カテゴリー「学問・資格」の10件の記事

2010年8月 8日 (日)

運命の試験日(※写真未挿入)

今日は池袋にて、とある試験を受けてきました。
今の仕事に転職して4年目を迎えていますが、
仕事に関連しそうな資格等は未だに何も持っていません。

ただでさえ畑違いな上に苦手な分野とあって、
仕事の手順など上辺の部分では
それなりに動けるようにはなったものの、
未だに仕組みや理屈をほとんど理解出来ていないので、
素人に毛が生えた程度の知識だけで
辛うじて食らい付いているような感覚が拭えません。

今回受けた技術証明講習終了試験は「2級」で、
他の業界でも言えるように「1級」保持者でなければ
その筋では認めて貰えないという程度のものですが、
それでも、一応仕事に何かしら関連のある資格等を
一つでも持っていればまだ気持ちも救われるというもので、
まずはこの2級取得は最低限クリアせねばならない
最初の課題とも言うべきものでした。


講習・試験は4科目から成っており、
どの科目も私にとっては理解しがたい内容ばかりですが、
一度に全科目が合格点に達しなかったとしても、
達した科目ごとに翌年及び翌々年の試験が免除される
「科目合格」という形が認められるので、
2年前に同講習及び試験を受講・受験した際に、
奇跡的に3科目の「科目合格」を一度に果たせたことは、
2年以内に残る1科目が合格すれば
めでたく2級保持者になれるということなので、
極めて有利な条件を整えることが出来たのでした。

確かに、いくら私にとって理解しがたい内容であっても、
1科目だけに集中対策を講じれば良くなったのは
圧倒的に有利な立場になったことを意味していましたが、
1年前、自分のつまらぬミスで状況は一変しました。
昨年の試験も無論受けるつもりだったのですが、
うっかり申込み期限を過ぎてしまい受験しそびれたのです。

まだ今年も昨年とほぼ同じ条件が継続されるとは言え、
仮に今年残る1科目に合格出来なければ
先に合格していた3科目も含め、
来年以降には再び一からのやり直しとなってしまうので、
崖っぷちに自ら追い込む状況を作り出してしまったことは、
悔やんでも悔やみきれるものではありませんでした。

受験機会を1回分、自らの手でフイにし、
後がなくなった精神的ダメージは
この1年間、ずっと私の頭をもたげていました。
間違っても昨年と同じ過ちを繰り返す訳にはいかないので、
今年は試験情報を早い時期から逐一チェックしたりして、
過剰なまでに試験のことばかり気にしていました。

無事申込みを済ませた後も、
きちんと講習を受けられるかが心配で気が抜けず、
先月、無事に講習を全て受講した後も、
泣いても笑っても全てが決まる今日の試験のことが
ずっと頭から離れず他のことが手に付きませんでした。

それでいて、こんな窮地に追い込まれていながら、
試験対策をほとんどせぬまま毎日を過ごしてしまった
自分の甘さが許せないのですがどうも治らないのです。
もし今年受からなかったら大変なことになるというのに。
試験対策嫌いが顕著になった中学時代からの悪い癖は
こんな大事な時でも治ることはありませんでした。
逃げてばかりで自分を追い込めない甘さが情けないです。


そんな状況ですから、
一昨日(金曜)の千波湖の花火大会で幕を開けた、
今年で記念すべき50回目となる「水戸黄門まつり」も、
花火大会だけは何とか開き直って行きましたが、
地元民ながら今までしっかりと見たことが一度もない
「水戸黄門パレード」を見物に行く余裕など皆無で、
それでいてようやく勉強を始めたのは夕方になってからで、
大した対策らしい対策もせぬまま本番を迎えました。

土壇場も土壇場になって
ようやく最後の抵抗(試験対策)を試みましたが、
いつもこういうぎりぎりな試験対策ばかりしながら
辛うじて誤魔化してきた人生をしみじみ感じました。
限られた時間の中でやれることは限られていたので、
何を優先して行うべきか冷静に考えながら
頭に詰め込みました。
覚える時間が足りなすぎることを悲観して
自棄(やけ)を起こすことだけはしないよう気を付けました。

先月の講義を真面目に受講していた中で、
一昨年は全くの馬耳東風状態であった内容が、
何となく理解するコツを掴んだ気がしたこともあって、
一昨年よりは視界が開けた状態でテキストを読んだので、
その甲斐あってか、何となく手応えがありました。

実際、自己採点してみると
8割前後の正解率だったので、
設問数からすると配点が均等でない可能性が高いですが、
合格基準は何とかクリア出来そうな気がします。
まだ結果が出た訳ではありませんが、
取り敢えず緊張が解かれたこととこの手応えに
少しだけ今ホッとしています。
また神様に助けて貰ってしまったなぁ。

夕方水戸に戻ってきてからは黄門まつりも楽しめました。
ちょっとだけでも参加出来て良かったです。
あと、帰り際に水戸駅に向かって南町辺りを歩いていたら、
先日結婚されたという、お笑いコンビ「東京ダイナマイト」の
ハチミツ二郎さんらしき人とすれ違いました。
多分ご本人に間違いないと思います。


それと、J2では19戦連続無敗記録を更新中だった柏が、
遂に敗れて記録が途切れてしまったようですが、
とは言えなかなか破れないであろう凄い記録ですね。
あとは、横浜FCの三浦知良選手が43歳5ヶ月の
Jリーグ最年長ゴールを決めたりだとか
いろいろあったらしいですが、
水戸は今節試合がなかったので蚊帳の外でした。

