性も孕んでいます。
つまり、高速道路の利用促進により、
地方の幹線道路等の交通量が緩和され、
渋滞が解消されるのは良いことですが、
それまで良くも悪くも賑わっていた
幹線道路沿いの地域から、
活気が失われてしまう恐れがあるということです。

私がこれまで県内の道路を走る中で見た感想から言うと、
元々国道だったり主要道路だった所が、
道幅が狭かったり渋滞が起き易いということで、
新たにバイパスが造られるようになると、
道幅が広く舗装も綺麗で走り易いバイパスへ
利用者が流れるため、
普通、旧道に比べて開発の余地が多い新道沿いには、
大きく新しい店舗が建ち並んだりして、
見た目にも華やかで便利になる一方、
旧道はごく地元の人が利用するか、
抜け道程度に使われる程度で、
長距離ドライバーや買い物客などが
通らなくなりがちなので、
やがて廃れていく運命に追い込まれている所が
少なくないような気がしてなりません。
勿論、あくまで個人的な感想ですが。
かつて重宝されたというドライブインが、
あちこちで閉店している様には時代の流れを感じます。

まして、目的地まで一気に行ける高速道路が出来ると、
多くの長距離ドライバーは
わざわざ時間の掛かる一般道を通らなくなるので、
途中の地域は素通りされてしまうことになります。
インターチェンジが近くにない地域なら尚更でしょう。
更にその地域の住民が、
どんどん便利な地域へと流出する傾向が続けば、
過疎化という問題にも繋がってしまいます。

確かに、他県からのアクセスが悪ければ、
それだけ他から取り残されがちになります。
アクセス網の整備の遅れは致命傷ともなりかねないので、
発展のためにはこれらの整備は大事なことです。
しかし、時間的な距離が近くなることで、
便利になっていく面がある裏には、
先述のような犠牲が出てしまう可能性があることも
同時に考えなくてはいけないという、
手放しに喜んでばかりはいられない
難しい問題なんだろうなと考えさせられます。

こういうのは色んな問題が絡んでくるので、
一口に何が良いとか悪いというような結論が
簡単に出せない複雑さがありますね。

☆★ヘルシオーレ!メモ★☆
・睡眠時間:4h ・脈拍:60回/分 ・体温:35.3℃ ・体重:63.3kg

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2007年8月19日 (日)

「暇」じゃないよ

私の勝手な偏見だと思うのですが、
「暇」という言葉の意味を、
「特にやることもなく、ボーッとしている様」というような、
どちらかと言うと悪い意味として捉えてしまうためか、
あまり自分の状態を「暇である」という言い方で
表現するのを好まない傾向があります。
「あの日は特に用事はなかった」とか
「仕事はなかったから家でゆっくりしていた」
というような言い方はしますが、
「昨日は暇だったからごろごろしていたよ」とか
「週末暇だから遊ばない?」などという言い方は
まずしないと思います。

単に、「忙しい振りをしていたい」という
プライドが見え隠れしているだけかもしれませんし、
「暇を持て余す」という過ごし方が、
信条としては常にきっちりとしていたい
自分の理想の姿と違っているために、
無意識的に避けようとしているだけなのかもしれません。

ただ、自分ではあまり意識していませんでしたが、
友人などから「多趣味だよね」と言われることがあり、
そう言われてみると確かにそうかもしれず、
時間があれば常に何かやってみたいとか、
どこか出掛けてみたいなどと考えているので、
「暇だと感じるような時間を過ごすのは勿体ない」
と無意識のうちに考えるような
性格の表れなのかもしれないとも思います。

それに実際の所、
何もやることがなくて暇だという時は全くなく、
これは趣味の域にも入ってくるのかもしれませんが、
例えば部屋の掃除や写真の整理や身辺の整頓など、
普段手を付けないだけでそのうちやろうと
思っていることがかなり存在します。
いつも「やることメモ」をリストアップしていますが、
全部リストをこなせたことはありません。
やることを見付けようと思えば、
いくらでも出てくるというのが実態なのです。