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2010年2月25日 (木)

もう9年も前のことなのに

「『2月25日』って何かあったような気がするなぁ」
と何かの日だったような気がして気になったものの、
なかなか思い出せず「気のせいかな」とも思ったのですが、
何となく引っ掛かったまま過ごしていたところ、
夜ニュースを見ていたらその答えが分かりました。
国立大の前期日程の試験が行われたと知り、
9年前に私が受験した日と同じだと思い出したのです。
全然大したことではなかったのですが、
「未だに高校三年の時の大学受験の記憶が
頭の片隅に残っているなんて、
相当強い印象があったんだなぁ」としみじみ思いました。


☆★ヘルシオーレ!ダイアリー★☆
・水泳:約30分、1100m。フォームを意識したもののすぐに疲れてしまい、相変わらず思ったような泳ぎはほとんど出来ていなかったが、今は泳ぐことを楽しめればそれで良いと思う。50mずつ、クロール、背泳ぎ、平泳ぎの順で泳いだ。途中からコースを独占出来なくなったのでペースが落ちた。

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2010年1月30日 (土)

EFR受講/他人丼

今日はEFR(EMERGENCY FIRST RESPONSE)の講習を
ダイビングクラブで受けてきました。
EFRとは、心肺停止など緊急ケアを必要とする人に対して、
救急隊が駆け付けるまでの間に
出来る範囲で手助けをするためのスキルを
身に付けるプログラムであり、
ダイバーに限らず誰でも受講することが出来ます。

受講しようと思ったのはだいぶ前なのですが、
何だかんだ言いながら今になってしまいました。
こういう知識は知らないよりは知っていた方が良いでしょうし、
知っていることで、今まであまり気にしていなかったことも
意識して生活出来るようになったり、
万が一何かあった時に的確な行動が取れるなど、
自分にとってもメリットがあるだろうと思っていました。

実際受講してみて非常に為になりました。
最近は耳にする機会が多くなった
AED(自動体外式除細動器)の使い方は勿論、
レスキュー呼吸(人工呼吸)や胸部圧迫(心臓マッサージ)の
正しいやり方も教わりましたし、
もし心肺が停止したり怪我をした人などに遭遇した場合に、
どういう手順でどんな行動をしたら良いのかなどが分かり、
知らなければ慌てふためいてしまうような状況下でも、
今ならある程度冷静に対処出来るかもしれません。
今後も継続して知識を深めていく必要はありますが。

救護の仕方を学ぶなど、形は違えど似たような知識を
習う機会は他にもあると思いますが、
このような知識を持った人が緊急事態に一人でも多く
現場に居合わせているような状況が理想的だと思うので、
こうしたスキルを持った方々が世の中に増えるように、
学ぼうとする人の輪が広がっていけば良いなと思いました。


話はガラッと変わりますが、
今日は初めて他人丼を作りました。
何となく親子丼を初めて作ってみたくなったものの、
鶏肉がなかったために一度は断念し掛けましたが、
豚細切れがあったのでそれを使って作りました。
初めて作った割にはなかなか美味しかったです。
熱くて口の中を火傷しそうになりながら食べましたが。

2人前作ってしまい盛り付けがうまく出来なかったので
写真は撮りませんでしたが、
今度作る時はその辺にも気を付けてみようと思います。

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2008年8月20日 (水)

タイムオーバー地獄

後日書くと言っておきながら延び延びになってしまい、
今更という感じがしないでもないのですが、
4週間程前の頃の話を書こうかと思います。

私は、とある資格を取るため池袋に4連泊していました。
この資格は、講習を規定時間以上受講して初めて
試験の受験資格を得られるというものなのですが、
この講習ではある程度要点を絞って説明してくれるので、
逆に言うと素人の私にとっては
いきなり試験を受けても受かるようなものではなく、
自主的に対策勉強しろと言われても頭に入る筈もなく、
こういうシステムで助かったという感じすらあります。
とは言っても講習もタダじゃありません。
結構それなりの講習料・テキスト代を別途取られます。

ただでさえ内容が専門的である上に、
私にとっては畑違いも甚だしいような分野の話なので、
講義を聞いていても話が難しくて眠くなってしまいそうでした。
大学生の頃には既に一齣(コマ)の講義を終始集中して
聴き続けるというのはかなり困難になっていた私なので、
学生を卒業して数年経った今となっては尚更苦痛でした。
しかもたった4日間という短期間に
全分野(4科目)を一通り集中的に詰め込むとあって、
スケジュールもかなり無理な組み方をしています。

 1限…10:00~11:40
 2限…12:40~14:20
 3限…14:30~16:10
 4限…16:20~18:00

見ての通り、1齣は1時間40分、つまり100分授業です。
これを一日4齣行い、それが4日連続で行われました。
100分/齣×4齣×4日=1600分という計算になります。

一齣が一番長かった大学の時で1時間半の講義でしたが、
それでも1時間も経つと集中力が切れてきて、
最後まで意識が飛ばずに堪えるのでさえ難しい状況でした。
それが今回は一齣100分です。
午前中の一齣(=1限)は何とか頑張れても、
午後の2限以降の苦痛と言ったらありませんでした。
2限は昼食後で尚更眠くなりますし、
4限の頃は完全に集中力が切れてしまっています。

その上、冷房が効いているとは言えずっと座りっ放しなので、
椅子と接している大腿の裏側が蒸れてくるわ、
座りすぎて尻が痛くなってくるわで、
これらの余計な不快感とも戦わねばなりませんでした。
最初の一齣、最初の一日はまだ頑張ろうと思えましたが、
先のことを考えると気が遠くなりそうでした。