でも所詮ちょっとやそっと手を付けても
終わるようなものではないので、
手付かずのまま先送りし続けていますし、
「時間がある時にまとめてやろう」なんて思っても、
実際休日になってみると無駄に一日ごろごろしてしまって
結局何もせずに終わるということがしょっちゅうです。

勿論、自分としてはまず身の回りはきちんとしたい
と常日頃思っているのでそれが片付くまでは、
いつもそういったことが頭のどこかに引っ掛かっていて、
真の意味で気持ちが晴れやかになることはないのですが、
特に期限が決まった用事という訳でもないので、
いつも忙しそうにしている割には、
そういう心のモヤモヤを無視すれば
案外融通が利く場合がほとんどなのです。

このように「今暇?」と聞かれると
ちょっと抵抗のある私ではありますが、
普通は「特に用事がない」という意味だと思うので、
あまり変な取り方をしたり過剰に反応したりしないよう、
これからも気を付けていきたいなと思います。

しかし一体いつから「暇」って言葉を
使いたがらなくなったんでしょうね、
昔は普通に使っていたんですがね。
そう言えば、本題からは多少逸れますが、
飲食店で注文してから料理がなかなか来ない時や
病院の順番待ちなどで名前が呼ばれるまで
何もやることがなくてじっとしている時には、
「あー暇だ、この時間が勿体ない。
時間を潰すのに何か本でも持ってくれば良かった」
と思うことはありますね。
不可抗力で暇になってしまった時は
普通に暇だと感じるようです。
そういう時くらいのものですが。

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2007年7月30日 (月)

母校への誇りに我思う

今年母校の高校が創立80周年を迎えますが、
その記念式典の案内と共に、
その記念事業として校舎を大改築するための
募金の依頼文書が送られてきました。

我が母校は県下初の私立中学校(学制改革前)
として創立された長い歴史のある私立校ですが、
建学の精神に基づいた校風のためか、
一言で言うと質素倹約や質実剛健と言った感じで、
私立なのにあまりお金を掛けないため、
全然飾り気もなければ、
部活動や学業等への優遇措置も一切ありません。
兎に角真面目で質素というか地味であり、
広報活動(宣伝)も必要最低限しかやっておらず、
ちょっと古風で風変わりでもあるかもしれません。

母校の中学校は新しい建物だっただけに、
入学当初はそのボロさに面食らっていたものです。
辛うじて自習室と職員室などには
冷暖房が完備されていたものの、
ほとんどの教室は冷房も暖房もありませんでした。
私立どころか建て替えが進められ始めた県立でさえ、
冷暖房完備が当たり前になってきていた時代に、
潔いまでのボロさは弁解のしようがありませんでした。

窓の桟のパッキンは既にボロボロで、
たまに窓を開け閉めする度にガラスがガタガタする程
ほとんどなくなっていた所もあったくらいなので、
台風などで横殴りの暴雨風が窓ガラスを叩き付けると、
下のレールの隙間から雨水が噴き上げるように
入ってきて床が濡れたりしていました。

夏の暑さの中、窓を開けても風が入ってこない時は、
汗だくで授業を受けていたものです。
廊下の床なども所々剥がれたりしていました。
女子トイレは改装されて綺麗だったようですが、
男子トイレは如何にも「便所」という感じで、
洗面台に鏡がない所もある程でした。

ペンキを塗り直したりしてちょこちょこと
リフォームなどはしていたようですが、
如何せん下地自体がかなり歴史を感じさせていたため、
古さは隠し切れていないのでした。

でもそんな学校生活を送っていたからこそ、
贅沢に慣れることもなく、
快適じゃなくてもちょっとのことは我慢できるような
今の自分があるのかなという気がします。
(遂に何年か前に冷房か何かは
入れたという噂は聞きましたが)。

そんな地味目な母校(の同窓会)が今回、
その名も「世紀の大改築~耐震改築・補強と近代化」
という思い切った計画を打ち出し、
パンフレットに載っていたその完成イメージ図を見て、
「こんなの母校(のイメージ)じゃない!!」
と思ったくらいびっくりしました。