でも、逆にもうこんな辛い講義は受けたくないという思いが、
何とか一発で合格したいという気持ちにさせてくれたという
別の効果をもたらしたのも事実です。
自動車の運転免許を取得した時もそうですし、
普段安全運転を心掛けているのもそれと似ていて、
もう教習所には戻りたくないという思いが、
案外軽視出来ない発奮材料になっていると言えます。
勿論、一回の受講料がバカにならないので、
一発で合格したかったというのもあります。

そんな訳で、眠いのを必死で堪えながら、
呪文のような講義を聴いていました。
しかし、これだけでも十分試練を受けているかのようでしたが、
そんな私たちに追い打ちを掛けるようなアクシデントが
この後待ち受けていようとは…。

1日目はやや早口で兎に角喋り倒すという感じだったものの、
それなりに丁寧な講義で無難に終わったのですが、
2日目に最初のアクシデントが発生しました。
自然と専門用語を使って話してしまうのは分かるのですが、
中には私のように全くの素人同然の受講者も居る訳で、
知っていること前提での話し方では話について行くのも厳しく、
眠気を余計に助長していました。
ただ、この講師は程良く話を脱線して気を紛らわせてくれたり、
4限を少し早めに切り上げてくれたりしたので、
まださほど気にはなりませんでした。

翌3日目に再びアクシデントが発生しました。
この日の講師は「テキストの何ページを開いて下さい」
などと言わずにいきなりページを飛ばしてしまうので、
どこを読んでいるのかいまいち分かり辛く、
たまにぼそぼそと「次のページに入って…」などと
独り言のように呟くのですが、
「『次のページ』以前に今何ページ読んでいたの?」
という感じではっきりしないので
読んでいる箇所を探すだけで疲れました。

そして、1限終了時刻を5分オーバーしました。
たった5分と言っても100分の後の5分は長いのです。
逆に1分でも早く終わって欲しいくらいなのですから。
その上、続く2限の開始は時間割通りで、
貴重な昼休みが5分削られてしまったのでした。
(何しろこの昼休みには、怒濤の午後3限分を乗り切る
英気を養うための重要な時間でもあった訳ですから)。

しかもこれで終わりではなく、
2限の終了時刻の14時20分になっても、
休憩に入る気配がないばかりか、
同25分にこの講師が腕時計をちらっと見遣ったので、
「しめた、時間をオーバーしたことに気付け」と
教室内の全員の思いが一致したかのような
空気が流れた次の瞬間、
「まだ(終了まで)時間があるので次(の章)行きましょう」
と呟いた時には皆が皆苦笑していました。

皆、受講料を払って講習を受けていますし、
年齢も私より上の方が大半の大人な方達ばかりなので、
終了や開始が5分程度前後しても、
トータルで帳尻を合わせてくれれば構わない
というくらいの大きな心は持っていたと思うのですが、
流石に10分も過ぎると「まだ終わらないのかよ」という
そわそわ感を通り越して明らかに呆れ返っていました。
何しろ、100分耐え抜くだけでも苦痛極まりないのです。
それに昼食の後の2限はただでさえ眠いので、
2限の後の休憩は待ちに待った憩いのひとときなのです。
完全に皆の顔が白け切っているのが分かりました。

それでもあくまで受講者の立場なので、
講師自らの口で「休憩」を宣告してくれる時を待ち、
話が切りよくなる度にそれを期待していたのですが、
何度裏切られたか分かりませんでした。
13分が過ぎた所でまた切りが良くなったにも拘わらず、
講義を続けようとした時にとうとう堪りかねた一人が、
時間をオーバーしている旨を進言しました。
どうやら、すっかり時刻を勘違いしていたようです。
たかが13分、されど113分ノンストップはきつかったです。

しかし、圧巻は最後の4日目の2限でした。
この日の講師はそれまでの3日間と勝手が違って、
「ここは大事な所なので赤線を引いておいて下さい」
ということをしっかり言ってくれない方だったので、
皆困惑していました。
全部覚えれば良いじゃないかと言われるかも知れませんが、
テキストが分厚く、範囲がかなり広いので、
「大事な所」を把握しておくのとおかないのとでは、
効率的な試験対策に大きく響いてくるという訳です。

さて、前日の「13分オーバー事件」を経験しているので、
皆多少のアクシデントには免疫が出来た感じでしたが、
またその悪夢が繰り返されるとは思いませんでした。
またしても2限終了時の14時20分になっても
一向に授業が終わらなかったので、
「おいおい、また今日もこれかよ」という空気が一瞬流れ、
思わず皆苦笑してしまっていましたが、
最終日ということと免疫が出来ていたこともあって、
「もう勝手にやって下さい」という雰囲気になっていました。

5分が経ち、10分が経ち、3限が始まりました。
でもまだ講義は終わりません。
15分が経ちました。
それでも終わりません。
もう皆、顔がげっそりし、疲弊しきっていました。
でも誰も突っ込みませんでした。
前日の講師と全く同じ勘違いが原因で、
結局20分オーバーの14時40分まで
2時間もの間ぶっ通しで講義は続きました。

何クラスかに分けて行われていたのですが、
私たちのクラスだけ何故こうも同じ災難が
繰り返し起こったのか分かりませんが、
単なる偶然というにはあまりにも試練を与えられすぎでした。
時間割が1時間とか1時間半単位でもっと分かり易かったら
違っていたかもしれませんが。
兎に角、へろへろになりながら4日間の講習を終えました。


それから僅か8日後に試験が行われました。
詰め込みで教わったことをたった1週間で覚えるとは、
まさに一連のハードスケジュールの集大成とも言えました。
勿論その間に仕事もあったので、
4科目とも一気に合格するのはかなり厳しいなと思いました。
かと言って、あの講義をまた受けたくないというのもあり、
最後まで希望は捨てたくなかったのですが、
やはり対策時間があまりにも足らず、
手応えとしては2科目受かっていれば
良い方かなという感じでした。
また来年もこれと格闘すると思うとげんなりします。
少なくとも、タイムオーバーだけはもう勘弁して下さい。

最後に一つ、お恥ずかしい余談を。
この試験前日は赤羽に泊まったのですが、
試験に寝坊してはいけないとの思いから緊張しすぎて
結局一睡も出来ずに朝を迎えてしまったこともあり、
赤羽から板橋駅に行くのに、
JR埼京線を使って1本で行くつもりが、
何を血迷ったか無意識で京浜東北線に乗ってしまいました。
しかもそんな自分に気付いたのは
田端で山手線に乗り換える直前のことでした。
もう引き返す訳にもいかず、
池袋まで行ってから埼京線で赤羽方面へ戻る格好になり、
無駄な遠回りをしてしまいました。

何はともあれ、無事に全ての講習・試験を受けられたことが
せめてもの救いです。
不戦敗というのが一番悔やまれますからね。


☆★ヘルシオーレ!メモ★☆
・水泳:約30分、1050m。平泳ぎ、背泳ぎ、自由形の順で、50mずつ均等に泳いだ。あまりインターバルを長く取らないようにした。それ程極端に流して泳いでいた訳ではなかった割には思ったより距離が伸びなかった。

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2008年7月19日 (土)

始めも終わりも紙一重のタイミングで

先週、とある運転技能講習を受けていましたが、
昨日その合格通知が届きました。
郵送もしくは直接事務所で修了証を引き渡すとのことでした。
事務所までは車で片道30分くらい掛かるので、
郵送して貰うという手もあったのですが、
丁度仕事が空いていたこともあって、
わざわざ郵送の手続きをするくらいなら、
直接取りに行っても手間はさほど変わらないと思ったのと、
少しでも早く確実に修了証を手中に収めたくなったので、
案ずるより産むが易しということで事務所へと出向きました。

廊下の両脇に色んな事務所が入っている建物で、
廊下側に窓等がないので中の様子は窺えませんでしたが、
フロア全体がひっそりと静まり返っていました。
そしていよいよ事務所の扉の前に来た時、
私は扉の張り紙を見て我が目を疑いました。
「本日は午後から講習会のため留守にします。
ご用の方は22日(火)以降にお越し下さい。」
という旨のことが書かれていたのです。

修了証の引渡し期間は昨日から開始となっており、
土、日、祝日は休みだというので、
「金曜のうちに」と思って急いで行ったというのに、
「それなら引渡し開始日を『来週から』とかに
してくれれば良いのに」と思いました。
私としても予め電話で確認するなどしておけば
良かったのかもしれませんが、
開いているものだと信じて疑わなかったので、
こんな展開が待っていようとは全くの想定外でした。

他にこの近くで寄り道しようと思っていた店があるとか、
何か用事でもあったりしたのなら兎も角、
純粋にこの修了証引き取り以外は何の目的もなかったので、
これはもう無駄足以外の何物でもありませんでした。
「しょうがない、また日を改めて来るしかないか」
と一旦はすぐに諦めて気持ちを切り替えようとしたのですが、
「折角これだけの為に来たのに手ぶらで帰るなんて…」
という遣る瀬ない気持ちを抑えることがどうしても出来ず、
意味もなく廊下をうろうろしたりぶつぶつ呟いたりして、
すぐにその場を立ち去る気になれませんでした。

恨めしい気持ちで再び事務所の扉の前に行きましたが、
やはり中から人の気配は感じられませんでした。
「うぅ、仕方ないが諦めるしかないか」
と溜め息を一つ吐いて歩き出し、帰り掛けたのですが、
どうしてもまだ未練が拭い切れなかった私は、
「折角来たんだから駄目元でせめて確認だけしてみよう」
と思って鉄製の扉を念のためノックしてみました。
すると返事がある筈はないと全く期待していなかったのに、
「はぁーい」と中から声がしたではありませんか!

予想外の展開に「ええーっ!!?」と思いながらも
「すいませ~ん」と呼び掛けると、
また中から返事が聞こえたので、
空耳ではないことがはっきり確認出来ました。
何でも、丁度ちょっと前に戻ってきたばかりだったようで、
しかし、再び出掛けようと思っていた所だったらしく、
「タイミングが良かった」と言われました。
そういう問題ではないような気はしますが、
運が良かったのは間違いなさそうでした。

大体こういうのは事業所単位で申し込んだりして、
普通は郵送で送って貰うことがほとんどなのでしょう。
故に先方としても直接引き取りに来ることを
あまり想定していなかった可能性もありますが、
それにしても、今回は私の諦めの悪さと、
ただでは帰れないという「駄目元ノック」が、
紙一重の所で奇跡を起こさせた感じでした。
「確認って大事だな」と思いました。

実はこの講習を申込んだ時も、
私が電話で問い合わせるちょっと前に
一人キャンセルしたらしく、
運良く定員まで残り1人分の空きが出来、
ぎりぎりでタイミング良く滑り込んだという状況でした。
最初から最後まで紙一重の所で運が良かったようです。
無事に修了証と対面出来て良かったです。