斬新、洗練、華々しさなどという言葉とは無縁の学校が、
かなり洗練されたデザインに
ガラスの反射が眩しいそうな佇まいで、
今風の建物に生まれ変わろうとしていました。

校舎の老朽化も相当進んでいると思われますし、
学校見学や受験に来る受験生達にしてみれば、
冷暖房の完備された綺麗な校舎の高校と比べたら、
古臭さ漂う見劣りする学校より
魅力的に映ることもあると思うので、
改築は時代の流れを考えると
必要に迫られていることかもしれません。

新しくなる校舎で快適に過ごせる未来の後輩達が
羨ましくもあり、ある種の嫉妬すら感じてしまいます。
「自分達はああいう環境で頑張ったのに、
今の生徒達はそういうのを知らないで過ごすんだな」
と変に先輩面しそうな気もします。

でもそれを言ったら、私たちの更に先輩方は、
もっと設備の整っていなかった環境の中で
過ごされていた訳ですから、先輩方から見れば
「それでも君たちはずっと恵まれているよ」
と言われてしまうでしょう。
それが歴史というものですからね。

昔より便利になるのは当たり前。
昔より快適になるのは当たり前。
大切なことは、いつの時代も変わらない
母校として誇りを持てる学校で在り続けるということ、
そして母校に誇りを持つ生徒や同窓生達が
今後も輩出され続けていくということです。

その時代に生きる生徒達は、
その時代の環境の中で生きるだけに過ぎない訳で、
それについて小言を言っても始まりません。
母校がいつまでも活躍、発展していくことこそ、
OBとして最大の喜びでもあります。
ぶれない強い信念を持った母校で
高校時代を過ごせたことは自分の誇りです。

過去を振り返ればやり直したいことは沢山あります。
後悔したことも数えきれません。
しかし、高校に限らず、
入学先を選んだのは本当に運命でしかありませんが、
良い校風を持った母校を常に運命的に選び、
過ごせたことは一番のラッキーだったのかもしれません。

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2007年3月10日 (土)

「水戸の日」はいつにするべき?

今日は3月10日。
つくばでの「298」と同様、
この辺で「310」と言えば
「水戸」という語呂が比較的メジャーです。
何しろ、郵便番号が7桁になる前は、
全地域ではなかったものの、
「〒310」地域が市内の大部分を占めていたため、
語呂からこの番号割り当てが採用されたという、
本当のような嘘のような噂も絶えなかったという
話を聞いたような聞かなかったような感じなのです。
(個人的には、単なる偶然だと信じていますが…)。

まぁそんなこともあって、
水戸の商工会議所などでは結構前から、
「水戸の日を制定しよう」とか、
「3月10日を水戸の日に制定しよう」、
などという意見が出ているというような話を、
前に新聞か何かで見たような気がしますが、
今の所、正式な制定には至っていないものの、
何年か前から、3月10日に「水戸の日イベント」
を開催するようになりました。

僕はどちらかというと保守的な性格なので、
「語呂で分かり易い日に制定することで、
広く認知して貰い、地域の活性化に繋げよう」
というこの新しい動きを興す推進派に、
「ちょっと待った」を掛けている慎重派の意見に近く、
「確かに語呂で覚え易いのは結構なことだけど、
そういう記念日のようなものは、
市制施行した日とか最初に名前が誕生した日とか、
もっと由緒正しい日を記念して制定すべきであって、
まして市制施行から118年を迎える
歴史ある街なんだから、語呂合わせで
簡単に決めて良いものではない」
という、極めて堅苦しい意見の持ち主なのです。


―でもね、芋次郎さん、
あなたのご意見はよく分かったけれど、
水戸を盛り上げようと東奔西走している方々が
大勢いらっしゃるのよ?
その方達がどれだけ努力なさっているか知っているの?
熱弁を振るうのも大事だけれど、
まずはあなたも行動してからおっしゃってみたら?
何もね、ただ黙ってろってことじゃないの。
自分の意見を言うことは大事なことよ。
でもね、ただ意見を言っているだけでは駄目。
行動を起こさなきゃ。
そうしてお互いに意見を出し合ったり、
具体的に行動するようになれば、
この街はもっともっと輝きある素敵な街になるわ!


…え~っと、何を書こうとしていたのか忘れました。

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2006年12月18日 (月)

大人としての姿勢

「親の言うことと先生の言うことは正しい」
と信じてずっと成長してきた私は、
それが必ずしも「絶対に正しい」とまではいかないにしても、
素直に真面目に受け止めてきた節があります。

そういう目で先生のことを見ているので、
何気なく先生が言った言葉も、
そのまま信じて自分の一部にしてきました。
意外にそういった言葉は印象に深く残っていて、
時々何かの弾みで脳裏に浮かんでくることがあります。

例えば、音楽で合唱の練習をしていた時に、
「最初に『サ行』が来る時は、
『s』の音が聞き取りにくいので、
聴いている人にきちんと音が伝わるよう、
『さ・し・す・せ・そ』はしっかり発音しましょう」
と言われ、未だに歌う時は時々その言葉を思い出して、
気にして歌ったりしています。

同じく音楽の時間に、
「最後に『う』の音が来た時は、
表記は『う』でも『お』と発音します」と言われ、
「変なの」とその時は思いましたが、
なるほど言われてみるとそういうものかもしれないと思って、
今でもたまにプロ歌手がどう歌っているか
聞き入ってしまうことがあります。

「傘を持って歩く時は、
車道側に持つと車が横を通った時に、
傘が巻き込まれて大怪我をしたりすることもあるので、
歩道側の手で持つようにしましょう」
などというさりげない教えなども、
未だに雨上がりに傘を持って歩いていると思い出します。

「保健室だより」に載っていた、
「夏になると暑いからと言って、
下着を着ないで服を着る人が居ますが、
下着を着ることで汗を吸収して逃がし、
服の中の温度を快適に保つのです」
などという文章も未だに頭にあり、
夏に私がポロシャツやTシャツ1枚で居るというのを、
どうにも気持ち悪く感じてしまうのはこの影響です。

授業や教訓以外の言動や助言などについても、
生徒の私は具(つぶさ)に観察し、吸収してきました。
今思えば、恐ろしいくらいに、
素直にいろんなことを信じていました。

ですから、先生としては、
軽はずみな言葉や上辺だけの言葉、
あるいは冗談のつもりだったりしても、
生徒達は真正直に受け取ってしまう可能性が高いです。
たまに「教師にあるまじき行為」として、
新聞やニュースで取り沙汰される事件が起こりますが、
頭の柔らかい若年のうちは特に影響を受け易いので、
先生として少年少女に与える自分の影響力というものを、
今一度理解して教育現場に携わって頂きたいな、
と思わずにはいられません。

ある程度大人になってきて、
自分で物事の善し悪しを取捨選択したり、
趣味・嗜好がはっきりしてくれば話は別ですが、
高校生くらいまではいくらでも環境に左右されてしまうので、
この時期の環境には特に気を遣って欲しいものです。

これは何も教師だけでなく、
一番はやはり親に言えるかなと思います。
親が自分の都合で横断歩道のない所を渡れば、
子供もそれを見て育ちます。
何気なく道端にごみを捨てれば、
それを変だと疑わない子供もそうするようになってしまいます。
大人の自覚を持って生きることは決して楽ではありませんが、
それが大人として、親としてのあるべき姿でしょう。

痛ましく嘆かわしい事件や、
理解できないような出来事が起こる昨今ですが、
大人の立場になった今だからこそ、
そういったことをもう一度よく考えて、
肝に銘じる必要があるなと思います。

未来ある子供の人生を
徒(いたずら)に弄(もてあそ)んではいけないと―。

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2006年10月 1日 (日)

人生は経験の集大成

僕は本当に友達や人間関係に恵まれて
今までやって来られたなと感謝しています。
小学校、中学校、高校、大学時代や職場やその他諸々、
いろんな友達や先生や仲間に囲まれ、
その全てが自分の人生の糧になっていることを
日々感じながら生きています。