今日、全国的に梅雨明けしたそうですね。


☆★ヘルシオーレ!メモ★☆
・水泳:約40分、1650m。3泳法を50m単位で順番に泳いだ。調子は良くも悪くもなかった。来週はあまり泳げないので今日は多少多めに泳ごうと思ったが時間切れとなった。

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2008年5月 2日 (金)

最後の先生へ最後のお別れ

今日は、大学の研究室でご鞭撻下さった教授の
お通夜に参列してきました。

私は4年の時、卒論研究に追われ、
精神的に追い詰められていたこともあり、
正直な所逃げ出したい気持ちで一杯だったのですが、
そんな私に対し厳しいこともいろいろ言われましたが、
実は気に掛けて下さっていて、
私の方が誤解していた所もありました。
特に卒論の最終発表から提出する頃にかけて、
最後の最後で心のわだかまりが薄れていきました。
苦しくも自分を成長させてくれた
忘れがたい時間だったと今では思います。

周りの支えもあって何とか逃げ出さずに無事卒業出来、
社会人になってみてから思うのは、
直接大学で習ったことが仕事に結び付いていなくても、
データ分析する時の基本や注意点、考察するポイントや、
論文を書く時の言い回しや注意点などが、
何らかの形で役に立っていると感じることが
度々あるということです。
また、ちょこっとした一言が、
生きていく上で参考にすべき、ものの考え方など、
重みのある助言のように感じることもありました。

卒業してからは何度かお会いした程度でしたが、
体調が悪化し、療養生活が長引いているのを
聞いていたので、
前から一度お見舞いに行きたいと思っていましたが、
近いうちに行こう、行こうと行き渋っているうちに、
手遅れとなってしまいました。
行かず仕舞いになって後悔したくないと思っていたのに、
先延ばしして一刻を争う事態に気付けませんでした。
行く機会は何度もあったのにも拘わらず。

今となっては、年賀状などで定期的に近況等を
ご報告していたことだけが救いです。
今年の年賀状にこそ何も記されていませんでしたが、
昨年の暑中見舞いには直筆で近況が綴られており、
体調が芳しくないことなどが詳細に書かれていました。
そしてそこには、私たちが分析したデータの
取りまとめ作業を始めたことも記されていましたが、
つい先月中旬にそれがデータ集として発行され、
郵送されてきたばかりでした。
まるでそれを見届けるかのように、
それから僅か2週間程度でお亡くなりになり、
このデータ集が先生の遺品となってしまいました。

もし自分の命があとどれくらいか何となく分かっていて、
残された時間を使って何をしようかと考えた時、
果たして先生のように最後まで走り続けられるのか
私には自信がありません。

また、今回研究室の仲間が予想外に駆け付けており、
最近なかなか集まれずに居たのですが、
少数ではありましたが束の間の談笑を楽しみました。
久し振りに会ったのにそんな気がしない程、
気の置けない仲間達であることを
事ある毎に確認させてくれます。
きっと先生が引き合わせてくれたのでしょうね。

最後になりますが、ご冥福をお祈りすると共に、
本当に最後までお疲れ様でしたとお伝えしたいです。

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2007年12月13日 (木)

大学院

時代の流れで大学院卒者が増えつつある中で、
私がそのような進路を選ばなかったのには、
主に2つの理由があります。

一つは学生時代に散々親の脛を齧ってしまったので、
早く独り立ちして経済的にも人間的にも
一人前になりたいと思っていたことが挙げられます。
また、これと関連して結婚願望が強く、
24~26歳の間くらいには結婚したいという
何となくの昔からの人生プランがあったので、
大学院(修士課程)まで進むと
卒業するのが早くて24歳になってしまうということがあり、
少しでも早く社会に出て稼ぎたいという考えがありました。

そしてもう一つの理由としては、
勉強することに楽しみを覚えられなくなっていた
ということが挙げられます。
大学でも本当は避けられるものなら避けて通りたかった
試験や論文研究、論文発表などを、
院へ行っても当然課せられる上、
更に難易度が高くなって自分を苦しめることになると思うと、
「もっと難しいことも勉強したい」と思う好奇心よりは、
「これ以上苦しさを味わう気には到底なれない」という、
辟易した気持ちを抱くようになっていました。

その気持ちに更に追い打ちを掛けたのが、
特に大学4年の時の研究室生活でした。
常に卒論研究に追われるピリピリとした生活を送り、
精神的にかなり限界すれすれまで来ていました。
「中退」の二文字を真剣に悩んだことも
一度や二度ではありませんでしたが、
研究室の仲間との励まし合いや友情などに助けられ、
苦しみながらも内容の濃い日々を過ごし、
何とか卒業まで漕ぎ着けました。

「辞めてしまえばその時は楽になれるけど、
そのことを後悔する日が来るに違いない」
という気持ちがどこかにあって、
大事MANブラザーズバンドの『それが大事』や、
ZARDの『負けないで』、Mr.Childrenの『終わりなき旅』
の歌詞を地で行くように自分を奮い立たせ、
苦難から逃げずに立ち向かい続けました。
もしその気持ちが最後まで持たずに切れてしまっていたら
今の自分はなかったと思います。

ただ結果的に、自分の力量不足が原因とは言え、
このことが決定打となり、
先の理由と合わせて私の頭の中からは、
大学院進学という選択肢は完全になくなりました。
何度か「大人になってから『もっと勉強して
おきたかった』と思ってもなかなか出来ないよ」
という話を聞かされることがあって頭に残っており、
また、世間でも大人になってから大学や大学院に通う方が
少なくない現実があることを考えると、
「本当にこれで良かったのかと迷う時が来るのかな」
と少し考えたりもしたのですが、
「もう自分はこれで十分かな。後悔することもないだろう」
と思い、先の理由も含めた強い決断を持って、
16年間の学生生活にピリオドを打ったのでした。


ところが、ここ何日かの間の話なのですが、
突拍子もない考えが浮かび始めました。
「今からでも行けるものなら院に行きたいかも」
という気持ちが俄かに沸いてきてしまったのです。
この時、東国原宮崎県知事の顔が浮かびました。

今までも時々院に行っている人や行った人を見るなど、
何かに刺激を受けた弾みに、
突発的に「院へ行っておけば良かったかな」と、
軽い憧憬の念を抱くことはあったのですが、
かなり納得して下した末の決断だったこともあり、
最終的には「これで良かったんだ」と思っていました。

しかし、自分では完全に納得したつもりで居ても、
実は心の片隅では燻り続けていたのかもしれません。
そこに、何にでも思い切って挑戦してみようと柔軟に考え、
大胆な行動に出まくるようになってしまった
この所の積極性が火に油を注ぐこととなり、
一気に燃え上がってしまったかのようになったようでした。

かと言って、現実的には望み薄になりつつあるとは言え、
早いうちの結婚も諦めていませんし、
今のうちに少しでも多く蓄えておかねばならないという
焦りは持っていますし、
今の仕事も辞める訳にはいきません。

諦め掛けたその時、ふとある考えが浮かびました。
「そう言えば、社会人入試とか夜間コースっていうのも
聞いたことがあるな。念のため調べてみよう」。
一旦凋み掛けた気持ちに再び一筋の光が差しました。
調べてみると、やはり若干名の募集ではあるものの、
大学院でもそういった制度があることが分かりました。

ここで思い切って文系に転身というのもありだなと思い、
募集要項などを見てみました。
が、現実はそう甘くもなく、
理系出身の私には専門科目で太刀打ち出来そうになく、
何だかんだ言って理系しかないのかなと思いました。
大学院に入れる可能性が全くない訳ではないと分かり、
少し嬉しく思ったのですが、
やはり学費もそれなりに掛かってしまいますし、
仕事をしながら通うというのは
並大抵の大変さではないと思いますし、
全てにおいて全くゆとりがなくなるだろうと思い、
現実的に考えて夢物語に過ぎないなと思いました。
ただでさえ両立するのが下手な性分なので、
余計にそう思いました。

やっぱり社会に出てしまうと何をするにしても制約が多く、
学生のうちでしか出来ないことは多々あるなと感じます。
大学院進学においても然りでしょう。
今更行く意味があるのかなとも思いますし、
何事においても旬の時期というのはあるでしょう。

でもまぁ、私にとっては大学院に行かなかった2年分は、
社会人として掛け替えのない経験の出来た時間でしたし、
その2年があったからこそ今の自分があると思います。
だから、こうして歩いてきた道を後悔する必要はなく、
これも含めた全てが私の人生なのだろうと思います。


…というようなことを昨夜寝床でぶつぶつ考えていたら、
頭が冴えてなかなか寝付けなかった、
とさっきそっちの方で芋次郎が言ってました。

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2007年10月24日 (水)

中等教育学校という名の学校

4、5日前の話になりますが、
地域情報紙を何気なく見ていると、
「6年一貫教育の中等教育学校が
来春4月、水戸市に誕生。」
というような見出しが目に入りました。

明記されている訳ではないとは言え、
仰々しくアピールされた文面から解釈するに、
さも、「水戸で初めての中高一貫校として誕生」
と言っているように読み取れました。
というのも、新たに開校するなら、
普通は教育制度よりもまず、
校名をアピールするだろうと思ったからです。

「おいおい、何言ってんの?中高一貫教育の学校なら、
他にも水戸にはあるよ。何がどう違うんだ?」
と納得がいきませんでした。
しかし、そう疑問に思って貰うことこそが
まさに狙い通りの展開で、
そのためのキャッチコピーだったのかもしれないと、
今にしてみれば思います。

来年開学100周年を迎える学校法人常磐大学が、
新しい教育の提案として開校するその学校の名は、
智学館中等教育学校(認可申請中)。

何がどう違うんだろうと思って色々調べました。
そもそも、同法人の常磐大学高等学校が
中高一貫校として生まれ変わるのか、
それともそれとは別に新しく建てるのか、
あるいは名前は別でも
校舎はその一部を利用するということなのか、
何もかもが謎だらけの学校でした。
ただ、敢えて校名に「常磐」の名前を入れず、
全く新しい名前にしている所から判断すると、
別な学校としてスタートするという
位置付け、意気込みなのかなという感じはしました。

なるほど、調べてみると、
何やら斬新すぎな発想の学校のようです。
まず4学期制を採るという点。
2学期制に切り替え始める自治体や、
独自のカリキュラムでそれを取り入れる学校が
増えてきているという時代の中で、
逆に1学期増やしてしまうという発想に驚きました。

次に敷地ですが、
県立水戸桜ノ牧高のすぐそばにある、
同法人のグラウンドの横の敷地に、
新しく建設中とのことでした。
つまり、常磐大学高とは場所が離れすぎているので、
やはり常磐大学高はあくまで今のままで存続させ、
それとは別の完全6年一貫校を新設するようでした。
敢えて木造にするということからも分かるように、
設計から設備からかなり拘って造るようです。