人生色々と言いますが、
僕は挫折の連続の人生で、
何度「あの頃に戻れたら」という思いを抱き、
後悔してきたか分かりませんが、
それもまた人生というもので、
やり直せたら誰も苦労はしませんが、
そういう過去があったからこそそれが未来に生きて、
自分の血や肉となっていく訳で、
それはそれでその人の人生というものなのですよね。

今の時点では後悔していても、
更に今から何年後、何十年後に振り返ってみたら、
良い経験だったと思えているかもしれませんし、
生きていれば辛いこともあるけれど、
生きていて良かったと思えることもありますし、
生きているからこそ感じられるんだなと思うこともあります。

「失敗は成功の元」という諺もありますが、
「人生経験で無駄なものは一つもない」というのは、
歳を重ねていく毎にその言葉の本当の意味が
分かってくるような気がします。

そんな自分の人生に大なり小なり影響を与えてくれる
周りの全ての人に感謝しながら生きています。
僕にとってはかけがえのない財産だと思っています。


話は少し変わりますが、この週末、
大学の研究室時代の友達と集まって、
楽しい一時を過ごしました。
その後、その頃のいろんな写真や動画を見たりして、
鮮明に目の前に画像や映像となって現れることで、
何かその時代をイメージの中で一括りにしていたことが、
しっかりとした「生きた」時間となって蘇りました。
例えるなら、思い出が標本化された蝶たちならば、
確かな人生経験は空をひらひら飛ぶ蝶と言った具合でしょうか。

僕が生きた時代は、
映画の原画のように一コマ一コマの集まりではなく、
確かにしっかり流れていた過去の時間なのです。

写真や映像を見て懐かしさに浸りながら、
しみじみそんなことを想い、感慨に耽っていました。

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2006年6月 7日 (水)

ネット社会の中で

いつからだろう。
インターネットを毎日利用するようになったのは。
少なくとも、大学2年まではネットが繋がっていなかったので、
利用すると言っても本当にたまにだった。

ネットを繋いでからは、
ちょくちょく見るようにはなったけれども、
掲示板の類はほとんど知らなかったし行かなかったので、
せいぜい有名メーカーのHPを見たりする程度だった。
授業の調べ物や卒論などの資料集めに使ったりはしたが、
それに比重を置いていたという程でもなかった。

今のような「行き付け」のサイトと出逢ってからは、
ほぼ毎日欠かさずチェックしなければ、
流れに乗り遅れてしまうのでネットを開くようになった。
更に有名人のブログやここ最近のmixi仲間の急増により、
チェック項目は増加の一途を辿っている。
全部目を通すのがやっとである。
自分がこんな状態だから、
このブログ以外に手を付ける余裕などない。
毎日ネットを開くだけでも手一杯といったところだ。

こんな最近の生活の激変にも、
そこそこ体はついて行っている。
こういう繋がりも大事だなと思う。
でも、同時に昔のような生活には戻れないことも
薄々気付いている。
こんな便利な世の中だから、
手紙なんて書く人が減ってしまうのは
必然的なことだろうと思う。
どこにいても互いが瞬時に繋がる。
凄く画期的な世の中になったと思う。

でも、そういう世の中になっても、
失ってはいけないものはあるだろうなと思う。
忘れずに持っておきたい心があると思う。
自分を見失わないための信念を持っておきたいと思う。

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2006年5月26日 (金)

葉書40円、封筒62円

昨日風呂入る前に何気なく思い出したんですが、
以前は切手ってもっと安かったんですよね。

今でこそ葉書1通50円、封筒1通80円(最低)というのが
当たり前のこととしてすっかり慣れてしまいましたが、
私が小学生の頃は葉書は40円、封筒は62円でしたね、確か。
その後葉書は僅かな期間だけ41円に値上がりした気がしますが、
当時はそういう半端な値段の切手も
普通に売っていたんですから、
お釣りを出す方もさぞかし面倒だったでしょうね。

最初は思い切った値上げに反発していたであろう国民にも、
いつの間にかこの値段がすっかり浸透したんだなと
しみじみ感じました。
きっと90年代以降に生まれた人にとっては昔話だろうな。

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