そして、最後までなかなか意味を理解出来なかったのが、
この学校の一番の特徴であり、最大の売りでもある、
「中等教育学校」という新しいタイプの学校についてです。
同校のHPによれば、
中高一貫教育には通常3タイプあると言います。

「『中等教育学校』とは、中学校から高校までの6年間を
一貫した教育体制で行う単一の学校」とあり、
それだけ読んだ所で、従来の制度とどう違うのか
最初はさっぱり分かりませんでした。
そこでまず従来の2タイプを見てみました。

私立校などを中心に一番多いと思われるのが
併設型と呼ばれるもので、
要するに、高校で入学者選抜は行わず、
完全に中学校からのエスカレーター式で高校へ進学し、
中高一貫教育を施すというものを指すようです。

更に、近年、公立の中学校と高校などが連携し、
元は同系列でも何でもない別の学校でありながら、
高校へは簡単な入学者選抜を行った上で、
教育制度そのものは中高一貫制で行うという
連携型と呼ばれるものが見られるようになりました。

連携型だけが異質なのはすぐに分かるのですが、
では併設型と中等教育学校は何が違うのかと思い、
何度も強調される「6年一貫教育」という言葉を見つつ、
「何故、この学校には『―中学校(中等部)』や
『―高校(高等部)』というような記述が
どこにもないんだろう。
区別したい時はどうやって呼ぶんだろう」
と思っているうちにピンと来ました。

そう、何とこのタイプの学校は、
中学1~3年生、高校1~3年生という呼び名がなく、
中等教育学校1年次~6年次という、
所謂6年生まで存在するという、
中学、高校という概念そのものを取っ払ってしまう、
日本ではほぼ馴染みのない制度だったのです。
別に「中等教育」という言葉が含まれると言っても、
「中学校」を意味している訳ではないという訳です。

「今何年生?」と聞かれたら答え辛そうです。
いちいち「年齢的には、高2と同じです」
というような補足を加えなければ、
なかなか通じなそうな感じです。
そして、舟木一夫さんの名曲「高校三年生」が
まるで他人事のように聞こえる制度です。

なるほど、今までの日本の中高教育の常識を
大きく打ち破る大胆な教育方針です。
もし理想通りにこれが実現出来るならば、
効率的に優秀な人材を育てることが可能と思われます。
しかし、あまり前例がないというのは、
いつの時代も苦難を伴うものです。
そして、理想に現実が伴うかどうかは、
やってみないと分からないということもあります。

何分にもこれから歴史を作る学校ですので、
楽しみな部分が多いということは言えると思います。
将来、水戸で有名な進学校の一つとして
注目を浴びているかもしれません。
何事も最初に行うのは勇気が要ることですが、
現状を変えていくことも時には大事だと思うので、
是非とも成功して、先駆けのモデル校と言われるよう、
幸運をお祈りしたいと思います。

☆★ヘルシオーレ!ダイアリー★☆
・睡眠時間:4.5h ・脈拍:56回/分 ・体温:35.8℃ ・体重:64.4kg
・水泳約1時間、1300m泳ぐ(いずれも積算)。
このうち、500mの遠泳(約15分)を行った。

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2007年6月24日 (日)

思い出のノートたち

昨日の後日談ですが、
結局あの後力尽きて昼の11時半まで寝てしまいました。
その後、相変わらず空腹状態であるにも拘わらず、
「空腹の時の方が頭が冴える」と言って、
また古新聞の続きを読み始めました。
結局、14時半に昼食を食べ始める直前に、
無事古新聞を全て読み切ることが出来ました。
読んだというよりは眺めたと言った方が近いですが、
それでも4日間で約7週間分の新聞に
一通り目を通すのは容易ではありませんでした。

2004年の10~11月というと、
各地でツキノワグマによる被害が出たり、
イチロー選手が年間262安打の新記録を樹立したり、
10個目の上陸となった10月の台風23号による被害や、
直後に起きた震度7の新潟中越地震による被害に
日本中が震撼させられたり、
紀宮さまのご婚約が内定したり、
プロ野球に新球団が誕生したりと、
この他にもまだまだいろんなニュースがあり、
今更ながら初めて紙面の迫力ある写真を見て、
改めて当時の様々な出来事を思い出しました。
まだあの頃は学生だったんですね。


さて、2年半もの間溜まっていた膿をすっきりさせた所で、
次に私が着手したのは高校、大学時代の
ノートの処分でした(まだ現物はありますが)。

小学校時代の先生の教えを忠実に守り、
教科書やノートを捨てられない性格になってしまった
というのは大きいのですが、
とは言え、大人になっても学生時代のノートを
後生大事に本棚に収めているというのも、
他人から見たらちょっと変ですよね。
自分にとっては大切でも、他人から見たら
「そんながらくた早く捨てたら」と思うことって
結構あるんですよね。

愛着があったりして捨てられない物があっても、
普通に考えたら捨てるべき物に出会(くわ)した時、
以前は「勿体ないので取っておく」という選択肢を
選ぶことがほとんどだったのですが、
ある時から割り切ることにしました。
でも、やはりそうは言っても諦めきれない時は、
「自分が死んだ時、後に残された家族の身になってみろ。
『捨てたいけど形見だから捨て辛い』と困らせるだろう」
と考え、判断を下せるのは自分しか居ないと思い、
目を瞑って捨てるようにしました。
それでもまだまだ捨てられない物は多いですが。

そしてこのノートたちもその愛着あるものの一つ。
勿論、自分で受けてきた授業は
もう受けられるものじゃないから
代替えの利かない大事な宝、というのはあるのですが、
自分の力作が多く刻まれているのも理由の一つでした。

しかし、今回、スキャナで必要部位だけを読み取り、
PDF形式で保存するという方法を採ることで、
愛着あるノートを手放す決意をしました。
これだと、イラストの複製は手元に残りますが、
鉛筆で描いた原画の姿は二度と目にすることが
出来なくなってしまいます。
でも本棚を陣取っているノートを追い出さなければ、
効率的に本棚を活用することは出来ません。

私はノートのスキャンを開始しました。
意外だったのは、高校時代はノートに
あまり落書きをしていないということでした。
逆に、英語や数学、古文などのノートを
如何に見易く構成するかということに
かなり試行錯誤を繰り返したのを
ありありと思い出しました。
捨てるのがちょっと切なくなりました。

大学時代も書き取りに忙しい授業などは、
やはりほとんど落書きがないのですが、
こうして全て振り返ってみると、
描いてきた落書きのジャンルが
大きく何種類かに分けられるということが分かりました。

先生の似顔絵や野球(特にボールの握り方)、
アンパンマン、ドラゴンボールなどのアニメ、
又はそれをモチーフにしたオリジナルのもの、
スポーツ(野球以外ではバスケットが多い)などです。

しかし、その板書やメモなどの授業内容と共に、
この落書きまで含めたノート全てが、
当時の自分を思い出させてくれる大事な記録で、
本当に卒業出来るか不安だった日々や、
ちんぷんかんぷんだった授業に必死で食らい付いた
けれどもやっぱり分からなくて藻掻いていた日々や、
その他、キャンパスライフに関わる色んなことが、
鮮やかな記憶として蘇ってきました。
キャンバスに描かれたぼやっとした思い出という下書きに
鮮やかな着色が施されていくようでした。
ノートはただの板書内容だけでなく、
当時の感情など色んな物も詰め込んでいました。

学生時代の私は何故か拘って、
ほとんどルーズリーフを使いませんでした。
もしルーズリーフだったら、
もっと簡単に捨てていたかもしれません。
また、これが最初からイラストを描くためだけの
目的で落書き帳を別に用意していたら、
こういう名作は生まれていなかったでしょう。
授業の合間にノートの空白に描くからこそ、
色んなその時の気持ちや思い付いた物が
良い味を出してくれているのでしょう。
そういう意味で、落書きも含めて
全てがその時のノートなのです。

本当にこれを捨ててしまうのか、
まだ今なら間に合うとも思うのですが、
ここで決心しなければと言い聞かせています。
皆さんは、ノートはどうされたでしょうか。

最後に、数あるイラスト(落書き)の中から、
幾つか紹介しようと思ったのですが、
量が多すぎて選ぶのが面倒なので、
とりあえず2点だけ公開しておきます。
そのうち、機会があれば随時紹介していきます。

070624









まずはイチロー選手ですね。
私のイラストは、ほとんど思い付いたものが多く、
人物画はモデルの居ないものが多いので、
いざイメージして描いてみようと思うと難しいです。
(平成14年7月15日画)

070624j




もう1点は、ちょっと珍しい相撲もの。
何点かしか描いていませんが、
これは「『押し倒し』で負ける寸前の力士」
という何故か微妙な瞬間を題名付きで描いています。
(平成14年6月24日画←奇遇にも丁度5年前)

あと、気のせいか、ノートはこれで
全部ではないような気がするのですが、
だとすれば他のは一体何処(いずこ)へ?

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2006年11月 4日 (土)

まだまだ精進を

普段から正しい日本語を意識し、
きちんと使うように気を付けているのですが、
日常会話では兎角乱れがちです。

ら抜き言葉(表現)というのが一時話題になり、
私はその時、自分は大丈夫だと思っていたのですが、
「来れる」がら抜き言葉だということを知り、
無意識のうちに使っていた自分に愕然としました。
「流石に手では持って来れないよ」とか
「その日ならみんなも来れるみたいだよ」のように、
複合語としても自然に使っていましたからね。
ら抜き言葉は今や世間的には普通に浸透してますね。

さて、この前自分が話した言葉を、
ふと頭の中で反芻していた時、
「斜めっている」という表現を使ったことに気付きました。
「斜める」という動詞は当然おかしな日本語です。
意味は「斜めになっている(傾いている、曲がっている)」で、
「あの看板、ちょっと斜めってない?」などのように、
ほとんどが「斜めっている」「斜めった」の形で使います。
名詞・形容動詞の「斜め」を動詞化したものだと思われます。
…などと真面目に解説している場合じゃないですね。

動詞ではない単語を動詞化した言葉として有名なものに、
「サボる」(サボタージュ;フランス語)というのがありますが、
「ダブる」(ダブル)なども自然に使っていますがこの類ですね。

確かに「言葉は時代と共に変化し、
普遍的に使われるようになれば、
それは正しい言葉ということになる」
というようなことをどこかで聞いたことがありますが、
美しい日本語を残すためにも、
時代の流れに出来るだけ最後まで逆らい続けようと思います。
そしてこれからも、自分の中に自然に馴染んでしまっている、
おかしな日本語に疑問を抱ける自分でありたいと思うと同時に、
まだまだ勉強不足の自分は精進していかないといけないな
と勝手に思っている次第です。

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